5:とある雨の日の放課後(後編)

◆◆◆


 視線を少し上げると、時折揺らめくクリアブルーのさざ波にあわせて、散りばめられたとりどりの魚たちが、私たちの周囲を巡るように泳いでいく。頭上はまるで、小さな水族館。

 暗い雨雲を透き通った海色のグラデーションで塗り替える、そのビニール製の天球を、弾けた雫がぱらぱらと忙しそうに駆け下りていく。


「でね~、パンちゃんとさかなこが、小学校からの幼馴染みでね~」

「あぁ、そうなんだ。多喜田さんと榊さん、特に仲よさそうだなって、いつも思ってたけど……距離感近いのも、だからなのかな」

「そうそう~、多分」


 あと、榊さんは細かいことまで、余さずセンスがいいと思う。この傘の模様もかわいいし。


「んで~、るなちとは高校入ってからだけど、全然そんな気しなくてさ。入学式の後、爆速で仲良くなった記憶ある」


 頭上で跳ね回る雨音のカーテンに遮られて、揺花の声も、二人で並んで歩く足音も、いつもより少しだけ遠いように感じてしまう。

 だけど、この音自体は、そんなに嫌いじゃなくて。

 天気が崩れがちな日は、外に出るのが少し億劫にはなるけれど。たまに、室内で耳をそばだてて、雨粒に削り出される景色を想像したりもするし。


「……ちょっと、羨ましいかも」

「え、何が?」

「一年の時から、もっと話しておけばよかったな、って。揺花とも、浦宗さんたちとも」

「え~? 今からいっぱい話せばいいじゃん」

「……それもそうだね」


 それに、揺花と一緒なら、こんな日に外を歩くのも、意外と悪くはないのかも、なんて思えたり。

 揺花の周りは、天気なんて関係なしに、いつも晴々とした雰囲気で。前を向ける、上を向ける。そんな気分にさせてくれる。

 そうすると、いつもの放課後で、ただの帰り道だけど、またほんの少しだけ、違った色に見えてくるような……そんな気がするから。


「敬語も減らしてさっ」

「うん。あ、でも、あだ名がちょっと、独特っていうか、全然呼び慣れないけど……」

「あーね、まぁ、言われたら確かに……? てかさ、あたしたちも、あだ名呼びにする?」

「え……揺花は、その方がいい?」

「ん~……あたしは今のままの方が、なんか逆に、特別な感じがして好きだけどね」

「……そっか」

「ほら、露璃のこと露璃って呼ぶの、あたしだけだし。あたしのこと揺花って呼んでくれるの、露璃だけだしさ」

「……そうだね。じゃあ、このままがいいかな」

「んへへ、だねっ」


 どんな呼び方でも、お互いを確かめ合えれば、それでいいかなって、私は思うけど。

 それでもやっぱり、あの日の放課後、夕焼けに染まった教室で口にしたあなたの名前は、とても記憶に残ってて、大切で。

 だから私は、どちらかと言えば、このままの方が嬉しいかもって思っちゃう。


「ま、とにかくさ、前にも言ったかもだけどさ、変な遠慮とかも全然いらないからね」

「うん……私が混ざると、会話がつまらなくなっちゃうかなって思って、ちょっと心配だったけど……」

「そんな心配、いらない感じだったでしょ?」

「うん。揺花のこと、もっと好きになった」

「えっ、なんでそれで……? いや嬉しいけどさ」

「素敵な友達が集まるってことは、それだけ揺花が、素敵な人なんだってことだと思うから」

「え~、何それ、今日めっちゃ褒めるじゃん」

「いつも褒めてるよ」

「まぁ、そっか。いいよっ、もっと褒めて~。毎日褒められたいっ」

「ふふっ、もう……揺花かわいい」

「いぇ~い♪ 露璃もかわいい、好きっ」

「うん、ありがとう」


 揺花の声音が躍るのにあわせて、傘がくるくると回る。魚たちが、はしゃぐように、勢いよく回遊していく。


「あ、でも……」

「ん?」

「お菓子食べてる時、多喜田さんたちと、あ~んって、してた。あれはちょっと、私がしてあげるのになって、思った、かな」

「えっ……えぇ~、嫉妬ですかな~? 独占欲ってやつですかな~?」


 不意に、揺花は私の表情をのぞき込むみたいに、ぐっと顔を寄せてきて。そのまま間近でにやにやされる。

 からかうようなその様子も、いちいち感情豊かでかわいくて。そっぽ向いちゃいたいのに、見つめていたくなる。


「そんなんじゃ、ないけど……多分」


 自分の中では、そこまではっきりとはしていない、ほんの小さなもやもやっていう認識だったのに。

 揺花は私の気持ちを、すぐに言い当てたり、名前をつけたりしてくれる。

 そうできるくらい、私のことを見てくれていて。なんだかその事実だけで、勝手に少し嬉しくなっちゃって、直前までの気持ちを上書きされてしまいそうになる。

 これが、ちょろい、ってやつなのかな……?


「んふふ~。それならさ~、露璃だってさ~、るなちにぎゅってされてたしさ~?」

「それは、私からしたわけじゃ……」

「あーあ~、あたし寂しくなっちゃってたんだけどな~」


 一転して、今度は拗ねたみたいな感じで、視線を逸らす。

 もしかして、私も今、そんな顔してたかな……。


「……えへへっ、ごめんごめん~。冗談っ」


 けれどすぐに、いたずらっぽい笑顔の陽が射して。とん、と肩を寄せてくる。

 雨に濡れないようにとか、そういうことは、関係なくて。ただそうしたいからそうする、みたいな、素直でシンプルな行動で。

 気持ちの距離を、ちゃんと行動で見せてくれるの、揺花のいいところ。やっぱり、好き。


「独り占めしたいよね~、わかる~。あたしもしたいし、してほしいし~」

「もぅ……そういうことで、いいけど」

「あ、でも、心配とかはさせたくはないけど、嫉妬してもらえるのは、なんかいいな……!」

「私はよくないよ……」

「あぁ~、なんかどんどん新しい扉開いちゃう~!」

「その扉は……施錠しておいてね」

「え、なにそれおもろ。ウケんね」

「そう……?」


 今の流れで、楽しんでもらえるようなところ、あったかな?

