4:とある初デート(後編)
◆◆◆
「うーわヤバ、おしゃれサンドちょー映えじゃん~! でも盆栽タピオカはなんか、想像してたよりも普通くない?」
ゆったりとした店内BGMに申し訳なくなるくらいの、強い日差しみたいによく通る揺花の声で、カフェの雰囲気がリニューアルされちゃいそう。
「どんなの想像してたの……? 特徴的だとは思うし、おいしそうだよ」
だんだん駆け足になっていってるんじゃないかなっていうくらいの勢いで、ショッピングモールの端から端まで、行ったり来たり。お気に入りのお店をあちこち巡った後でも、揺花ってば、まだまだ元気のストックが充実しているみたい。
かわいいものも、おいしいものも、楽しいものも、揺花の好きなものがプレートいっぱいに盛り付けられてる、っていう感じのランチセットを前にした今は、いつも以上に目をキラキラさせながら、向かいの席ではしゃいでる。
「そっか、だよね! とりまインスタ上げとこ~」
手をつける前に、しっかり写真に収めるのも忘れない。
お店に入るところから、メニューを選ぶ時も、こうして料理と対面してからも、その一瞬一瞬を、ずっと楽しそうにしている揺花を見ていると、こういうカフェの楽しみ方も、なんだかいいなって思えちゃう。一人じゃあんまり、そういうふうには考えないし。
私にとっては、二人だからこそ見える角度。それなら私も、揺花に何かを、見せてあげられてるといいんだけど……。
「インスタッググラム、やってるんだ」
「そうそう。露璃はやってる?」
「ううん、たまに見るだけ」
「え、どんなの見てんの?」
「えっと……お料理とかかな。もみじキッチン、っていう人の、よく見るかも。あとは、動物とか?」
「あーわかる~、見る見る。あでも、あたしはゆうのんとか一番よく見てるかも」
「アイドルの子だっけ」
「そうそう、推しなの。他だと最近はね、なつきちゃんって読モの子とかフォローしたかな。るなちに教えてもらったんだけど、るなちのお姉ちゃんの、大学の友達なんだって。ヤバくない?」
「へ~、浦宗さん、お姉さんいるんだ」
「うん、お姉ちゃんと妹ちゃんいるんだって」
ぱっと見、ちょっと食べにくそうにも見える分厚めのサンドイッチを、揺花は手際よく整えて、もう待ちきれないっていう勢いで口に運ぶ。
いつも教室で大笑いしてる時よりも、まだ大きく開くんだ……なんて思ってる間に、きれいに並んだ小さな歯がちらりと覗いて、すぐサンドイッチに埋まっていく。
やっぱり揺花は、食べてる時も表情豊かで、なんだか喋らなくても食レポになってそう。
「ん~! うま! てか、チックトックとかもさ、なんか無限に見ちゃうよね~」
「あ、そうだね。宿題終わるまでは、開かないようにしてる」
「うわ、えらちぃ~。あ、ほら、ハイドランジアちゃんって子のメイク動画とかさ、すごい参考になるよ。元がいいのに更に盛るの。こっちはさかなこに教えてもらったんだけどね」
「へぇ~……」
スマホもいじりながらなのに、お喋りも、食事も、私からしたらすごいペース。置いていかれちゃいそう。
プレートに並んでいたサンドイッチも、そこそこのボリュームだと思ってたのに、話してる間にどんどんなくなっちゃってるし。
「……食べるの、早いよね。私が遅い?」
「え、そう? ごめん、露璃はゆっくりでいいよ。てかパスタもおいしそうだね~」
「うん。食べる?」
「あ、いいよいいよ、お気遣いなく~」
「……もう一本フォークあるから、間接キスには、ならないよ?」
「んも~! そこは気にしてないしっ、むしろちゅっちゅしてぇわ!」
「そうなんだ……」
「大体、口に入れるんならそれ間接ディープキスじゃん……じゃ、なくてっ! 後でデザートも入るからねっ」
「あぁ……さっきは、あんなにお腹空いたって言ってたから、いいのかなって思っちゃった」
「てかね、これでも一応、体型には気ぃつけてるわけよ。ホントはラーメンとかいっちゃいたい腹気分なんだけどさ。家系の、でもちゃんと、もやしいっぱい乗せたやつね」
「それは、意味あるの……?」
「サラダも、体型キープのために食う!」
