第七話 光の差す方へ

 ──ここに圧倒的な力があるとしよう。君は正常な精神を保てるだろうか? もし、情動に駆られ、その力を解放してしまうのであれば、この力は君に相応しいとは言い難い。そして、もし、正常でいられるのならば、君には元々必要のない力だ。   『神と亡者』第四章九節




 崩れた壁と門の間、瓦礫が少ない場所を抜けて中央通りらしいスペースを進む。街の周囲から光を発する魔法が打ち上げられる。展開した部隊が配置についたのだ。


 細い路地からひとりの隊員が飛び出してくる。白い兵装は血と砂で汚れ、破れている。腕章はヴァレスの部隊であることを示している。彼はこちらに気づくと、息も絶え絶えの様子で近づいてきた。


「救援か。助かる」


 ミリアは自分の隊員に水をやるように命じて尋ねた。


「敵の損害状況は?」


 水を一気に喉の奥に流し込んで、隊員は首を振る。


「逃げ回るのに精一杯で攻撃ができない。こちらの魔法ストックも残り少ない」


 大通りに面した果物屋が轟音と共に崩れる。通りに色取り取りの果物が転がって散らばる中を駆け抜ける隊員の姿。パラゴーレムの姿は大通りには現れず、建物の陰で木材の折れひしゃげる音がする。


「あれの行動パターンは?」


「人間を優先的に狙ってくる。それと、音にも反応する。図体がデカいせいで直線で追いかけられると終わりだ」


「分かった。すまないが、いま市街地に展開している部隊を撤退させてくれ。ヴァレスの市街地であれを討滅する」


「無理だ」


「ここで議論はしない。君たちと我々ではチームプレイは難しいようだからな」


 ピシャリと断じられて男は奥歯を噛んだが、観念したように街の方を見つめた。


「撤退が完了したら信号を打ち上げる」


 そう言い残して男は駆け出して行った。


「ヴァージル」グラムがまだ残っている鐘楼を指差した。街の外れに建っている。「部隊の撤退が済む前に一度パラゴーレムを確認しておきたい」


「分かりました。バル、クラウス、ここでみんなと一緒に……」


「いや、ちょっと待て」バルはグラムに不信の眼を向けた。「彼を信用するとはまだ言っていない。これはこの西方区域の危機を脱する重要な作戦のはず。なのに、顔は分からないし、名前も曖昧……」


「いまはそんなことを言っている場合では……」


 ミリアを制してグラムは仮面を外した。


「確かに、もう黙っているわけにはいかない」


「ですが、隊長……!」


 グラムは隊員たちの顔を見回した。


「俺はグラム・グラン。名前ぐらいなら知ってる奴もいるだろう」


 誰もがピンときていない様子だった。途端にグラムは不安そうにミリアとエミリーを見やった。


「もしかして、誰も知らない?」


「誰なんですか、あなたは?」


 クラウスが詰め寄る。その表情は険しい。


「俺は十五年前、ダネヴェで特殊強襲部隊を率いていた。十二年前、"現象許可問題"で異端者となり、追放処分を受けた」


 隊員たちの間に動揺が走る。バルはあからさまな嫌悪感を示していた。


「異端者が協力を?」


「みんなの言いたいことは分かる」隊員たちとグラムの間に立ってミリアは続ける。「だが、いまはこの危機を打破するために目をつぶれ」


 彼女の声もいまでは届かない。異端者とはどのような善意も疑って見られるものなのだ。グラムは天秤にかけた。信じられるか否か。否に傾くのであれば、自分の出る幕はない。過去の自分が為したことを否定することはできない。


 なぜ神を人間と同列に置くようなことをしたのか。なぜそれを公に発したのか。


 あの頃の自分は、知性を信奉していた。そして、魔法を知ることで、自分が一歩先に立っているような気がしていた。いままでもそうだったかもしれない。長い孤独の時間は、自己肯定の歳月でもあった。自分自身を認め、傷を癒す日々だ。だがそれは同時に客観を失い、目隠ししたまま歩くようなものだ。十二年経って目を開けてみたら、真っ直ぐ進んでいたはずが、自分がどこにいるのかすら分からない。