 でも、揺花はどんな時でも楽しそう。見習っていいのかなっていうのは、ちょっと悩んじゃうけど。


「大丈夫っ、露璃のこと考えてる時の好きは、露璃にだけの好きだからねっ」

「うん、わかってるよ」

「露璃は?」

「もぅ……ちゃんと、揺花にだけの、好きだよ」

「えっへへ~♪」


 そもそも、揺花以外の誰かに、気安くこんなこと、言えないし。言わないよ。


「てかさ、やっぱるなち、ボディタッチ多いよね。多くない?」

「え……ああいうのは、今日初めてだったから、よく知らないけど……でも、揺花も多いような気がするよ」

「えっ、あたしも……?」

「癖っていうか」

「あたしの癖? なんだろ」

「よく、手を握ってきたりとか、しない?」

「えっ、そう? 自分じゃ全然わかんない」


 揺花は空いた方の自分の手を、何かを確かめるみたいにヒラヒラと翻す。

 今日もネイルはばっちり華やかで、かわいいけれど。今の話は、あんまり納得できてないみたい。


「あとは、廊下ですれ違う時とかに、サラって触っていったりとか」

「え~、そんなん挨拶みたいなもんじゃん。手、触るの嫌だった?」

「ううん。ただ、同性だから、誰にでも気安くっていう感じなら、どうなのかなって」

「それは確かに。や、そうじゃない、つもりだけど……」

「……私は、揺花にされるのは……どっちかっていうと、嬉しいから、全然いいんだけどね……」

「えーよかった~。じゃあいっぱい触るね!」

「えっ、えぇ……ほどほどでね……?」


 揺花が言うと、私の許容できる限界まで密着してきそうで、ちょっと心配になるんだけど……。

 でも、私の無理なラインも、きっとわかってくれてると思うから、そこは安心だし……よくわからなくなっちゃうよ。


「てかよく見てんね!」

「揺花だから……かな」

「意識してくれてるんだ?」

「そういうのは、いちいち言わなくてもいいのっ……」


 言葉にしたら余計に、意識しちゃうから。そしたら余計に、上手く伝えられなくなっちゃうから……。


「露璃もさ、もっとあたしに触っていいよ! あたしは嬉しいからさっ」

「その、それだと言い方がちょっと……」

「え、どんな言い方ならよかった?」

「それは、わからないけど……」


 それに、意識するとかしないとか、そういうのとは関係なく、最近はすっかり、あなたのことをよく考えるようになった。

 好きになったから、そうなったのか。そうしている内に、好きになったのか。それはよく、わからないけれど。

 ずっと揺花のことを考えていたい。そんな自分には、心当たりがある。


「まぁまぁ、また上手くできるかな~とか、失敗しないかな~とか、そーいうの、あたしに対しては気にしなくていいからさ」

「それは多分……前よりは、大丈夫だと思う」


 少し前まで、上手くできない自分は、好きになれなかったけれど。揺花を好きになったおかげで、揺花のことを考えている自分は、好きになれたような気がするから。


「てか、あたしなんかさ、自信なくてもとりあえずやっちゃうよ? るなちなんか、もっとすごいし。自信ないのに、自信満々で前髪カットしてるんだから」

「……ふふ、ないのに満々って……ふふふっ」

「嫌だったら、普通に言うしね」

「触ったとしても、嫌がるほどは、しないよ」

「え~、わかんないよ~? あたしのお腹、触り心地よくなかった? やみつきになっちゃうかも!」

「体操服越しだったし……」

「あ、直接触りたかった? も~、しょうがないんだから~」

「そうじゃなくてっ……」

「えへへ、ごめんってば~」

「もぅ……」


 雫のベールに囲われた、傘の内側だけの小さな世界。

 この二人だけの空間が、なんだか無性に心地いい。

 気付けばいつの間にか、雨音の方がずっと遠くに感じられていて。

 今日も揺花が、こんなに近くにいてくれてるんだって、再認識させられる。


「ん、どうかした……?」

「……ううん、なんでもない」


 その、瞬きの度に星がきらめくような瞳も、鮮やかに透き通った唇も、今は私だけに向けられている。

 かわいくて、嬉しくて、頼もしくて、誇らしくて……だけど、そんなことを考えるよりも先に、ただただ視線を奪われて。

 いつも、投げかけられた言葉に答えるまでの一呼吸が、不自然になっていないかなって、気になってしまう。


「あ、そーいやさ」

「うん」

「今日も、つけてくれてるね」


 なに、とは言わなくても、いつもの香水のことだって、すぐわかる。

 なるべく周りにバレないようにって思って、つけてる量は控えめにだけど。この距離なら、ちゃんと気付いてもらえるから。私にとっては、それでいい。

 でも、今日、浦宗さんには、気付かれちゃったかな……?


「揺花も、だね」

「そっ」


 最初は、学校につけていくの、ちょっと緊張もしたけれど。

 揺花と秘密を共有しているみたいな楽しさとか、揺花がいつでも側にいてくれているような心強さとか、そういうモチベーションが後押しになって。今では、私の大事な身だしなみ。