有言実行とばかりに、付け合わせまで、きれいに平らげていく。
「これも全部、夏にへそ出すため! でもデザートも食う!」
「ふ~ん……揺花のおへそ、楽しみにしておこうかな」
「えっ、プレッシャーじゃん! じゃあ露璃も出してよ!」
「え……私は、やだよ、恥ずかしいから……」
「えーっ! でも恥ずかしがってるのもいいな……!」
「やだよ……」
気付けば、揺花のタピオカも、半分くらいなくなっていて。
私は遅れて、ちょっとずつ、クリームパスタを減らしてく。
「なんかさー」
「うん」
「昼休み以外にさ、二人っきりでご飯しながらお喋りすんの、新しくない?」
「……そういえば、そうだね。新鮮かも」
夜、通話したりとかはしてるけど。こうやって、同じ空間で、どこかに出かけて、っていうのは、初めてだもんね。
デートだから当然って言えば、そうなのかもだけど……というか、デートだっていうこと意識したら、フォークを回すスピードが、もっと遅くなっていっちゃう。
「てか、いつもあたしばっか話しちゃってごめんね?」
「えっ? ううん、全然いいよ」
「興味ないかな~って思ってもさ、ちゃんと話聞いてくれてるの、嬉しいからさ。ついいっぱい話しちゃうんだよね」
「揺花のことだもん、興味なくなんてないよ」
「やだー、もっと興味持って持って~」
「私の方こそ、あんまり面白い話できないし……」
「えー、そんなことないって。それに、自分の意見しっかり言えるし、無駄に他人にあわせたりしないの、なんかかっこいいなって思うよ。憧れる。あれ、言ったっけこれ?」
リップ塗り直しながらでも、そんな熱弁できるんだ。私にとっては嬉しい言葉、そんなサラッと出ちゃうんだ。
「私は……空気読めてないだけだよ」
「え、でもさー、あんままわりの目とか気にしすぎちゃったらさ、疲れちゃうじゃん? 疲れない?」
「ん~、そういう時も、あるかもだけど……揺花みたいに、ちゃんと自分らしくできて、誰かに好かれて、って、できる自信ないし……」
「いやいやいや、あたしのはさ、嫌われるのヤだからってだけだし。好かれる方がよくね? 的なさ」
「それは……誰でもそうじゃない?」
「あと、なんでもかんでも、喋りすぎちゃうし」
「そうなの……?」
「え……ほら、あたしたちのこと、るなちたちには話しちゃってるじゃん」
「それは、もう全然気にしてないよ。私の考えすぎだったし」
「ホントはさ、誰かに言うつもりなかったんだけどね。露璃、気にしちゃうタイプかもなって思ってて」
あぁ、最初から、気遣ってくれてたんだね……。
私のことを考えてくれてる、目線をあわせてくれてるその感じ。目の前の相手を見て、理解しようとしてくれてる、そういうところ。また私、惹かれてる。
「でも気持ちブチ上がっちゃって、言っちゃった」
「そんなに……?」
「だってさ~、告白、嬉しくてさ。あんなの初めてだったし。思ってたこと、伝えられたし」
ちゃんと嬉しいって、思ってもらえてたんだ……よかった。それがもう、嬉しい。ぎゅってなってた身体の芯が、少し軽くなって、ふんわり羽に変わったみたい。
「でも思ったのは、自分の気持ちはっきり言うのって、いいね、ってこと。結局さ、素直な方が、なんか得じゃん?」
「それは……そうかも。そう思う」
「デート楽しい、ランチうめぇ、露璃好き、ってさ」
「……私、サンドイッチと同じ?」
「いや一番っ! 順番なんてつけらんないくらい一番だから!」
「……ごめん、今のは、また意地悪言っちゃった」
「え、んーん、いいよいいよ。露璃がそうやって、だんだんやーらかくなってくの、めっちゃ嬉しいから。見ててもっと好きになるってかさ」
「ホントに……? 彼女、上手くできてる?」
言ってから、またいつもの悪い癖が出ちゃったかなって、ちょっと反省。
「ほらまた~、上手くやらなきゃってやつだ。考えすぎじゃない? あたしなんか、全然いっぱい失敗するよ! や、それはそれで、ダメかもだけどさ」
だとしても、揺花はその分、フォローも上手だし。
私にも、私なりに考えてることは、あるわけで。
