第六話 命を削るものたち
──戦いというものは、常に人の歴史の幹を成してきた。戦いがなければ歴史は作られなかったし、戦いがなくなれば我々の存在意義はなくなってしまう。 アウグスト・シュミッツ
措置所からプティを伴って外に出たネイサンだったが、結局何をすればいいか分からないまま、騒然とする街のど真ん中に立ち尽くしてしまった。行くあてなどなかった。治安維持局の緊急事態を告げる鐘の音が人々を右に左に走らせている。
「グラムさんはどこ?」
険しい表情で詰問するプティに尻込みしたが、ネイサンは苦笑いを返した。
「いや、それがよく分からないんだ……。多分、エミリー検事が探していると思うんだけどね」
「アリさんはどうして私を出してくれたんですか?」
改めて問われると答えに窮した。実際のところ、エミリーにすごい形相で命令されただけだからだ。
「ずっと狭い部屋に閉じ込められているのは辛いだろうと……」
ネイサンが咄嗟に考え出した嘘にしては上出来だった。プティも感謝を口にして、あたりの騒がしさに目を細めた。
「何かあったんですか?」
「ヴァレスに石の怪物が出たらしい。治安維持局特殊強襲部隊が出動していったよ」
「石の怪物……」
「君が遭遇したのと同じかもしれない。いくつかの街を壊滅させたという噂も出回ってる」
ネイサンのスーツの袖口を掴んでいたプティの手に力が込められるのが分かった。
「アリさん、私をヴァレスに連れて行ってくれませんか?」
「やめた方がいいよ。あまりにも危険すぎるし、君のトラウマになっているはずだから」
「でも、見れば村を襲った奴か判る。私は無実だって明らかにできる」
プティの意思は固そうだった。だが、ネイサンは死地に赴く覚悟など欠片も持ち合わせていなかった。必死に少女の考えを改めさせようと糸口を探した。
「グランさんはどうするんだ? この街にいるかもしれない」
プティは首を振った。
「エミリーさんが探してるんですよね。それなら大丈夫だと思う。あの二人、きっと昔何かあったんじゃないかな」
「そんなことあるだろうか。それらしいことなんてなかったと思うけど」
悪戯っぽく笑みを浮かべるとプティは自信を滲ませた。
「女の勘だけど」
プティの説得に失敗し、ネイサンは言い訳を探し始めた。もちろん、この場を動かない理由として、だ。
「ここからヴァレスへは馬で一時間半もかかる……」
「じゃあ、馬屋に行きましょう!」
ネイサンの腕を引っ張ってプティは駆け出す。ひと回りもふた回りも小さな身体とは思えないほどの力。ネイサンは転ばないように注意を払いながら、次第に諦め始めていた。弁護を引き受けた時にこんなことになるとは夢にも思っていなかった。
幸か不幸か、馬屋には貸し出し用の馬が一頭だけ残っていた。ネイサンはこの期に及んでもまだ言い訳を口の中で転がしながら金を払い、鞍に跨り、プティを引き上げて自分の前に座らせた。
「アリさん、馬を扱えるんですか?」
馬に乗れるか分からない状態で馬屋まで自分を引っ張ってきたプティに、ネイサンは脱帽した。弁護人としての恩師の言葉を思い出す。
「偶然が重なる時は、そうせよと運命が囁いている。またとないチャンスということだ。迷わずに一歩を踏み出せ」
一頭だけ残っていた馬、そして……、
「学舎にいた頃、馬術大会で名を馳せていたものだよ。"馬駆りのネイサン"、そう呼ばれていたこともあったね」
二つの偶然は重なった。ネイサンは足で馬の側面を叩いた。馬と共に、風になる。
「これは違法行為だ」
エミリーは静かに告げる。暗い穴蔵の中に声が染み込んでく。
「その声、エミリーか?」
「君は黙っていたまえヨ!」
頭を短杖で殴ると、雷撃もグラムを襲い、顔を隠していた布が血に染まる。
「グラム!」
よく見ると、彼が横たわっている台の上はまるで真紅のヴェールをかけたように大量の血液で濡れていた。
「ここでは許可なく喋るナ!」