「やっぱあたし、好きだな~これ」

「うん、私も……」


 もっと近くで確かめあおうと、歩きづらいのも気にせず身体を寄せ合って。

 吸い寄せられるように視線を傾けたところで、お互い不意に見つめ合う形になって、ドキッとする。

 示し合わせたように、どちらから共なく、一瞬足が止まる。


「……あのさ。公園の方、ちょっと遠回りしてかない?」

「……うん、いいよ」


 雨はまだ、しばらくやみそうにないけれど。

 私たちの足取りはもう、水溜まりにも臆さず踏み出されていて。

 また、視界を巡る魚たちの群れが、スピードを増していく。


◆◆◆


「お、あそこ屋根あるよ。雨宿ろうぜ~」


 学校を出た時よりは、少しだけ小降りになったような気もするけれど。雨雲の切れ目はまだ見えなくて。

 通学路途中の公園内にある東屋を指差す揺花の、その誘導灯みたいな指先に促されるまま、二人でその屋根の下まで小走りで退避する。


「ふい~、さかなこの傘まじありがてぇ~」


 私たちの頭上を覆っていた水底の世界は、揺花の手元でくしゃりと畳まれて。小さな海から絞り出されたみたいに、水滴が滴り落ちる。

 生き生きしていた魚の群れたちも、しおれるみたいに模様に戻って、ちょっと残念。


「揺花、腕疲れてない? 傘、ずっと持っててくれて……」


 私の背丈に合わせて、ちょっと高めに腕を上げててくれたもんね。優しいんだから。


「え? これくらいへーきへーきっ。露璃の方こそ、濡れなかった?」

「うん、大丈夫。ありがとね」


 東屋の柱に傘を立てかけた揺花を待ってから、二人で隣り合って、ベンチに腰を下ろす。


「それで、急にどうしたの。帰りたくなくなっちゃった?」

「ん~、まーそんなとこ。もっと一緒にいたいな~って」

「それは……うん、そうだね」

「雨降ってるとさ~、こないだみたいに、コンビニ前でだらだらもできないし、駅前の方とか、モールの方まで行くのも、ちょっと遠くてだるいじゃん?」

「あぁ、それもそうだね」


 公園には私たちの他に、人の姿もなくて。

 そのせいか余計に、東屋の屋根の分だけ広がった、二人だけの世界感が強くなる。


「ね、あのさ露璃」

「うん」

「ちょっと、やってみたいことあるんだけど、いい?」

「なに……?」

「えへへ……膝枕~。やってもらってもいい?」

「え、うん、いいけど……なんで?」

「いや~、つい」

「つい……?」


 そんな衝動的に膝枕してほしくなることある……? 揺花なら、あるのかな……。


「てか、ずっとやってみたかったのっ。けどさ~、教室の椅子だとなんかやりにくいしさ~」

「甘えん坊なところ、誰かに見られても知らないよ」


 私も、ちょっと、恥ずかしいんだからね、それ……。


「雨だし、誰も来ないって。それに、露璃には甘えたいじゃん! 一回はやってみたいロマンじゃん!」

「えぇ……なんでそこ、力強いの……?」


 普段はむしろ、私の方が揺花に甘えてるくらいだと思うし……これくらいは、全然いいんだけど。

 付き合ってたら、普通のことなのかもしれないし……!