 自分自身が改めて否定されること。そこで初めて他者との違いに触れることができた。避けてきた事実は、いまを思い通りにできない理由だ。


「申し訳ありません、隊長」


 撤退の合図が打ち上げられた。ミリアは隊を率いて街の中心に向かって歩き出した。隊員たちを説得する時間よりも事態の収束が優先されるのは動かしがたい事実だったからだ。


 残されたのは、グラムとエミリー。傷だらけの二人だ。エミリーは小さくなってしまった背中に声をかけようとしたが、相応しい言葉を見つけ出すことはできなかった。昨日まで抱いていたグラムに対する長年の憤懣、それは隊員たちの感情に通じる。そして、その思いが跡形もなく消え去ったかというと、そう言い切れなかった。


 グラムはヴァレスの市街地に背中を向けてゆっくりと歩き出した。彼の善意が中空で行き場を失った瞬間だ。エミリーは慌てて彼の後を追った。


「彼らなら、大丈夫でしょ」


 特殊強襲部隊は戦闘に特化したチームだ。部隊に振られた番号は戦力評価の順番を示している。つまり、ミリアたちはダネヴェ治安維持局特殊強襲部隊の中で三番目に優れているということだ。


「あのな、俺は思春期の子供じゃない。腫れ物に触れるような扱いはやめろ」


「あら」グラムの小言に心が軽くなったエミリーは皮肉めいた笑みを浮かべた。「いつまでもウジウジしてるのかと思った」


「戦いに加われないなら、ここにいる意味はない。それより、パラゴーレムの創造者かパラゴーレムの送信魔法を見つけ出す必要がある」


「見つけ出すって……見当はついてるの?」


「ついてるからダネヴェに戻ろうとしてる」


「ここに来たばかりなのに、もう帰るの?」


 驚きを隠すように茶化してエミリーはグラムと共に瓦礫の合間を歩いていく。街を取り巻くように、平原と森の境に難民たちの姿が広がっている。グラムは仮面をつけて規制線のそばに置いた馬のもとに近づいていった。プティとネイサンもそこにいて、グラムがやって来たことに驚きを示していた。


「パラゴーレムを停止させる方法は戦うだけじゃないからな」


「ダネヴェに戻るの、グラムさん?」


 馬に跨ったグラムにプティが手を伸ばすと、ネイサンは少しだけ寂しそうな顔をした。


「まだ可能性の段階だが、確かめたいことがある」


 馬を走らせるグラムを、エミリーとネイサンは慌てて追いかけた。


 風を掻き分ける中、グラムとプティはお互いの体温を感じて、生きていることの実感を噛み締めていた。


「すまなかった、プティ」


「どうして謝るの、グラムさん?」


「俺が魔法符を渡したままで……」


「それは仕方ないよ。私だって忘れてた。それに、私を守るために渡してくれたんだから」


 グラムが自分を助け出すために奔走していたことが何より嬉しかった。


「お前を一人で行かせたのは間違いだった」


「それ! 本当にショックだったんだから!」


 叫び声を上げるプティにグラムは参ってしまった。


「本当に申し訳ない……」


「冗談冗談。色々頑張ってくれたんでしょ。身体中ボロボロだけど大丈夫?」


「気にするな、大したことはない」


「気にするよ。グラムさん、なんでも一人で抱え込まないで」


 プティの頭に手を置くものの、あの地獄のような消音区での出来事は話すことはできないだろう。グラムは全身の痛みに耐えながら、馬を駆った。




 水を染み込ませた布を丸めて発火魔法符と遠隔発動魔法符を接着したものを空高く投げて、バルは唱えた。


燃えて輝けフルセーレ・イグネース


 上空で発火魔法が発動して水蒸気と閃光が広がった。ミリアたち以外の三隊も市街地へと進入するための合図だった。魔法銀を用いた魔法具が波及したいまでも、魔法符を使う状況は多い。状況に応じて魔法式を速記することで、柔軟に対応できる強みは大きい。そのために、魔法速記法という技術も発展してきた。バルは特殊強襲部隊第三隊の中で唯一魔法速記法の習得者だ。


「おー、すごいすごい」


 ミリアは額に右手で庇を作って見上げていた。すぐに真剣な表情で隊員たちに告げる。


「対象の反応を確かめつつ、四方から囲む。さきほどの少女の話では、おそらく防護魔法の領域が展開されているはずだ。存在している魔法の把握を優先しろ。標的にされた場合は、家屋を盾にして」