「私は、そういう関係になるからには、ちゃんとそれに相応しい向き合い方をしたいなって。適当にするのは、よくないと思うし、揺花にも悪いし」
「出た、真面目じゃん。え、ちょっと語っていい? 食ってて食ってて」
「え、はい、どうぞ」
「あたしさ、難しいことはよくわかんないけど、好きになれるものを好きになっていいと思うし、嫌いなものは嫌いでいいと思うんだよね。別に誰にも迷惑かけないんだしさ」
お店の名前が入ったおしゃれなペーパーナプキンで口元を拭いつつ、揺花の言葉にうんうんと相づちを打つ。
「パパもママも、あたしのやりたいようにしたらいいよって。今の子なんだから、古い考え方に縛られなくてもいいよって、言ってくれるの。やりたいことは、なんでも挑戦してみなって」
「……素敵だと思うけど、そういうの」
「そんでさ、結構ね~、習い事とかもいっぱいやってたんだよ? 硬筆でしょ、習字でしょ、そろばんに、ピアノ、水泳、絵画教室にも通ったかな~。ま、全部長続きしなくて、一瞬で辞めちゃったけどね」
私も、書道はやってたなぁ。揺花、やっぱり器用で多彩なんだね。あ、でもそういう話じゃないよね。
「だから~、好きになった人と、恋もしてみたいわけよ」
「……それも、飽きたり、辞めちゃったりする?」
「えっ、そんなことないない、しないって。露璃のこと飽きるわけないじゃん。むしろガチだから、大事にやっていきたいのっ」
「……ごめん、私今日、なんかめんどくさいかも……」
「あはは、めんどくさくない人間なんていないじゃん」
「そうかな……」
そんなふうに言ってもらえたら、また揺花の優しさに甘えちゃう。なのに揺花は、それでいいって、にっこり手を差し伸べてくれる。
それじゃあ、私は……揺花に甘えないようにするんじゃなくて、揺花にも甘えてもらえるようになればいいってこと、なのかな。
そうやって、バランスっていうか、歩幅を合わせていけば、いいのかな……?
はぁ……無意識にまた、正解を探しちゃう……。
「だからね、要するにねっ、あたしはとにかく、したいことしちゃえばいいじゃん派なんだけど」
「うん……」
「そんなあたしとでも、まだ、厳しそ?」
「えっと……?」
「自分の採点、ゆるくするの、怖かったりとかする?」
あぁ、揺花が言いたかったのは、そういうこと。
ううん、最初からずっと、言いたかったのは、こういうこと。
「……まだ、慣れなくて、緊張もするけど……でも、怖いとか、そういうのはないよ」
その一言は、すとんと目の前に落ちてきて。
「揺花と一緒に、慣れていければな、って……変わっていければなって、思ってる、から」
揺花になら、いつもはできないような、自分をさらけ出したり、気持ちを届けたり、受け取ったり……そういうことができると思うし、そうしていきたい。
「んへへ、よかったっ」
私は、二人で分かち合うものを、良いも悪いも、慎重に吟味するつもりだったけど。
揺花は、そんなの気にしない。いちいち選ぶつもりなんてない。
恋の中に、そういうことも全部含めていいよって。私たちの中だけの、自由だよって。最初から言ってくれてたんだよね。
「露璃がさ、いっぱい悩んで考えてて、っていうの知ってるし。それで考えてくれてるのが、あたしのことだっての、めっちゃ嬉しいんだよ」
ホントの自分には、自信がなくて。だから頑張って、張り詰めて。
でも揺花のおかげで、揺花の前でなら、少しだけ。そんな自分を、更新できたりしたのかも。今はそんな気がしてる。
「こういうとこ、性格合わないかもだけどさ、なんか似てないっぽくて、意外と似てるんじゃない? あたしたち」
「そう、かな……?」
「好きな相手のこと、考えすぎなとこっ」
「……うん、そうかも。そうだったら、嬉しいな」
「ねっ」
少しだけ、はにかむように、微笑んで。今度は、店内の喧噪にさえ紛れてしまいそうな、優しい声音で。まるでロウソクを吹き消すみたいに、私の中の小さなもやもやを、軽々と払ってくれる。
もう、揺花の温かさから、離れられなくなっちゃってるんだな、私……。
ずっと一緒にいるのなら、それでもいいのかな……?