「ってことで~、お邪魔しま~す」

「う、うん……!」


 鞄を脇によけて、スカートをちょっと整えると、空いた太ももめがけて早速、ウキウキで身体を傾けた揺花が頭を預けてくる。

 あ、これ、意外と恥ずかしい……。


「おっほ~、これこれ~! やば、最高じゃん!」


 というか、揺花の頭の重みを受け止めるだけでも、結構ドキドキしちゃってて。

 肩を寄せ合って歩いていたさっきまでとは、また違った距離の近さっていうか、今まで感じたことのないタイプの密着感っていうか……。


「……喜んでもらえたなら、何よりだけど……」


 とりあえず、さらさらとこぼれていくきれいな髪を、すくい上げるように撫でながら。思いがけない動揺でバラバラに崩れてしまった語彙力を、頭の中で整理する。


「あ~、もっと頭撫でて~」

「あ、うん……」


 というか、無意識で撫でちゃってたんだけど、お気に召したみたい。


「いや待って、せっかくだし、もうちょっとちゃんと寝心地確かめたいっ」

「えぇ……!?」


 揺花ってば、いつの間にか、ちゃっかり靴まで脱いでいて。自宅のソファか何かと思ってるのかなっていうくらい、リラックスしてる。

 さすがに、それは、無防備すぎると思うんだけど……。


「んっしょっ、と……」


 制止する間もなく、ベンチの余ったスペースいっぱいに身体を広げるように、ごろんと仰向けになる揺花。

 それから、寝返りを打つみたいに、私側に向き直って。上手くポジションを整えられたか確認するみたいに、横目でちらっとこちらを見上げてくる。


「えへへ」


 目が合うと、揺花はにこってはにかんで。なんだかいつもより、ちょっと幼く見える気も。


「んん~、や~わらか~い」

「そういう感想はいいよ……」


 スカート越しにぬくもりを感じる、揺花のほっぺたの方が、柔らかいんじゃないかな。ふにゃってつぶれた顔も、かわいいね。


「一家に一人ほしいやつ~」

「……揺花の分しかないよ」

「え~、うち住んでくれる?」

「家族の方に、迷惑でしょ」

「え~、大丈夫なのに~。あ、じゃあ、あたしたちだけで同棲する? 結婚する?」

「簡単に言うけど、大変だと思うよ」

「露璃、家事とかも得意そうだし、だいじょぶじゃん?」

「私、揺花のお世話係じゃありません」

「え~! ママぁ~!」

「……恋人ですけど」

「それはそう。またお腹撫でて~」

「はいはい……」


 やっぱり、甘えん坊の、猫みたい。

 あんまり油断してると、さすがに私だって、ちょっとは悪戯したくなっちゃうよ?


