家族の形(とめられなかった羅針盤)

帆尊歩

第1話  家族の形

人生には様々な岐路が存在する。

その岐路の分だけ、人生の羅針盤が存在し。

時にはその羅針盤を止めて、立ち止まる事も必要だ。

でもその羅針盤を止められなかったら・・・。



「いってくるぞ」孝夫はすでに玄関にいる。

妻の聡子はまだ寝間着のスウエット姿だ。

「今日も早いのね。まだ四時半よ」

「仕方がない。山田には六時に来いって言ってある」

「会社始まるの九時でしょう」

「あいつ。今日の会議資料、直せって言ったのに途中で帰りやがった。だから、まず説教から始めるから。六時でも遅いくらいだよ」

「ちょっとあなた、大丈夫。山田さん帰ったの十二時半でしょ。であなたが電話したのが二時で、で六時に来いなんて」

「何言っているんだ。俺の時なんか」

「知っているけれど」

「それにみんなお前たち家族のためだろう。俺だって好き好んで、二時に帰って四時半に家を出たくないさ。でも家族を守るためには仕方がないんだ」

「分かるけど。山田さんよ」

「これくらいでへばるやつなんか、辞めた方が良いんだ。じゃあ行くからな」といって孝夫は家を出た。

まだ夜も開けていない。


会社に着くと、五時四十分だった。

念のため山田が作った資料をもう一度見る。

直せと言ったところが半分くらい直ってただけだ。

今月の売り上げだって怪しいのに。

なに考えているんだ。


六時になっても山田が出社してこない。

二時間の説教のつもりだったが、これは午後も二時間しなければ、と孝夫は思った。

とにかく今の若い奴らは、追い詰めないと仕事をしない。

七時を過ぎた当たりで、他の人間が出社しはじめる。

あちらこちらで、朝の指導が聞こえる。

この中に孝夫と山田もいるはずだった。

なぜ契約が取れないのか。

なぜ簡単に諦めるのか。

訪問先で帰れと言われて、本当に帰る馬鹿がいるか。

今月は売り上げがいくのか。

その言い訳を論破して。

売り上げが行くように指導するのが自分たち係長の仕事だ。

と孝夫は信じて疑わない。

八時半から朝礼が始まるが、山田は出社しない。

これは飛んだかと誰もが思った。


十一時になって、孝夫は人事課長と、部長に呼ばれた。

「山田の件だ」と部長。

「あいつ、連絡ありました?ふざけやがって」

「行きすぎた指導はしていませんでしたか」人事課長の佐藤が言う。

「全然、普通でしたよ、確かに厳しいことを言うことだってありますけど。みんなやっています」

「いや。山田の親御さんからクレームが入っている。お前、名指しで」と部長。

「親?言いたいことがあるなら。自分で言えですよね」

「いや。そういう雰囲気ではなかったと言っておられる」お前が言うなよ、と孝夫は思ったお前が俺を詰めた時はこんなもんじゃなかったぞ。

と言う言葉を飲み込んで。

「で、山田の親はなんて言っているんです」

「労基に訴えるって言っておられる」

「はあ。冗談じゃない。この程度で。みんなやっているでしょう」

「いえ係長、その考え方が問題なんです」と人事課長が変に冷静に言う。

「いや、あいつが」

「係長、山田君。昨夜十二時半までいて、二時に電話したそうですね、で六時に来いと」

「いや、それはあいつが仕事をほったらかして帰るから」

「親御さんからは今回だけじゃないと言っています」

「それは確かに」

「親御さん。ここ三ヶ月の出退勤、全部つけていたようです。残業が百八十時間になるようです。で残業が付かないと」

「だから、営業ってそういうものでしょう」

「その考え方が、問題なんです。とにかく山田君の事は人事で何とかいたします。係長はお疲れだ。少々お休みされてはいかがですか。」

「部長、これって」孝夫はすがるように部長を見た。

「謹慎だ。お前を育てたのは私だから、責任は感じているでも、時代は変ったんだ」

「係長、ここからはオフレコです。あなたはラッキーだった。山田君自殺しそうになったようです。親御さんが見つけて大事には至らなかった。でももし万が一の事があれば、あなたも、会社も、ただでは済まなかった」



止められなかった羅針盤が止まった瞬間だった。



「あなた、ご飯よ」

「ああ」

「元気をだしてよ、別にクビになったわけじゃないし。自主退社なんだから。少しのんびりすればいいわ」

「いや俺はお前たちを幸せにしたくて」

「何か勘違いしていない。私たちは、あなたがいてくれる今の方が幸せよ。子供たちだって、パパが家にいて遊んでくれて嬉しいって言っているんだから」

「今の方がいいのか?」

「だって、あなた家にいたことなくて、みんな寂しがっていたのよ」

「俺が間違っていたということか?」

「そうとは言わないけれど」

「ならどこで間違えた。もっと早くに止めなければならないものがあったということか」

「まあ、いいじゃない。止めることが出来なかったものが、止められたんだから。また別の方法で動かせば良いのよ」


止まった羅針盤が、別の形で動き出した瞬間だった。

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