「なんか、哲学しちゃったね。デートなのに」
「私は……楽しかったよ。揺花のこと、また詳しくなれたかも」
「お、やったね。あたし、頭いいことは言えないけどさ、語るの好きだし、たまにはしようね、深い話」
「うん、そうだね」
「恋愛相談とかも受け付けてるよっ」
「えぇ、揺花に、直接? ふふっ……じゃあ、気が向いたら、しちゃおうかな」
その勢いに背中を押されて、前向きさに救われて、優しい気持ちに手を引かれて。今まで知らなかった感覚に、触れて。
気持ちを素直に伝えるのは、勇気がいること。私はそれを知っていて。揺花はちゃんと、伝えてくれた。私にも、それができる勇気をくれた。
そんな揺花を好きになった、自分の心にも、応えたいから。
ちょっとだけ、自分の採点方法、変えてみようと思う。
「そういえば、デザートは?」
「あ、そうじゃん、食べる~! ナイス! 露璃は?」
「じゃあ、揺花と同じのにする」
「ほいよ~」
お手本があったり、計算できたり、答えが決まっているものに対しては、すぐに行動できるのに。自分の気持ちと向き合うと、それが全然おぼつかない。
こんなことばかり考えているくせして、それなのにまだ、上手く言葉にできないけれど。
デート楽しい、揺花好き、ぐらいは、もっと自然に、臆さず言えるようになれるかな。
そうやって、私は私で、揺花のステップに合わせられるように、積み重ねていきたいんだよ……。
「ちな、この後はどうする? あ、門限とかあったっけ?」
「ううん、大丈夫。えっと……じゃあ、いっこいい?」
「ん、なになに?」
「せっかくだから、デートの記念に、とかで……例えばなんだけど、何かお揃いのものとか……やっぱり、買っていかない……?」
「え、いいじゃん! そうしよそうしよ!」
恋は、必需品だとは思わない。でも、あなたとなら、してみたいと思ったの。それが今の私の、揺花に向かう気持ちの全てだから。
「なんならさ、そのおそろの何か、いっこずつ増やしていくとかどお? デートの度にさ」
「あ……うん、いいと思う」
「じゃ、今日はどうしよっか? 何がいいかな~……?」
「……揺花のおすすめしてくれた……香水とか。あの匂い、気に入ったかも」
「さっきのお店の? いいよ~」
「それでね、お互いに似合うの、交換するとか、どう思う……?」
「え~なにそれ、おもろ、めっちゃいいじゃん! てか思ったんだけど、露璃、匂いフェチ?」
「え……そうなのかな……?」
「それをまとったあたしは、もっと露璃に好きになってもらえる~っ……! ってこと~?」
「……そうじゃなくても、なるけどね」
「え~、何に?」
「……もぅ、好きにっ」
「えへへ、いぇ~い♪」
こうやってまた、つながりを求めてしまう。それを増やしていきたくなる。
それを楽しいと思える、その気持ちをくれた、あなたと一緒に。
◆◆◆
ショッピングモールから駅までの道すがらも、電車に揺られている間も、改札を出てからも。二人で肩を寄せ合うぐらいの距離感で、街灯が点り始めた帰り道を歩いていく。
今日はなんだか、いつも以上に、つないだこの手を放したくないって、思ってしまう。
「いや~、遊んだね~。めっちゃ歩いた~!」
「そうだね、充実してた」
揺花の背中で、歩調に合わせて揺らめく髪が、躍る気持ちに乗って、リズムを取っているみたい。
「あー、あとはね~、時間あったら映画も観たかったけどね」
「また行こうよ」
「うんっ。てかあたし、今日テンション変じゃなかった?」
「え? そんなこと、なかったと思うけど……」