「んっ、うひょっ、お腹くすぐったい~っ! あはははっ、あは~っ!」

「ふふ、ここがいいの? それともこっち?」

「んあぁ~、全部~っ、あははっ!」


 かわいい悲鳴を上げて、じたばたしながらでも、膝枕はやめないんだ。


「はぁぁ~……ね、待って待って、ぎゅってしたい。していい?」

「え、この体勢のまま……?」


 それじゃあ、私の方ができないよ……。まぁ、後でさせてもらえばいっか。


「あ、ごめん、制服にリップついちゃうかな」

「それは、気をつけてもらえれば、別にいいけど……」

「そ? じゃ遠慮なく~、んぎゅぅ~~っ」


 明らかに食い気味の勢いで。一度上半身を起こすようにして、身体をもぞもぞとよじりながら、両腕を私の腰に回しつつ。這い寄るように、私のお腹に顔を押しつけてくる。


「んっ……ちょっと、そんなに強く、抱きつかないでよ……」

「え、腰ほっそ」

「ぁ、んんっ、くすぐったいから……ぁっ」


 変な声出ちゃったでしょ……また恥ずかしいことさせるんだから……。


「へへ、これでおあいこ~」


 悪戯が成功して喜んでいるのが丸わかりの笑顔で、また見上げてくる。

 この距離から見上げられるの、やっぱり思ったよりも恥ずかしいよ……鼻の穴とか見ないでね……。


「はぁ~っ、まんぞく~!」


 しばらくそのままでいた後。言葉面とは裏腹に、揺花は少し名残惜しそうに身体を起こしてから、たっぷりと伸びをする。

 そんな仕草まで、なんだか猫っぽく見えちゃって。もう少しだけ、撫でていてあげたくなっちゃうな。


「でも、またやってほしいな~。あ、露璃もやる? やってあげるよ?」

「えっと……考えとく」

「オッケ~。あ、でもさ、下から顔見られるのって、シンプル恥ずくない?」

「……私は今まさに、見られてたんだけど……」

「あはは~。かわいかったよっ。あたしは好きっ」

「そう言えば、なんでも許されると思ってない?」

「許してもらえない?」

「そんなことは、ないけど……」

「へへ、やっさしぃ~」


 その態度は、ふざけてるんだか、本気なんだか。でもきっと、揺花の言葉の中には、どっちもあって。

 それが、私の頑なな部分を解きほぐすのには、ちょうどいい温度感なのかもって思う。


「てか、まだあるよ。いつもきちっと、ぴしっとしてて、かっこいいところも好きだし、実は色々考えちゃっててテンパってるとこもかわいくて好きっ」

「……はっきりしない時も、悩みすぎちゃう時も、まだあるよ?」

「そんなん誰でもあるでしょ。あるくない?」


 揺花がそれでいいって言ってくれるなら、好きだって言ってくれるなら。私が前を向くには十分なわけで。


「いろいろやってみればいいんだって。あたし相手なら、失敗してもいいよ、気にしないよ」

「私が気にする……。逆なの、揺花だから、気になるの……」

「じゃあ、失敗した時は言って、記憶消すから!」

「……ふふっ。もう、なにそれ」

「で、あたしがやらかした時は、露璃よろしくねっ」

「うん……」


 色々心配しすぎるのも、なんだか揺花のことを信用していないみたいに思われるかなって気がしてたけど。