部屋の戸口に立つエミリーに短杖を向けて歯を擦らせた。危険を察知して通路に舞い戻ったすぐ背中を金属製の何かが猛スピードで駆け抜けて壁に衝突した。鼓膜を破らんばかりの音が響き渡る。直撃していれば、身体は原型を留めていなかっただろう。壁にめり込んでいたのは円筒型の金属だ。もともと持っていたのか、領域魔法で生成した金属体を高速で射出したのだ。
「鼠退治の時間だヨ」
足音が近づいてくる。通路に遮蔽物はないが、両脇に小部屋への扉がいくつもある。だが、万が一それらに鍵がかかっていれば一本の通路に身ひとつを晒すことになる。逃げようと走り出しても、ただ的になるだけだ。
護身用の魔法は二つしかない。ペンに仕込んである、空気を振動させ凄まじい音を発する音響魔法。これはペンのキャップを左に二回回すと一秒後に発動する。もうひとつは、右手の中指に嵌めたリングに組み込んだ衝撃魔法。衝撃魔法は拳で強く叩くことで発動するように設定してある。
一方で、相手の手札は不明。いま見せた金属体射出魔法の弾体を領域魔法で生み出しているのなら、弾数を測ることはできない。発動されてからあれを回避することは至難の業だ。死神のような男は雷撃も発生させるらしい。遠距離でも近距離でも危険が伴なうのは、神経を使う。もっとも、こちらの手札を相手は知らない。それだけがこちらの優位だった。
足が震えていた。実際の戦場に立っていたのは十五年も前のことだし、実戦を経験したことはない。実戦とは死に背中をつけるようなものだ。気を抜いた瞬間に死が肩を叩く。グラムは言っていた。
「戦場では常に精神を研ぎ澄ませている必要がある。素早く、そして冷静に一瞬一瞬を判断しなければ、平凡な日々に戻ることはできない」
ずいぶん昔のことなのに、一言一句を思い出せる。思い出したくもない言葉のはずだった。助けたくもない男のはずだった。
足音がさらに近づく。エミリーは素早くペンのキャップを回し部屋に投げ入れた。その流れで扉を閉める。グラムを音響魔法に巻き込んでしまうが、それは仕方ない。閉めた扉に金属体がぶち当たると同時に爆発音が部屋の中を満たした。通路にいるエミリーも大音声にめまいがするほどだ。すぐに室内に入り込み、うずくまる男のこめかみに拳を当てた。恐ろしいほどの衝撃が男の頭とエミリーの右手を吹き飛ばした。轟音と共に男は壁に打ち付けられ、エミリーは反動で右手を後方に引っ張られて仰向けに倒れ込んだ。
「エミリー、エミリー……!」
グラムが連呼していた。すぐに立ち上がって布を取り去る。疲弊し憔悴した彼の顔が現れる。
「よかった……! ひどい怪我……大丈夫?」
「音が聞こえない! 今ので鼓膜をやられた!」
一次的なものかもしれないが、応答ができない中でグラムはただ必要なことを口にしていた。
「首の拘束魔法具を外してくれ! 身動きが取れん!」
すぐに首に手を回し、魔法具を外してやる。グラムは緩慢な動きで台の上に起き上がり、深く息を吐いた。仮面は取り去られ、上半身は裸にされていた。腕と腹は血まみれだ。身体のあちこちに焦げた痕と火傷が残され、見るも痛々しい。フラフラと立ち上がろうとするグラムをエミリーは強く押し返して台の上に座らせた。
そのグラムの背後で特殊尋問官が立ち上がった。エミリーがグラムを押しのけるよりも前に短杖がグラムの後頭部に直撃する。グラムは失神して台の下に身体を放り出してしまう。
逆上して悪魔のようにエミリーを睨みつける顔。音など聞こえていないだろうに、しわがれた声で怒号を発した。
「アルビノのゴミクズ! 細かく切り刻んで通りにばら撒いてやるヨ!」
革のエプロンのポケットから何かを取り出して短杖を構えた。
──弾数は有限。
そう思いながら台の陰に身を寄せる。エミリーの背後の壁が穿たれる。ジャラジャラという金属がぶつかる音と足音がする。
──残弾数は二以上。
だが、エミリーには武器が衝撃魔法しかない。相手に近接していなければ意味がない。
グラムの身体を素早く検めるが、めぼしいものはない。台に隠れながら部屋の隅に捨てられた服を見つけるが、使えそうなものは見当たらない。