 隊員たちが返事をすると、パラゴーレムが足音を轟かせて接近してくる。隊員の視界に入ってきたのは、五メートルほどの巨体を悠然とこちらに向ける人型の岩だ。


「全員そこの建物の影へ!」


 ミリアが叫ぶと同時に、パラゴーレムの背中に向けて爆裂魔法を宿した矢が放たれるが、魔法自体は不発に終わった。矢が直撃したせいか、ミリア隊に迫っていたパラゴーレムは石が擦れるような音とともに背後を振り返った。


「目がないのにこっちを認識してる」


 建物の陰に滑り込んで、クラウスは魔道砲を構えた。杖のような魔道砲は筒のように内部が空洞になっていて、金属製の弾体や魔法を施した特殊弾を装填する。魔道砲の筒には、弾体を射出口へ高速で加速する魔法式が刻まれており、射出魔法に対応した行動で発射することができる。


「視覚以外で認識してるんだろう」バルは冷静だ。「さっきの隊員が分析していた通りのはず。だが、人間を優先的に攻撃するというのが解らない」


「人間である条件は?」


 ミリアは遮蔽物の向こう側を伺いつつ尋ねた。向こうの方で建物が崩れる音と、陽動のための叫び声が上がっている。


「そんな哲学的な問題ですか?」


 クラウスが特殊弾を吟味しながら茶々を入れる。バルはそれでも分析を続ける。


「隊長、パラゴーレムに駆動条件が組み込まれているのならば、その条件に代入される環境情報に変換されなければならない。情報として我々が外部に放出しているものを利用しているはずだ」


 ミリアは顔をしかめて頭を掻いた。熱い鎧の中で汗だくだ。


「面倒だな」


 エスペランサーを鞘から抜く。クラウスは目を丸くした。


「まさか突撃する気ですか?」


「クラウス、持って来てる特殊弾で一番威力があるのは?」


「難しい質問ですね。奴に雷撃は効きそうもないですし……。穿孔弾に爆裂魔法つけたやつでも試してみますか?」


 円錐形の弾体をつまんでクラウスはニヤリと笑った。通常の円柱形では、弾体が着弾した衝撃で魔法が発動する。穿孔弾は対象に突き刺さってから魔法が発動する。クラウスはこれでパラゴーレムの内部に爆裂魔法を発動させたいらしい。ミリアも呼応するように笑みを浮かべて、顎で命じた。なぜか自分も立ち上がりながら。


「隊長、危険です」


「大丈夫だ、クラウス。……剣よグラディイー


 ミリアが唱えると、鎧に仕込んだ十二の小剣がズラリと飛び出て、彼女を囲むように空中に浮遊した。次にエスペランサーの刀身に指を置いて複雑な形を描いてみせる。十二の小剣は、これでエスペランサーに対応した動きを見せる。この自在な剣技をしてミリア・ヴァージルは"劔姫"として名を馳せることとなった。


「クラウス、私が合図をしたら魔法弾を撃ち込め」


 ミリアはゆっくりと歩み出た。いまパラゴーレムは市街地中央にある広場で、三方から繰り返し攻撃を受けてグルグルと彷徨っていた。未だに岩の巨体には損害を与えられていないところを見ると、硬度のある岩らしい。


 広場の際までやって来て、ミリアは剣を高く掲げた。十二の小剣がエスペランサーの切っ先を中心に、花を開くように展開される。三隊の攻撃が止み、ミリアが叫んだ。


「クラウス!」


 空気の層を破ってバルの放った特殊穿孔弾がパラゴーレムの左の腕、関節部分にあたる群青石のそばに直撃した。パラゴーレムは反射的に左腕を振り払う。弾体は突き刺さるだけで魔法は発動しなかった。パラゴーレムがミリアたちの方を向いて走り出す。大地が揺れ、地鳴りがする。パラゴーレムは恐ろしい速度でミリアとの距離を詰める。


 エスペランサーを構えると、十二の小剣が切っ先をパラゴーレムの方へ向けて高速で回転しながら飛び出した。パラゴーレムののっぺらぼうの頭部に衝撃が走って火花が散る。しかし、表面が欠けるだけだ。衝撃にパラゴーレムは腕を振り回しながら一瞬だけ身体を仰け反らせて、その場に立ち止まって、辺りを伺うようにウロウロとし始めた。