「それにさ、もっと特別な感じの方がよかったとかない? 友達ともよく行ってる場所ばっかだったからさ、もうちょっと別のデートプラン考えればよかったかな~、とか」
「ううん、すごく楽しかったよ。私は、揺花と一緒の時間は、いつも新鮮だなって思うし」
「えへへ……そっか。あ、てか、また友達の話しちゃったな……。こういう時は、露璃の話しないとダメだよね。せっかく露璃といるんだもんね」
「……人とのつながりを大切にできるところ、揺花の素敵なところだと思うよ」
「え、なにそれ優し!」
「友情の上位互換が、恋愛ってわけじゃないと思うし。両立というか、共存しててもいいんじゃないかな。今まで通り、揺花らしくいて欲しいし」
勿論、できる時は、独り占めしたい……とは、思うけど。
「なんかまた難しいこと言ってる~。ま、いつも通りでいていいってことね」
「……揺花だって、いろいろ気にしてる」
「え~、そりゃそうじゃん。や、いきなり反省会とか、ダサいかもだけど……」
「ふふっ……そんなことないよ」
「ホント~? ま、露璃は嘘、つかないもんね。へへ」
笑ったり、落ち込んだり、驚いて、ふてくされたりして、また笑顔が巡ってくる。
何がなんでも飽きさせないぞって、身振りも交えた全身で、パフォーマンスしてるみたい。
そんな揺花の姿は、自然と時間を忘れさせてくれるから。考えないようにしていたけれど……こうして隣を歩ける時間も、今日はもう、あと少し。
「あ……うち、ここだよ。送ってくれて、ありがとう」
普段は何気なくくぐっている自宅の門扉も、今は少しだけ、重たく感じてしまう。
「へ~、ここが露璃んちか~。オッケ、今度絶対、遊びに来るからね。勉強会以外でねっ」
「……上がっていく?」
「ううん、今日は結構いい時間だしさ。その楽しみは、次にとっとくっ」
「そっか、うん。今日はホントにありがとうね、楽しかった」
「こっちこそっ、めっちゃ楽しかったよ。次のデートの予定も考えとかないと! んじゃ、また学校でねっ」
あたかも、まとわりつく名残惜しさを、振り切ろうとするみたいに。勢いをつけて、揺花はその小柄な身体を翻す。
「あ……っ」
だけどまだ、その手を放したくなくて。
「待って」
咄嗟に、離れていく揺花に追いすがるように、半歩踏み出して。ほどける寸前だったその手を引きつけて。
「え……?」
そのまま、抱き寄せるようにして、軌道を変えた小さな太陽の、暖かさと柔らかさを受け止める。
「……ごめん」
「えへへ……帰りづらくなっちゃったじゃん」
離れそうだった手を、つなぎ直してくれる。まだ、放さないでいてくれる。
「……その、ね」
「うん」
「……好き」
「……えへへ、あたしも好きだよっ。もうビッグラブよ」
お互いの耳元で、一番早く届くようにと、飾らない言葉を贈り合う。
二人分のぬくもりで熱くなった顔も。優しい声で無防備になった表情も。この距離ならきっと気付かれない。
「……あたしも、ぎゅってしていい?」
「……うん。して」
「んふふ~……んぎゅ!」
「……!」
これ以上縮まりようのない距離が、もっと近くなったような気さえして。
少しだけ強張っていた身体も、緊張が蒸発して溶けていく。
すっかり忘れ去られた時間を刻むのは、どちらのものだかわからない、駆け足気味の鼓動だけ。
玄関ポーチで二人とも、しばらくそのまま立ち尽くすけれど。
それでも、私が何か言おうとするまで、ちゃんと真正面から、揺花は無言で抱きしめてくれる。