石の床を素早く駆ける音がして、反応が遅れたエミリーを雷撃を伴った短杖の一撃が襲う。咄嗟に右腕を盾にしたが、鈍い痛みと雷撃にエミリーは悲鳴をあげて転がった。だが、死を恐れることで彼女を突き動かす原動力が、すぐに身体を台の裏に隠した。利き腕の右腕が痛みと痺れで動かなかった。指先からリングを外す。左の指に嵌めようとして、かつてのグラムの声が脳裏を打った。
「魔法を理解することで、戦況は変えられる。先入観に囚われて魔法を使うのは、魔法に使われているということなんだよ」
一種の賭けでもあった。根拠はない。だが、魔法の特性からすれば、うまくいくはずだった。
エミリーは台の陰から立ち上がり、特殊尋問官に向かって思い切りリングを投げつけた。
衝撃魔法の発動条件には、一定量の圧力がかかると発動する構文を記述してある。そのことは頭の中からすっかり忘れ去ってしまっていた。軽く殴ることで魔法が発動すると思い込んでいたのだ。
だが、特殊尋問官も迅速果敢に金属体を放っていた。エミリーはその様子が視界に入った瞬間に死を覚悟した。
次の刹那、二人の間で轟音が発せられ、エミリーの耳のそばを矢のような速度でひしゃげたリングが駆け抜けて壁に突き刺さった。特殊尋問官の側頭部には自らが放った弾体が直撃して突き刺さった。彼はそのまま膝から崩れ落ちた。
空中でリングと弾体がぶつかり、衝撃魔法が発動したのだ。一歩間違えば自分も死んでいた。エミリーは震える膝を抱えてその場に座り込んだ。感じていなかった右腕の激痛がゆっくりとやってきた。
グラムのうめき声がして、エミリーは這うようにして駆け寄る。満身創痍のグラムが特殊尋問官の死体を一瞥してニヤリと笑う。
「さすが"鉄の女"だ」
ヴァレス近郊に差し掛かると、街道沿いに所在なげに立つ人影が増え始める。ある者は着の身着のまま、ある者は大きな荷物を背負っている。家族連れもいるし、誰かを探しているのか声を張り上げる子供の声もする。視線の多くは街道の先、ヴァレスの方に向けられている。
ヴァレスの街の影が現れる。この街は森を切り開いた街道の先、緩やかな丘の頂上に鎮座する。ここはイストリアの防衛拠点のひとつでもある。
高い壁が轟音とともに崩れる。同じくらいの高さの石の塊がまるで人間のような形を保ったまま動き回っていた。街の周囲から絶望にも似た悲鳴が上がる。
「待て!」
ネイサンが駆る馬の行く手に治安維持局の制服を着た男が立ちはだかる。馬を降りた二人は、建物が崩れる音を遠目に聞きながら治安維持局の要請に従った。街へは距離を置いて立ち入りが禁止されていた。
「これ以上は戦闘区域になっているから危険だ。近づかないように」
そう告げる局員の顔も緊張と恐怖で強張っていた。街の方では純白の兵装が躍動している。
「君の言った通りだね……」
近くにあった簡易的な馬留めのそばでネイサンは呆然と戦況を眺めた。
「あれが私の村を襲ったんです」
「間違いないかい?」
プティは強く頷いた。
地鳴りのような音がして、パラゴーレムは腕を振り払いながら仰け反る。治安維持局特殊強襲部隊の放った矢に仕込まれた衝撃魔法が炸裂したらしい。よく見れば、すでに特殊強襲部隊にも複数の犠牲者が出ているらしく、地面に横たわったまま動かない者もいる。
パラゴーレムの腕の一振りで隊員は何メートルも吹き飛ばされてしまう。立ち上がろうとするところへ足が踏み下ろされる。辛うじて避けようとした隊員の足は潰れて血で真っ赤に染まった。パラゴーレムの身体もまた、多くの人間の血を浴びて所々が赤黒く変色していた。その姿は禍々しく、死と破壊をもたらす悪魔のようにも見える。
パラゴーレムは人間でいう関節部分がいくつかあるようだった。それぞれ球状に加工した大きな群青石が挟まっており、身体の各部分の継ぎ目になっている。歩くたび、腕を動かすたびに、岩同士が擦れ合うような音がする。背中には大きな窪みが作られ、そこに一番大きな群青石の塊が収められている。
