第4話
国立・
僕は彼女と違って、カウンセリングと栄養失調気味なのを補う予備入院なのでB棟で、比較的自由。そう、囚人の他に、今の俺ほどこの自由に敏感な人間は、この現代の日本には居ないという確信がある。
担当の先生は、落ち着きをみせる俺に、過去に向き合うためにも記録をとることを勧めた。これは俺が
監禁がはじまっていつ頃だったか、彼女はおそらく〈ヤバめの薬〉をどこかから手に入れてきた。これは結局、体内からも検出されなかったので、違法なのか、あるいは副作用が強いものかと思われる。彼女の社会的身分から考えれば、ドラッグストアで買える、ごくごく一般的なものを、推奨量以上飲ませたに過ぎない可能性が高い。
ともかく、それをドッグフード用のお皿に入れられていたのは、一番精神的にキツかった。いっそのこと完全に動物扱いしてくれた方が、薬のフワフワ感も相まってなりきれて、A棟に入っていたかもしれないのに、いかんせん、薬を目の前にすると、あくまでも自身が人であることを強烈に体感してしまうのだ。人にも動物にもなれない、哀しきモンスターとなった俺は、不条理だが、一方で拘束の他に見返りを求めない彼女の歪んだ愛情に溺れていった。
最初はきっとご機嫌取りだったんだ。それがだんだんとノルマや成果のようにすりかわり、やがては彼女の笑顔を引き出すのが目的になっていっていた。
雪が積もったある日、俺は初めて散歩をした。勿論、主導権は彼女が握っていたが、それは監禁生活においてまさに革命的で効果的だった。ストックホルム症候群は何かと有名だが、おそらくそれに近い心理状態が完成しつつあったと思う。その日はかなりの積雪で、聞いた話だと交通がほぼ停止し、街に人はほとんどいなかったらしい。結局、俺たちは家の周りだけだったが、大した防寒もせずに銀世界を踏み荒らし、また甘い香りのする彼女の部屋へとあがり、共に暖を取った。
何時間も、何日も、俺たちは互いの温もりを分け合った。
思えば不思議なことだが、性交渉は一度も行われずに済んだ。きっと彼女は俺を支配したかったのだろう。だから、ちょっと変な表現だけども、俺を実際的に
『どうして俺は君と居るんだろう』
『それが一番自然だからです』
『そうなのかな』
『疑ってもはじまりませんよ。運命はどう言い換えても運命ですしね』
『でも、こういう形を選ばないといけなかったのかな』
『…………ちょっとした出来心だと思われたくない。偽善者とか、ありきたりとか、そういうのはイヤなんです』
その時の彼女の瞳は怒っていた。だけども、その先にいるのが世間や親からの言葉なのか、自分自身へのものなのかは、今でも分かっていない。
彼女にしてみれば、いかに真剣に考えて、拾ってきた子であっても、〈元のところへ返してきなさい〉と言われた幼子のような、不甲斐なさと他人への不満が混濁していた。
だからこそ俺だったんだ、自分の分からないところを、たいして年も変わらないのに、誰かに教えて給料を得ているこの俺が、言ってしまえば憎く、そして愛情のように、在りし日の俺と同じく歪み錯覚した。
彼女にもたらされたであろう“キャンパスライフ”をもう誰も保障してはくれない。一生、ここに居ることも無いはずで、いずれはまた、彼女は社会生活を営む。これは彼女の責任だ。でも、彼女の受かったところのアドミッションポリシーには、主体的に、計画的に実践せよとの旨が掲げられている。
いのちがけで事を行うのは罪なりや。
彼女の両親は今回の一件を示談で済まそうとしている。成年していたので、言わば駆け落ちのように収まったのだ。
あの日、母親から様子を見てきて欲しいと伯父へ伝えていなければ、俺は最悪、死んでいた可能性だってある。家を出て、二人で放浪したが、持ち物も資金も食料もない、逆説的無人島生活は、彼女の心労というかたちで幕を閉じた。俺よりも栄養が足りていなかったのと、空腹時の睡眠薬が良くなかったようだ。晩冬とはいえ、なかなか自然に眠りにはつけないので、食事代をはたいて彼女が手に入れた、最後の買い物。保険証の存在をその時知ったので、彼女が目を覚まさないのに気付いた俺は、全てを終わらせる決心をした。潮時だ。
幸い命に別条はなく、経緯を述べ、一応の解決を経て、今の状態にある。でも、決心するのには遅すぎた。彼女を傷つけたのは何よりも俺の従順さだったのだから。
「今日も居るな」
窓際からはもう冷気が漂うことは無くなってきた。A棟二階201は、カウンセリング待合スペースの窓から見える。コの字型で大病院というほどでもない。
なので、表情は分からないけど、いつも見上げると彼女が立っているのがよく分かる。
「…………今年の冬は短かったのかもな」
春は萌えているか 綾波 宗水 @Ayanami4869
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