「……私が、なかなか決められないから、合わせて、待っててくれたんだよね」
「ん~? 全然、待ってないよ」
揺花が、私の歩幅に合わせてくれるなら。私も、揺花に合わせて歩きたい。
いつも手を引いてくれる、揺花と一緒なら。もう、楽しみな気持ちの方が、大きいから。
揺花となら、早くもう一歩を踏み出したいなって、思っちゃうの。
「……もっと、いろいろ……知ってみたく、なっちゃった」
「へへ、いいじゃん」
どちらからともなく、少しだけ、身体を離して見つめ合う。
額で熱を測るのかなっていうくらいの、今までにない距離の近さで、向かい合う。
混ざり合った体温がまだ、私たちの身体をつないで、放さない。
「……そーいえばさ」
「……うん」
「リップの色、似合ってるよね。なんかこう、お上品な感じ。いい色見つけたね」
「そう……?」
「うん。あたしの好きな色。かわいいし、あとおいしそう」
「……ふふ、そうなんだ」
お互いに淡く潜めた声が、ゆっくりと迫り始めた夜に滲んでいく。
「……味見、していいってこと? だよね?」
「やめてよ、言い方……」
「え~。全然、嫌そうじゃないじゃん」
「嫌なわけ、ない……」
不器用な私を、考えすぎな私を、臆病な私を……笑って受け止めてくれる揺花になら、そうしたい。
もう、信じなきゃ揺花に悪い、とかじゃない。
ああしなきゃ、こうしなきゃ、なんてない。
上手くやらなきゃとか、失敗がどうとか、迷惑かけちゃうとか、そういうこと考えずに、私が、そうしたいの。
まだこうやって、いろいろ理由を探しちゃうけれど……この気持ちだけは、きっと、間違いない。
「上手くできなくても、怒らないでね……?」
「そんなんで怒んないよ」
「これからも、練習、するから」
「ん。付き合うよ~?」
今日の揺花のショートブーツは、いつもの厚底ローファーよりも、ちょっとだけヒールが高くて……だからいつもより、ちょっとだけ揺花の顔が近い。
「……えへ。待って、露璃目ぇ閉じてよ」
「……揺花から、閉じて」
「え、そういう感じ? それはそれで……いっか」
しっかりめに自己主張するまつげと、控えめなラメで彩られた目元が、特にためらいもなく伏せられる。
明るさと力強さのアイコンみたいなその瞳が隠されて、それでもまだ、揺花の引力に吸い寄せられてしまいそう。
「んふふ。露璃……?」
肌に触れる、かすかに潜めた息遣い。
ほのかに香る、フルーツのような甘さ。
あどけなくねだる、熱っぽい囁き。
「……うん」
彼女を引き立てる演出は調って。
玄関脇のウォールランプが、まるでスポットライトみたいに、夕闇から私たちを切り取れば。
他には誰もいない、ここはもう、私たちだけの小さな舞台。
「揺花……」
耳の奥でこもった熱が、行き場をなくして足踏みしてる。
呼吸はどんどん早くなるのに、鼓動が遅れてやってくる。
感じたことのない高揚で感覚がおかしくなったのか、あとほんの数センチの距離が、近くて遠い。
それでも、私は、あなたを一番近くで感じたい。
そう、思ったの。ずっとそう、思っていたの。だから……!
「ん……っ」
吐息が混ざる暇もないくらい、ほんの一瞬、軽く触れ合っただけのはずなのに。
「……ちゅ」
元々一つだったみたいに、引き合う力は強くって。
「……はぁ……っ」
思い切って重ね合わせた唇の一点に、感じていた全身のぬくもりが収束したみたいな、熱い余韻。
上手くできたとか、正解だとか……今はもう、そういうの、どうでもよくて……。
これ以上のドキドキなんて、受け止めきれるわけないよ……!