「関節を狙え!」
部隊を率いる隊長の声がする。衝撃魔法を宿した複数の矢がパラゴーレムの右腕に集中したが、いずれも不発に終わってしまう。同様に背中の群青石に放たれる矢も魔法を発動できないようだった。
「関節のところ以外は魔法が発動してる……」
恐怖に耐えているのだろう、ネイサンの袖口を掴んで震えていたプティが呟いた。彼女の言葉を聞いて状況を見ると、確かに群青石から距離のある場所に直撃した矢は魔法効果を発揮しているように見える。
準備している魔法の種類の少なさや時間を追うごとに数を減らす隊員……状況は劣勢を極めていた。戦闘区域の規制線を張る治安維持局局員たちの間にも動揺が広がるのが目に見えて明らかだった。
「支援部隊は?」「応戦しなければ!」「救助を!」
不安に満ちた声があちこちで飛び交う。その波は次第に避難した民衆の間にも波及していった。
「俺の店が……!」「お母さんはどこ?」「あいつ死んじまったんだよ!」「ああ……またやられた……」
プティも例外ではない。ネイサンの腕を強く引っ張っている。ただ戦況を見つめることしかできない自分に失望してもいるようだった。
「ねえ、どうして応援部隊が来ないんです?」
「近隣の都市で緊急的に出動できる部隊を常駐させているのはダネヴェとこのヴァレスくらいだったと思う。近いところで言えば、かなり距離はあるが、イザベル・エル領くらいだけど……」
特別自治区であるイザベル・エル領は、三賢人の一角と目される領主イザベル・エルの自治する土地で、アルマ城とその城下町周辺を指す。領外への移動は、イストリアによる公的な承認を都度必要とするため、たとえ緊急事態であろうが、相当な時間を要してようやく移動が許される。さらに、イストリア領内での戦闘行為となれば、障壁は数多く、この状況でも戦力の期待はできないというのがネイサンの見立てだった。
ヴァレスとダネヴェの治安維持局の即席部隊というのも相性が悪かった。かつて、平定されたダネヴェの都市機能運用に手を挙げたヴァレスだったが、西方魔道府がダネヴェを治めるという決定以降は関係性が悪化。ヴァレス内には、西方魔道府の公的施設設置反対運動もあって、特殊な都市運用状態が続いている。ヴァレスには、魔道府を受け入れない独自の感情がもともと存在していたのだ。親和性の低い両部隊では、未知の脅威であるパラゴーレムに有効な連携を発揮することもできない。
「市民の皆さん、後退してください!」
あちこちで規制線が押し下げられていた。プティたちの立つ場所も同様だ。
「どうしよう、アリさん、このままじゃ何もかも終わってしまうかも……!」
行き場のない不安をネイサンの身体にぶつけるが、それが何の役にも立たないことはプティ自身も強く自覚していた。
ミリア・ヴァージルはイストリア南部の街、レガルタを後にしていた。イストリアとジェザル連邦の国境沿いで頻発していた"スカルハンター事件"の首謀者移送にあたって、西方魔道府治安維持局特殊強襲部隊第三部隊隊長として部隊を率いて警護活動を終えたからだった。
今回は剣を振るうことはなかった。愛剣エスペランサーと分厚い魔法銀の鎧に仕込んだ十二本の小剣は太陽の光でウズウズと煌めく。
「バル、クラウス、帰ったら剣術訓練だ」
ミリアが馬上で長い髪を翻すと、後方を走る二人の男からは不満の声が上がる。
「いい加減にしてくださいよ、隊長。あなたが言う訓練は死闘と言い換えたほうがいい」
クラウス・アウル・ケーンはバル・フォーセスと共に副隊長を務める魔道士だ。新しく開発された魔道砲という細長い筒状の武器を背中に背負っている。それなのに、ミリアはクラウスにしょっちゅう剣を要求するのだ。
「死線を越えてこそ、明日の大地を踏む資格があるというものだ」
スラリとエスペランサーを抜いて空に掲げる。輝く幅広の刀身には細かい魔法式が美麗な文字で刻み付けられている。彫刻師である祖父が孫娘の注文通り彫り込んだものだ。剣の柄尻には磨いた群青石が嵌められている。