 それでも私のことを、気にしてくれて、嬉しくて。

 だからせめて、揺花にも嬉しくなってもらえるように、私からもちゃんと、好きの気持ちを伝えたい。


「あ、ごめん、またあたし、喋りすぎ?」

「ううん。揺花の声も、お喋り聞いてるのも、好きだよ」

「え、嬉し~! 露璃は黙ってるの平気な方? ぽいよね。シーンってなっちゃうのとか、いける?」

「うん、割と。……揺花は、無理そうだね」

「そーなの~! 人とお喋りするの大好きマンだからねっ」


 その明るさや、騒がしさが、私を照らしてくれるから。私はそれが、揺花のいいところだと思うけど。


「……膝枕、今度、お願いしようかな」

「うんっ、まっかせて!」


 無邪気なようで、包容力もある感じなの、揺花ってばやっぱりずるいよね。また好きになっちゃう。


「てかさ、露璃はなんか、他にやりたいことない?」

「やりたいこと? ……あるよ。揺花としたいこと、いっぱいある。むしろ、増えていってるかも」

「そうなんだ。嬉しいじゃん」

「揺花のこと、好きになるほど、欲張りになっちゃってるような気がする」

「えー、いいじゃんいいじゃん。欲張ってこーよ」

「いいの……?」

「今日は膝枕してもらっちゃったしね~。あたしだって、なんでも付き合うよ?」


 やっぱり、優しいんだから。ちょっと、悪戯好きが過ぎる時はあるみたいだけど。


「あ、そだ! 露璃のしたいこと、一つやれるじゃんっ」

「え……?」


 突然思い立ったように、自分の鞄を漁る揺花。得意そうに、小さなお菓子の個包装を取り出して見せてくれる。


「ほら、パンちゃんにもらったチョコ残ってた。ちょうどいいじゃん」

「何が……?」

「あたしがあ~ん、してあげるっ。はい、口開けて~」

「えっ、えぇ……!」


 私がしてほしい、っていうつもりじゃなかったんだけど……でも、してほしくないわけでもないし……。


「あ、でもあれだね、普通にやってもつまんないから~……はむっ」

「えっ……」


 面白さとか意外性なんて追加のスパイス、全然そこに求めてなかったはずなのに。

 揺花の中でどんなインスピレーションが湧いたのかもわからないまま。自然な流れで、しっとりとグロスで濡れた淡いピンクの唇が、個包装から取り出されたチョコを甘噛みしてて。


「んん~っ……ふゆり~っ」


 揺花はそのまま、小さなあごをくいっと突き上げて、咥えたチョコを私に向かって差し出してくる。


「えぇ、待ってよ、揺花っ……そのチョコ、口移し、するってこと……?」

「ふんふん!」


 すごく頷いてるし。


「ほへひゃうひょ~?」


 ……早くしないと、溶けちゃうよ、って……?


「え、えっと……えぇぇ……」


 一応、公園をさっと見渡して。やっぱり誰の視線もなくて。

 なんなら揺花なんて、まるでキスするつもりみたいに目を閉じちゃってて、もう他のことなんて見てない。


「うぅ~……もう……っ」


 こういうのは、勢いだよね。さっと受け取っちゃえば、全然なんでもないやつだよね……!


