【ショートショート】方位磁石に連れられて【2,000字以内】
石矢天
方位磁石に連れられて
「なに、これ?」
ぼくは首に掛かったペンダントのようなものを見て呟いた。
こんなものを買った覚えもなければ、拾った覚えもない。
ましてや首に掛けた記憶なんて……。
「見ればわかるだろ。コンパスだよ」
「コンパス?」
久しく聞かない単語だった。
前に聞いたのは小学生の頃じゃないだろうか。
算数の授業で使う円を書くための文房具。
「そっちじゃねぇよ。方位磁石のコンパスだ」
「ああ。
たしかにそんなものもあったな。
ぼくは徹夜明けの回らない頭で、理科の授業で使ったコンパスを思い出す。
手に取ってみると、ペンダントトップだと思っていた
なるほど。たしかにコンパスってこんな感じだった気がする。もう10年くらい前の記憶だけど。
そんなことより。
「ん? 待って待って。そのコンパスが、なんでしゃべってんの?」
「コンパスがしゃべったらダメか?」
「ダメじゃないけど……」
ゆめ?
あれか。白昼夢ってやつか。
連日、会社に泊まり込んでの徹夜作業。
いわゆるデスマーチというやつだけど、ぼくは入社以来ずっと
さすがに限界を感じたぼくは、上司に土下座をして一時帰宅の許可をとり、部屋へと戻ってきたのが、ついさっき。
不本意ながらここ数年で立ったまま寝るスキルも身につけた今のぼくなら、夢という可能性も否定できない。
「夢じゃねぇぞ」
「夢の中ではみんなそう言うんだろ。知らんけど」
試しに頬をツネってみると普通に痛い。
だからといって現実だと断ずることはできないけれど、現実である可能性も視野に入れる必要がある。不本意ながら。
ヴーン、ヴーン、ヴーン。
スマホの振動音が部屋に響く。
きっと会社からだ。
どこに置いたっけ、と部屋を見渡す。
嫌でも溜まった洗濯物が目に入って、ちょっと陰鬱な気持ちになった。
ヴーン、ヴーン、ヴーン。
もう10回以上は鳴っている。だけど、スマホの震えは止まらない。
「ああ。カバンの中に突っ込んでたんだっけ」
ぼくは体の向きを180度回転させ、ベッドの隣に放り投げたカバンへと近づく。
不意に、首がグイッとしまって「ぐえぇ」と変な声がでた。
首元に目をやると犯人は一目瞭然。さっきのコンパスだった。
あろうことか、コンパスが背中の方へと回り込み、ヒモでぼくの首を絞めているではないか。
慌てて体の向きを再び180度回転させると、コンパスは静かにぼくの胸元へと収まった。
「どういうこと?」
「おまえの向かうべき方向はそっちじゃない」
「…………どういうこと?」
意味がわからなくて二度聞きしてしまった。
コンパスは返事をするかわりに、物理法則を無視した動きでぼくの目の前に飛びあがる。
磁針の赤い方が家の扉を指している。
「家を出ろってこと?」
早く仕事に戻らないと上司からまたネチネチと嫌みを言われそうだ。
しかし、カバンを取りに行かせて貰えないのではどうしようもない。
一向に返事をしないコンパスを手に持ち、ぼくは渋々ながら扉を開けて外へと出た。明け方の太陽が眩しい。
家を出ると、コンパスの磁針はくるりくるりと向きを変えた。
ちょっと道を変えようとすると、グイグイ赤い磁針の方向へぼくを誘導していく。
「コンパスってこんなんだっけ?」
「こまけぇことはいいんだよ。気にすんな」
「コンパスっていうより、ナビだよね」
「気にすんなって言ってんだろ」
コンパスがその身をグンっと前に出す。
当然、ぼくの首も後ろから前方へと引っ張られた。
結局、1時間以上も歩かされた。
なぜかぼくは、この街で一番高いところにある公園から街一帯を見下ろしている。
正確には見下ろさせられている。
この公園に来たのもいつぶりだろう。
前の記憶は……やっぱり小学生の頃だ。
「どうだ。小さな街だろ」
「……うん。まあ」
少し中心地を離れたら、山と、田んぼと、畑。
本当に小さな街だ。
昔はもっと大きな街に見えていた気がするんだけど。
「おまえの会社、どこにある?」
コンパスに言われて探してみるが、見つけることはできなかった。
小さな街だけど、似たようなビルがいくつも並ぶ中で特徴の無いビルを探すのは難しい。
「そんなもんだ」
今度はぼくが返事をしなかった。
このコンパスがなんなのか。ぼんやりとだけどわかった気がした。
とりあえず、部屋に戻ったら洗濯をしたいと思った。
それから、会社を辞めることを上司に伝えよう。
スマホといっしょにカバンの中に突っ込んだロープも、燃えるゴミの日に出すことにしよう。
【了】
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一話(5,000~6,000字程度)完結で連載中。
ファンタジー世界の人情を小さな食堂から眺めるヒューマンドラマ
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【ショートショート】方位磁石に連れられて【2,000字以内】 石矢天 @Ten_Ishiya
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