「……んふ、一瞬すぎてわかんなかった、もいっかい!」
「え、えぇ……っ!」
くすぐったさとか、気恥ずかしさとか、初めての、揺花とのキスなんだっていう、特別感とか……そういうの、全然、浸らせてくれないんだ。
でも、さすがの揺花も、私の心の中で跳ね回る嬉しさだけは、吹き飛ばせないみたい。
「もうちょっと待つ?」
「……もう何十時間か、待って……」
「ちぇ~、なが」
それとも、揺花も実は、照れ隠し……?
「でも嬉しっ。ちょっとびっくりしたけど」
「……デートだから、しなきゃいけないのかなって、最初は思ってた」
「え、んなことないと思うけど……」
「でも、揺花がしたいと思うこと、私もしたい、から」
「……あたしのせいなだけ?」
「ううん、私も、興味は、あって……」
「……へへ、それは知ってた~」
「えっ……」
「てか、あたしもさ、意識しちゃってたし。初デートでいきなりは、引かれちゃうかな~って思ってたけど」
「そう、なんだ……」
「でもさ、あたしたちがそうしたくて、嬉しいなら、いつしたっていいよね!」
「……大丈夫なタイミングでね……?」
「んもー! それはさすがに考えるって!」
ほんの数秒前まで、揺花の顔、まっすぐに見られなくなっちゃったかも……なんて感じてたのに。
気付けば全然、そんなことなくて。むしろ、どんな表情してくれてるのかなって、気になって余計に見つめちゃう。
自分がどんな顔をしてるのか、見られて恥ずかしくないのか、なんて、もうそんなの気にならない。
不慣れでも、セオリー通りじゃなくても、私たちらしくいられれば、それでいいんだって、今ならそう思えるから。
「……だけど、興味のあるものは、たくさんあっていいのかなって、思った。私も、もっと揺花に教えてもらいたい」
「いいじゃん。あたしにも、露璃の好きなこと、いっぱい教えてよね」
「うん、そうする」
「ちゅーも、もっとね」
「えぇ……?」
「えへへ……ぶっちゃけ、まだ、よくわかってないからさ。もっといっぱい、やってかないとだと思うんだよねっ」
「もぅ……そう、だね。また、しようね」
「次、あたしからするからねっ」
「……うん」
今日もまた、お互いの気持ちを確かめ合えて、たくさんのことが知れて、嬉しくて。
後先考えずこんな約束しちゃうくらい、次のデートがもう、待ち遠しくなっちゃってるんだな、私……。
「あ、てかさ」
「うん」
「ラーメン行かなくてよかったっ」
「……んっ、ふふ、そうかも。ふふふっ」
「ね! あっははっ」
今まで張り詰めていたものが、一気に弾けたみたいな勢いで。二人揃ってひとしきり、笑い合う。
あぁ、やっぱり楽しい。
ご近所迷惑、今だけは、許してほしいな……。
「あ~……じゃ、今度こそ、今日は帰るね」
「もう……?」
「ほら、露璃と話したいこと、無限にあるしさ。このままじゃ、夜中まで一生喋っちゃう」
「一生短いよ……でも、そう、だね」
私たちを引きつけていた熱も、気付けばすっかり、夜風にさらわれていて。
たった一歩離れるだけで、今はこんなに、陽の光が遠く感じてしまう。
「んも~、そんな寂しそうな顔しないでよ~。露璃も意外とかまちょな方?」
「……揺花だからだよ」
「えへへ、大丈夫っ。これからも一緒に過ごしてくんだからさ、ちゅーした記念日、また作ってこうよ」
「記念日……?」
「そっ。ドキドキするのも、楽しいことも、ほしいと思ったら、自分らで作ればいいんじゃん? 何でもない日記念日で~す、的なさ。で、今日は初デート記念日で、ファーストキス記念日ってわけ!」
「じゃあ……今度は、2回目キス、記念日……?」
「そうそう、いいじゃん~。そしたら次、もっと楽しみになってこない?」