 ──こちらを見失っている。


 ミリアはそう直感して、サッとエスペランサーの刀身に指を滑らせた。両刃が煌めく。身体を捻って腰元に構えた愛剣を目に映らないほど速く振り抜いた。


 隊員たちは、それを密かに"女帝斬"と呼んでいた。薄い膜状の高密度領域を生み出し、そのエッジを高速でぶつけるのだ。木造の家屋ならば一度に真っ二つにできるほどの威力だ。


 見えない斬撃をモロに食らって、体勢を崩したパラゴーレムの頭部に十二の小剣が束になって柄尻をぶつけた。その衝撃でパラゴーレムは地面に轟音を立てて倒れた。砂煙が舞う中を、ミリアは小剣を従えて佇んでいた。


 パラゴーレムは脇腹に"女帝斬"の爪痕を残したものの、ほとんど無傷といってよかった。手足を投げ出すように回転すると、その勢いで立ち上がる。パラゴーレムがミリアの方向に身体を向けた瞬間、四方から矢が放たれてその巨体を捉える。そのうちのひとつの爆裂魔法が炸裂して、パラゴーレムが腕を振り回すとミリアは思わず後退りした。さらに、クラウスの放った金属弾が右肘の群青石に直撃すると、拳大の群青石が欠片になって弾け飛んだ。


「クラウス! 魔法弾は要らん! いまのを撃ち込め!」


 ミリアが発した瞬間に体勢を崩しかけていたパラゴーレムが初めてミリアの存在に気づいたようにはっきりと顔と身体を正対させた。ミリアが身を翻して回避するよりも先に、パラゴーレムの右腕が振り払われて、ミリアは空高く打ち上げられた。凄まじい衝撃とジリジリ震える鎧の中で意識を失いかけながら、ミリアは墜落地点に小剣を並べて自分自身を受けとめさせた。


 痛みと方向感覚の混乱の中でなんとか立ち上がろうとするミリアを支援するようにクラウスの金属弾と隊員たちの矢がパラゴーレムを襲う。二つの爆発音がして、パラゴーレムは広場の東の方へ巨体を走らせた。


「隊長、大丈夫ですか!」


 クラウスが隙を見てミリアのもとに駆け寄ってくる。広場のほぼ中央辺りには、魔法の効力を一時的に失った小剣が散らばっており、それらを拾い集めたクラウスはパラゴーレムを警戒しながら、ミリアとともに低い石壁の陰に身を寄せた。


「私は大丈夫だ」


 そう答えるものの、ミリアの声は震えていた。たった一撃だったが、いままで受けたことのない大質量の攻撃だ。まだ視界が揺れていた。小剣を鎧に納めると、大きく息を吐き出した。


「奴の関節部分の群青石から防護魔法が展開されてる。首、両肩、両肘、両足の付け根、両膝、そして背中に群青石がある」


「そいつをキネティックで破壊するしかなさそうですね」


 キネティック……魔法主体ではなく、物質的な干渉による攻撃だ。さきほどクラウスが放った金属弾も、射出のみに魔法の力が加えられ、高速で飛翔する物体が運動エネルギーを対象に与えた。


「幸い弾き飛ばせそうな瓦礫は腐るほどあるが、魔法が足りん。それ以上に威力が不足してる。……うちの魔法具開発室が試作していたアレがあればあるいはなんとかなるかもしれんが」