「死線は普通、戦場にあるものでしょう?」
バルは溜息交じりにミリアの栗色の髪がなびくのを見た。彼は生粋の魔道士だ。常に分厚い魔法符帳を携え、状況に応じてクラウスの魔法弾に付与する魔法を分配する。自身も魔法銀製の杖を使って後方支援を主としていたが、ミリアの部下になってからはメイスに持ち替え、近接戦闘の味付けも施された。この数年で筋肉量は見違えるほど増加していた。
「細かいことを気にするな」
太陽の熱を帯びた鎧の中で汗だくになりながらミリアは白い歯を見せた。暑くて辛くないのだろうかとバルは常々思っていたが、太陽のようなミリアにそんな心配は不要なのだろうと最近では思い始めた。
彼らを先頭に二十二名が赤土を煙らせてダネヴェに馬を走らせていた。すると、前方から速馬に乗った一人の人間が現れる。何かを叫んでいた。ミリアは手を挙げ全体に馬を止めるよう命じた。
「ヴァレスで襲撃!」
伝達員は必至の表情で告げた。
「部隊の状況は?」
「ダネヴェに常駐の部隊は救援に」
「何があったの?」
「ゴーレムです。ゴーレムがヴァレスの市街地を破壊。死傷者多数」
ミリアはすぐに表情を引き締めた。隊員たちの方を向き、鐙を踏みしめて立ち上がった。
「これより街道沿いにヴァレスへ向かう!」
「隊長、森の中を突っ切って近道をしては?」
クラウスの提案にミリアは首を振った。
「ダネヴェで態勢も整えたい。急がば回れ、だ」
「しかし、ゴーレム? 何かの間違いでは?」
バルがそう溢すと伝達員はすぐに返した。
「複数の目撃情報もあります。ここ最近、各地で被害を出しているという情報も数多く寄せられています」
「とにかく、急ごう。伝令ご苦労!」
ミリアは馬を急発進させた。
ダネヴェの街は騒然としていた。この頃には、ヴァレスから逃げてきたらしい住人たちの姿も散見された。怪我人たちは旧市街地の治癒院に運ばれているらしく、通りは治安維持局の人間によって交通整理が必要なほど人と馬と馬車とが入り混じっていた。
「バル、クラウスはみんなと局に戻って準備を。私は治癒院で情報を集めてくる。半時間後に東門の外に集合。行け!」
蹄の音が遠ざかる。ミリアは急いで治癒院前に駆けつけたが、建物前は混雑を極めていた上に外で処置を受けている者もいた。もう治癒院の許容を大幅に超えているのだ。
あちこちで苦悶の声や何かを叫ぶ声が上がる中を、馬を降りて治安維持局の人間らしい姿を探すミリアの目に見覚えのある姿が映った。鎧を鳴らし、駆け出す。
「隊長!」
グラムとエミリーが治癒院の救護員から手当てを受けているところだった。グラムは面倒臭そうに駆けつけたミリアの顔を見上げる。
「俺を隊長と呼ぶな」
「お久しぶりです! ここにいらして大丈夫なんですか!」
鼓膜は破れていなかったが、音が聞こえづらくなっていたグラムには彼女の大声はありがたいはずだった。だが、グラムは周囲の目を気にして迷惑そうだ。
「別に居たくてここにいるわけじゃない」
「この人は?」
エミリーは困惑した視線を両者の間で行き来させていた。
「ミリア・ヴァージル、俺の部隊にいた奴だ」
「いまは第三部隊の隊長です、よろしく!」
しぶしぶミリアの手を左手で握り返すと、エミリーは感心したような声を漏らす。
「特殊強襲部隊に女性の隊長がいたなんて知らなかった」
「隊長のおかげでここまでやってこれました!」
「だから、そう呼ぶな」
というものの、異端者としての自分を昔のように見てくれる存在の登場に、グラムはどこか安心感を抱いていた。
「隊長もヴァレスへ? 酷い怪我……」
「いや、違う。初めに言っておくが、消音区に特殊尋問官の死体がある。驚くなよ」
「どっ、どういうことですか!」
「色々説明するのが面倒だが、成り行きでこうなった。ヴァレスにパラゴーレムが出たらしいな」
耳馴染みのない言葉にミリアは首を捻る。
「パラ……ゴーレム?」
「ゴーレムを擬似的に再現したものだ。ゴーレムは伝説上の存在にすぎない」