「……なって、きたかも。揺花、やっぱりすごいね」
「えっへへ~、天才っしょ?」
「うん、天才」
「んっふふ~、まぁね~♪」
これからも、そんな揺花と一緒なら、楽しい記念日を、たくさん作っていけそうだなって、素直にそう思える。そうとしか思えない。
「そんじゃ露璃、また明日ねっ。てか、帰ったらニャインするから」
「うん、じゃあ待ってる。おやすみなさい。今日はありがとう」
「こっちこそ~!」
お互いの指先を撫で合うみたいに、その距離が離れきるまで、めいっぱい腕を伸ばして、手を振って。
今度こそ、残ったぬくもりまでほどかれる。
「……好き、だよ。揺花っ」
「うんっ、露璃大好きっ、愛してる~っ!」
だけどもう、全然寂しくなんてない。
後ろ髪を引かれる、別れ際のこの想いも、明日には、また会える嬉しさに変わるから。
愛しいあなたが、変えてくれるから……。
◆◆◆
「あれっ、ゆっか今日、いつもとなんか違くない? めっちゃいい匂いする~」
「いい匂いはいつもしてますけど~」
「いやそーだけど、そーじゃなくって~!」
朝の教室に満ちる、気怠い騒がしさの中。遅刻ギリギリで教室に入ってきた揺花に、そっと小さく手を振ると。
「露璃っ、おはよっ」
「おはようございます……!」
いつも通りの元気な挨拶が飛んできて。一瞬、クラス中から注目されちゃうんじゃないかって、なんなら、いろいろバレちゃうんじゃないかって、ちょっとだけドキッとしたけれど。
全然、またいつもの考えすぎで、単なる思い過ごしで。だけど、今はなんだか、そこまで心配な気持ちもなくて。
前よりも、少しだけ、自信を持って振る舞えるようになったのかもって、そんな気さえしてしまう。
今日は少しだけ特別だから。揺花がすぐ側にいるみたいに、揺花との距離が一切なくなったみたいに感じられて、心強いから。なのかも。
「そういえば~……みみちゃんも、なんだかちょっと、いつもと雰囲気違くな~い……?」
「ん? あれ、委員長も香水とかつける人だったっけ……?」
「えっと……秘密、です」
揺花にこっそり目配せすると、思った通り、堂々とにっこり笑顔が返ってくる。
でも、なんだかもう、そのリアクションを当たり前に受け入れている自分もいて。そうできる嬉しさが、自然と、表情に出てしまっているんだろうなって、自覚する。
それにほら、揺花だって、穏やかな木漏れ日みたいに柔らかい、あのはにかんだような笑顔を浮かべてて。
それはほんの一瞬のことだったけれど、それでも釘受けになってしまうくらい、私にとっては印象的で。朝の日差しよりも眩しくて。
「えーなになに~! もしかして、なんかいいことあったん? 教えてくれてもいいじゃん~!」
「あっはは~、さぁなんだろねぇ~、当ててみな~!」
けれどすぐにまた、元気が弾ける、いつもの太陽みたいな笑い声が戻ってくる。
そう、あの微笑みは、きっと私だけが気付いていれば、それでいい。そうだったらいいなって、思っちゃう。
「ふふ~、ゆっかちゃんもるなちゃんも、朝から元気だねぇ~、もぐもぐ」
「にゃごは朝から食欲ありすぎなんよ。そろそろパン仕舞っとけよ」
「もぐもぐもぐ……!」
「いや口に仕舞うんかい」
「ふふっ……もうすぐ朝礼、始まりますよ」
慣れ親しんだ日常の空気に包まれて、また新しい一週間の始まりを告げる、チャイムが響く。
今日も、揺花のいる、当たり前で、特別な一日が始まる。
あなたがくれた、少しだけ新しい自分を、まといながら。
☆つづく!
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