「……ぁむっ……!」

「んふっ」


 なんだけど、ちょっと勢いをつけすぎたみたいで、お互いの鼻先同士がぶつかって。

 それでもなんとか、パスは受け取れたけれど。揺花は目論見通りっていう感じで、満足そうににやにやしてる。私はそれどころじゃないっていうのに……。


「ど? おいしい?」

「……んむんむ……っ」


 なんだか余計に甘く感じるような、そもそも味なんて、わからなくなっちゃってるような。なんなら、求められてる感想は、そういう方向性じゃないのかもしれないし。

 どっちみち、口の中でとろりとほどけた、繊細な甘さとほろ苦さを飲み込むまでは、何も言えなくて。

 普通に手で受け取ればよかったのにとか、今更冷静になっても手遅れで。

 ただ、しばらく無言で、揺花を睨むだけ。


「やっぱ、新しい扉開いちゃうかも。ねっ」

「……むぅ……」


 その扉、私の分まで一緒にこじ開けようとするの、やめてよね……っ。


「あっ、見て見てっ、なんか晴れてきたくない?」


 今の私にできる精一杯の抗議の視線を、わざと避けるような、揺花の視線を追って空を仰げば。いつの間にか、雲の隙間から陽射しが降り注いでいて。


「てかもう、ほとんどやんでるじゃん、よかった~。やっぱ天気予報ガバだね」

「……うん……」


 どうにか相槌を返しつつ、無理矢理、乱れた呼吸を整える。


「それか、もしかしたら、るなちのてるてる坊主が効いたんじゃない?」

「ふふ……うん、そうかもね」


 揺花が晴れ女っぽいからというか、湿っぽい天気を吹き飛ばす、太陽っぽさがあるから、っていうのが、私の意見かな。なんて。


「えっと……どうする? もう、行く……?」

「んーとね、じゃあもういっこだけ」

「え……?」


 そこで揺花はおもむろに、立てかけてあった傘を手に取って。


「なに……?」


 もう、雨をしのぐ必要もなくなったのに。また、青くて小さな世界で、私たち二人を覆いながら……。


「んっ……」

「……!」


 今度は、周囲の様子を伺う隙もないまま。

 さっきチョコを口移しした時よりも、もう数センチだけ近くまで、揺花が顔を寄せてくる。

 また、目の前の唇に視線を奪われて。いきなりでびっくりして、身動きもできなくて。それなのに不思議と、受け入れる準備はできていて。


「ん……ちゅ……っ」


 いつも優しさや元気を紡いでくれる、揺花の明るく澄んだ声が好き。

 だけど、こうやってそれを塞いで、代わりに、お互いの体温や息遣いだけで通じ合うのも、好き。

 こういう距離感の確かめ合い方があるんだと知ってからは、この方法が、一番好き。


「……んっ……はぁ……っ」


 結局、やりたいことを、やりたいようにやればいい、っていう、揺花に賛成してるんだって、思い知らされるっていうか。

 でもホント、こういうのは、私以外にはやっちゃダメだからね……!