「まさか、隊長が創ったわけじゃないですよね……」
異端者として社会を追われた過去を忘れたわけではない。十五年ぶりに姿を現したグラムが心変わりしているかもしれない可能性を彼女なりに案じたのかもしれない。
「そんなわけあるか」
「私、これからヴァレスの救援に向かうんです。少しでも情報を集めようとここに」
エミリーが意味ありげにグラムに目をやる。
「それなら、この人がいいんじゃないかしら。パラゴーレムのことをよくご存知みたいだったから」
「そうなんですか、隊長!」
「うるさい、ヴァージル。エミリーも適当なことを言うな。俺はあくまでパラゴーレムの魔法構造を推測したに過ぎん」
「でも、心強いです。お力添えを!」
「馬鹿かお前は。俺のこの傷だらけの身体が見えんのか」
「隊長は言っていましたよね、『痛みは単なる情報だ』と」
エミリーが小さく「あら、素晴らしい教え」と茶々を入れる。グラムは続けざまにミリアに応戦する。
「それに、異端者である俺に公的な立場のお前が協力を要請するのはまずいだろう」
「後で要請はなかったことに。『あらゆる状況を味方につけろ』ですよね?」
結局、満身創痍だったグラムとエミリーはミリアに帯同することになった。エミリーは、まだ魔道法廷での論点を根に持っているらしく、パラゴーレムを実際に目にしなければならないと息巻いていた。
「隊長、誰なんですその二人は?」
ダネヴェ東門の外で、クラウスが呆れた顔で出迎えた。一人はスーツ姿で右腕を吊ったアルビノの女。もう一人は治癒院の印の入ったシーツをマントのように纏い、ひびの入った骨の仮面をつけて全身に深手を負った筋骨隆々の男。どんな人間でも、質問責めにしたいだろう。
「討伐隊の協力者よ。エミリー・ガーランドさんと、グラ……」
グラムがミリアの尻を蹴飛ばした。異端者の名前をみすみす口にさせるわけにはいかない。
「ま、マスケスさん。この二人が協力を申し出てくれたのよ」
「どう見ても怪我人だ」
バルは冷たく言い放った。さもなければ、足手纏いになる民間人を戦闘に巻き込んでしまうリスクを背負う羽目になる。おおかた、ヴァレスの住人が街に戻りたいと言う姿に、情にほだされて連れてきたのだろうとクラウスも思っていた。
「ここで議論する暇はない」ミリアは複雑な状況を一言で終息させた。「余裕のある運搬用の馬に二人を乗せて。さあ、出発しましょう!」
ミリアを先頭にして、二十四名の集団がヴァレスに到着した頃には、残り少ない戦闘員たちは市街地に逃げ込んでパラゴーレムの動きをあちこちに誘導するだけの時間稼ぎに徹していた。
馬の乗った一団は、弱々しい歓声に迎え入れられた。馬を降りて、規制線の際で監視に当たっていた治安維持局局員のもとに駆け寄ったミリアは轟音が連続する街の方へ注意を向けながら、声をかけた。
「ダネヴェ治安維持局特殊強襲部隊第三部隊のミリアよ。いまはどういう状況?」
「戦闘部隊はほぼ壊滅です。市街地の被害は拡大中ですが、住民は残っていません」
地響きがして高い塔が砂煙を上げて倒壊した。ミリアは部隊を四つに分け、三隊に街の三方に向かうよう命じた。残った部隊と共に街へ接近しようという時、群衆の中から声がした。
「グラムさん!」
プティとネイサンが駆け寄ってくる。
「二人とも、なぜここに?」
「怪物の姿を見たいとパルヴィさんが……」
まるでプティの保護者に説明するような口ぶりでネイサンが言う。プティが口にした名前に隊員たちの表情がしかめられる。
「グラムさん、その怪我は?」
心配そうなプティを出来るだけ安心させようとグラムは笑顔を作った。
「気にするな。ここは危険だから下がっていろ」
「あれと戦うの?」
「まあ、そう言うことになる」
「気をつけて、群青石が魔法を邪魔してるみたい!」
プティの頭に手を置いて、グラムはミリアたちを振り返った。
「行こう」
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