「ええ……?」クラウスは難色を示す。「固定魔道砲台ですか? アレはまだ実戦投入の認可が下りていませんよ」


「書類を気にしてる場合か」


「それに、アレをここまで運ぶのは無理ですよ」


 つまり、ダネヴェまでパラゴーレムを誘導する必要があるというわけだ。それには大きなリスクが伴う。そもそも誘導が安全に完了できるという保証もない。


「問題は、奴の認識能力だ」


「どういうことですか?」


「あいつ、すぐそばにいる私に気づいていないようだった。声を出して初めて反応したように見えた」


「じゃあ……音に反応してる?」


 向こうからバルが駆けつける。彼も石の壁に背中を預けた。手に拳大の群青石を握っている。さきほどパラゴーレムから弾け飛んだ破片だ。


「隊長、こいつを解析すれば防護魔法や駆動魔法を明らかにできるかもしれない」


「それもダネヴェに戻らんとダメだろ……」


 不機嫌そうに応じるミリアについて、クラウスが固定魔道砲台の話をすると、バルも渋々頷いた。


「ここでは、少しずつ奴の群青石を砕いていくしかない。隊長の剣ならなんとかなるかもしれんが……」


 ミリアはエスペランサーの柄尻に嵌められている群青石に視線を落とした。


「やれてあと四、五回だな……。群青石の魔力がそれ以上は保たん」


「では、全て奴の群青石に当ててくれ、隊長」


「ふざけるなよ、お前」ミリアは思わず歯を見せた。「囮になれば考えてやる、バル」


「ですが、隊長、さっきの話では、パラゴーレムは音に反応してると……」


 クラウスがバルに説明してやると、バルは得心がいかないというように唸り声を漏らした。


「反応を見ていて、分かったのは、奴は攻撃を受けると腕を振り回して、衝撃の方向を向いて攻撃に転じている。しかも、最新の攻撃だけを考慮しているらしい」


「条件行動か」


 エスペランサーを鞘に収めて、ミリアは息をついた。


「恐らくは。攻撃を受けて腕で反撃、攻撃元を特定して攻撃。この繰り返しだ」


「だが、解せん」額の汗を拭うミリアは妙な違和感を覚えていた。「私が頭部を攻撃した時、腕で反撃行動をしたあと、攻撃対象を決めかねているようだった」


「隊長が女だからですかね?」


「馬鹿か。パラゴーレムの被害で男も女もやられてるだろう」


「つまり、攻撃を受けた後に反撃対象を決定する要素がもうひとつあるわけだ。あの時、隊長はキネティックを仕掛けた。だからか?」


「いや」ミリアは否定する。「矢の攻撃には反応して反撃に転じていた。それに、考えなければならないのは、ここだけの話じゃない。なぜ街を次々に襲ったのか」


 クラウスは深刻そうに目を見開いた。


「それも、イザベル・エル領を避けて……!」


 バルは深く考え込んで、クラウスの言葉を受け取った。


「確かに、これほどまでに高度な魔法技術なら、イザベル・エルは実現できるかもしれん」


「一旦、その話は考えるな」今度はミリアが冷静に口を開く番だった。「いまはここでどこまでできるか、だ」


「隊長はどこまで無理できる?」


 バルの意地悪な問いかけにミリアは立ち上がりながら答える。


「死なない程度には。……だが、現実的にはエスペランサーが保つまでだな。小剣はあまり使えない。お前は何ができる、バル?」


「隊長が奴の腕か足を切り落とすお膳立てをするくらいなら」


「どうやる?」


「奴の腕か足の先に移動魔法を付与する。バランスを崩させたところを隊長に切ってもらう」


「俺が狙うわけ?」


 クラウスに首を振ってバルは魔法符帳から一枚の魔法符を取り出した。


「いや、正確に狙うのは難しいだろう。奴を狭い路地に誘い込んで、隙を突くのが手っ取り早いはずだ」


「返り討ちに遭う危険もあるな……」


 そう言うミリアの表情は引き締まって、未知の脅威に戦意を奮い立たせているようだった。三人は勢い込んでパラゴーレムに向かって行くが、その作戦に重大な欠陥が潜んでいることには気づいていなかった。




 ダネヴェ内に大勢の難民が流入して、あちこちで小競り合いが起こっていた。グラムたちは馬を馬屋に預けると、居住街へ向かっていた。エミリーはズキズキと痛む右腕を押さえている。治癒院での応急処置が十分でないうちにヴァレスに向かった弊害だ。


「どこに向かおうとしてるの?」


「パラゴーレムの駆動魔法を送信しているかもしれない場所だ。エミリーもネイサンもこれ以上は俺たちに同行しないほうがいいかもしれん」


 エミリーとネイサンはお互いの顔を見合わせた。確かに、グラムの指摘通り、治安維持局に拘束されたはずの男と魔道法院に関わる人間が行動を共にするのは大きなリスクがある。


 二人は、何かあった場合はすぐに駆けつけると約束をして去って行った。グラムはこの場に残ったプティに目を向けた。


「お前も二人と一緒に行かないのか」


「仕事じゃなく私を助けようとしてくれた点を評価したの」


「やかましい奴め」グラムは笑った。「危険を伴うから、何かあったら逃げて助けを呼べ」


「了解しました。それで、どこに行くの?」


「もうすぐ着く」


 居住街の路地を抜けて、古いアパートメントの前に出る。かつてエニシングが根城にしていた場所だ。同時にグラムはエニシングの顔を思い返していた。


 彼がダンテ・パーシヴァルのことを知らずに偽の身分証を手配したとは考えにくい。だが、仮に知っていて用意したのであれば、無視できないことだ。エニシングは何らかの理由で指名手配中の重大犯罪者の名前を利用した。その理由は、彼ならば明白だ。金である。言い換えれば、エニシングにそうするように言って金を掴ませた人間がいるということだ。