「はぁ……えへへ、しちゃったね。キス」


 ほんの瞬きの間に押し寄せた不意打ちのせいで、せっかく整えた呼吸が、また乱れていて。

 深呼吸のつもりで息を吸い込むと、残ったチョコレートの香りの奥に、少しだけ、いつもの揺花の匂いを感じたような気がした。


「やっぱさ、ちゃんとしときたいし、したいかなって」

「……外だよ」

「誰もいないし、傘で隠してたじゃん」

「……透けてるけど」

「いや、色ついてるし、模様もあるし、ちゃんとは見えないって、ほら!」


 揺花が必死にかざす、魚たちの群れとビニールの海の向こうには……すっかり雨雲を押しのけた夕日が、ちゃんと顔を覗かせているわけで。


「また、誰かに見せつけたい病?」

「え~、健康ですけど~!」

「そっか」

「てか最近はね、逆に、誰にも見せたくない病~っ。だから隠しちゃうっ」

「……やっぱり、煩ってる」


 それで言うと、私もそうかもしれないけれど……。


「てかさ……なんか、初めてキスした日からさ」

「……うん」

「その後会っても、あれ、露璃、案外普通だな……ってなってたんだけどさ」

「……ちゃんと、意識しちゃってたよ」

「だよねっ、実はそうだよねっ。あたしも~!」


 ほっと胸をなで下ろしながら、ベンチの背もたれに身体を預ける揺花の様子は、なんだか普段の自信にあふれた姿からすると、少し意外なようにも見えるけど。

 揺花でも、そういうこと、気にするんだ、揺花もそうなんだってわかると、もっと深く通じ合えてるみたいに感じられて、また嬉しくなる。


「露璃、一瞬で慣れちゃったのかな~って思ってたけど」

「そんなこと、あるわけないでしょ……」

「へへ、だよね。やっぱね、うんっ。今日のリアクション見てたら、そんな気した」

「からかわないでよ……」

「そんなんじゃないって~」


 あっという間に、いつもの元気なノリを取り戻していて。じゃれつくみたいに、ぐいぐい身体を寄せてくる。


「てか、慣れるように、練習する?」

「……慣れなくて、いいかも」

「そう? ドキドキしなくなっちゃうとか? それはやだもんね」

「ううん……なんていうか……我慢、できなくなっちゃいそうで……」

「えっ、なにそれ……」

「していいって、わかっちゃってるから……慣れちゃうと、やめられないかもって、心配で……」

「えーやば、そんな露璃、見てみたいじゃん……!」

「困るよ……」

「えへ~、困らせた~い! もっとちゅーしよ、ちゅ~!」

「やめてよ、もぅ……」


 あぁ、ダメだよ、もう、何言ってるんだろう、私……。

 こんなの、もっとしたい、そうしてほしいって、催促してるようなものなのに。

 揺花ならきっと、そんな私の気持ち、すぐに気付いちゃうはずなのに……。


「まぁほら、あたしたち的には嬉しいことだし、ちゅーするの、いいことだしさっ」

「いいこと……?」

「なんかね、いっぱいすると、痩せたり肌きれいになったり、幸せになったりするんだって。なんかの動画で言ってた」

「……そのために、するの?」

「え? ううんっ。露璃が好きだから、したくなるのっ」

「……ふふっ、うん」


 そんなの、私たちにとってはもう、当たり前のこと。今まで何度も伝え合ってきたこと。

 いちいち確認する必要なんて、ないはずなのに。それでもやっぱり、こうやって言葉にして、交わし合いたくなる。


「私も、揺花が好きだから、したいよ」

「えへへ~、嬉しっ」

「さっきみたいなのは、びっくりするから、ちょっとどうかなって思うけど」

「ちょっとぐらい、いいじゃ~ん」

「もぅ……しょうがないんだから」


 こういうやり取りまで含めて、私はあなたが好きだから。そんな私を、あなたが求めてくれるから。

 だから、いつまでもこの距離感で語り合っていたいって、思えるのかな。


「えへへっ……じゃ、帰ろっか」

「うん」


 ぱっとベンチから飛び上がるみたいに、勢いよく立ち上がった揺花から、いつもぽかぽかしている、小さい太陽みたいな手が差し出される。

 そっとその手を取って立ち上がれば、いつものぬくもりと一緒に、安心感が広がって。やっぱり、揺花に触れたかったんだって、自覚する。

 優しく指を絡めながら、その手を、いつもより、ほんの少しだけ強く握り合って。

 二人で並んだまま、一人の時よりも軽く感じる足取りで、大きな水溜まりだって飛び越えていく。

 揺花がいてくれるなら、天気予報もいらないなって。なんだか、そんなふうに思えるよ……。

 だから、明日もまた、私が一歩踏み出す先を、照らしてほしい。私も、あなたの隣を、離れずに歩くから。


☆つづく!

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