第6話 棋士というモノ

翌々日。伽耶が参加する将棋イベント会場に聡の姿があった。


何としても伽耶との関係を進展させたい聡は将棋イベントに参加しようと企み、抽選に申し込みをしていたのだ。

奇跡的に数倍の倍率をくぐり抜け、伽耶との3面指し指導対局権に当選していたのである。


ただ、伽耶には当選したことを伝えていない。

一歩間違えばただのストーカーだが本人はサプライズのつもりである。


会場内で参加者が呼ばれるのを待っていると、時間になった。


「高木伽耶初段との指導対局当選者は受付までお越しください」


アナウンスを聞いて受付に向かう聡。

指定された、コの字型に並べられた机の端の盤前に着座する。


間も無くして、伽耶が現れた。


黒いスーツを身に纏い、大学にいるときよりもさらに佇まいが凛として感じる。

聡の反対側の対局者から順番に手合い(ハンデ)を聞いて、聡の目の前に立って目を丸くした。


「神野く、さんですか」

「はい、よろしくお願いします」


聡が軽く笑いかけると、伽耶は一瞬表情を緩ませたのち、顔を引き締めて手合いをきく。


「手合いはどうしますか?」

「4枚落ちでお願いします」


4枚落ちとは飛車角香車を上手が落とすハンデである。

聡の提案は伽耶にとっても納得いく度合いだった様子で軽く頷いた。


まもなく、指導対局開始される。

3面指しはテーブルの真ん中に立った伽耶が順番順番に対局者の盤を周り、1対1を同時進行で3面行う指導対局の形式である。


他の対局者達は腕に覚えのある強者揃いの様子で、ハンデなしの平手。

かなり強い面子の様で、伽耶は聡の盤ではあまり時間を使わずに指すのに対し他の盤では考え込む仕草も見せている。


聡も勉強の成果もあり序盤の駒組みをしっかり進めていた。

伽耶も時折頷きながら聡の手に応えるように指している。


しかし、中盤まで進んだところで、聡の手が止まった。


(どうしたもんかなあ。何すればいいのかわからんぞ……)


指導する立場の伽耶は崩されないように固く打ち回す。

基本的には仕掛け待ちだ。

ハンデをもらって優位に立っている聡から仕掛けなければならないのだが、攻め方がわからない。


聡は、とりあえず無難そうな守りの手をうって時間を稼ぐ。

聡の盤にきた伽耶はすっと無難な手を指して次の盤に移動した。


(このままだと埒があかないなあ。仕方ない)


こういう困った時、聡は自分の思考を読む能力に頼ってきた。

自分が持っている能力を使っているだけで、本人に悪気はない。


聡は、隣の盤に向かっている伽耶の思考を、読んだ。


(4五歩同歩で角交換して同桂4四歩叩かれて同銀は5一角から飛車8二に躱して

 ナ 

良し同金は71角で飛車躱して銀抜かれたら終了一個浮いて受けても

 ン 

次の叩きが激痛だからこれもダメだから同銀4四歩じゃなくて7七角

 ダ 

再設置してきたら4四歩に4五歩おかわりくらいで厳しいけど四歩打たないと

 コ 

4五に桂が跳ねてきてかなり危ないそもそも4五歩同歩危ないなら一旦5五歩で

 レ 

角引きつけて5二飛車展開して角避けたら飛車成避けなくても角飛車

 ハ 

交換して7九角あたりで攻めていくこれも自信がないからやっぱり同歩かしら)


「……っ」


それ は一瞬のうちに土石流の様に聡の脳内に流れ込んできた。

文字だけでなく、駒が目まぐるしく動く白黒の将棋盤の画像も流れてくる。

うめく聡に気づかず、隣の盤の伽耶は綺麗な手つきで歩を取って聡の向かいに座っている対局者の盤に向かう。


(結局同歩ねなら予定通り7四歩と桂頭に歩を打つ放置して叩かれたら足痛いかも

 ヤ 

桂取り合ってこっちだけと金ができて有利だから大丈夫放置厳しい靴擦れかな

 メ 

最後の仕事で6五跳ねて同歩に6四から歩を垂らされても一応絆創膏あったっけ

 テ 

受けておいた方が良いけど潰されない予定通りで問題なしさて神野君何さしたか)


「っ!」

聡の考えが瞬く間に伽耶の思考で上書かれる。

脳が焼かれる。

何も考えられなくなる。

思考を読むことをやめることすらできなくなる。

自分がなくなっていく感覚に聡は恐怖した。


圧倒的な流量に、段々と周りの景色が歪み出す。

反対側の盤に向かうスーツを纏った背中が、黒一色の影に見えてくる。

影が振り返る。

聡に向かう。

黒い影の中の目が聡を捉えた瞬間。


聡はプツンと落ちた。

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