「ここに誰かがいるの?」


「誰かがいないことを願う」


「どういうこと?」


 グラムはここでフードの男に襲われたことを話した。男が高度な魔法知識を有しているらしいことも。プティは驚いたが、グラムが考えているらしいことにすぐ気がついたようだった。


「そいつが、パラゴーレムを?」


「あくまで推測に過ぎんがな」


 二人は階段を四階まで昇り、その踊り場で立ち止まった。曲がり角に背中を押し当て、先を窺う。プティは声を潜めた。


「そんなに危ない人なの?」


「少なくとも、俺よりはいまの魔法に精通してる」


 グラムが襲われた鉄扉に続く通路は人の気配が感じられなかった。そこへ不意に声が投げかけられる。二人にとっては、冷や水を浴びせられたような心持ちだった。


「あそこの人なら出かけてるよ」


 ゆったりとした動きで老婆が階上から階段を降りてきていた。


「出かけてるんですか」


「うん。二、三時間くらい前、バタバタやって出て行ったよ。お友達かい? もう少し静かにするように言っといてくれ」


 小言をこぼしながら老婆は階下に去っていく。グラムは早足で鉄扉の前に進み出た。扉には鍵がかかっていたが、グラムが肩口を押し当てて力を加えると何かが壊れる音がして、力なく扉が開いた。


「グラムさん、魔法いらないじゃん……」


「余計なこと言うな。入るぞ」


「これじゃ、泥棒だよ……」


 せっかく措置所を抜け出せたというのに犯罪の片棒を担ぐというのは、プティにとって気が進まないことだったが、いまさら身の振り方を案じる意味もない。


 殺風景な部屋だった。狭い部屋の中には簡素なベッドと小さな椅子が置いてある。間仕切りされた小部屋はトイレと風呂場、入り口そばに申し訳程度の炊事場があるだけだ。およそ生活感の欠片もない、ただ居るだけの空間だった。室内を物色する必要もない状況に、グラムは意気消沈していた。かつてエニシングが住んでいた頃は男臭かったが、まだ生きた心地のする部屋だった。


「空き部屋みたい」


 どこか空恐ろしさを抱えながらプティは視線を巡らせた。措置所よりはマシという程度だ。深い溜息と共にベッドの縁に腰を下ろしたグラムにプティは疑問符を手渡す。


「何を探してたの?」


「パラゴーレムの駆動魔法を送信している魔法具だ。恐らく、パラゴーレムを駆動する膨大な魔法式が記述されているはずだ」


「それを壊せばパラゴーレムは止まる?」


 グラムが頷く。プティはその隣に座って床の木目に目を落とした。あの怪物を止めることは、カラセナで死んだ人々へのせめてもの弔いになるだろう。両親はどうなっただろうか? この日々が終わったならば、生まれ故郷に戻りたい。グラムと共に済ませた簡単なものではなく、命を奪ったものを突き止め、安寧の日々が戻ったのだということを、伝えたかった。


「長居は無用だ。行こう、プティ」


 二人がアパートメントを出た頃には、日が落ちかけていた。オレンジ色の夕日が街に長い影を落とす。それでも、人々の喧騒は止まない。どこかで声がした。


「ヴァレスがダメになったらしい」「ゴーレムがここに向かってるらしい!」


 二人は急いでダネヴェの東門に向かった。治安維持局の人間がお互いに罵声を浴びせあっていたり、難民たちが門の外へ追い出されていたり、そこはおよそ慈悲も見当たらない殺伐とした場所と化していた。東門はかつてのイステバリウスの城塞の名残を残していた。城門内部は建物のように階段と通路が走り、最上階には砲台を設置できるようなスペースもある。現在は、治安維持局が都市防衛の意味合いでこの城門も管理下に置いていた。


「アレは認可されてない!」「そんなことを言っている場合か!」


 城門のあちこちで言い争う声がする。やがて、東門の外、遥か遠くに巨大な岩の塊が姿を現した。そして、それを先導するかのように馬に乗った人影がいくつか見える。


 ミリアたちだった。

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