絶望と人生設計

一世

第1話 絶望の人生設計

 「生きる意味とは何だろう」か。小学生の頃、漠然と抱えたこの疑問に私自身、答えを見いだすことはできなかった。今、振り返ってもなお答えは出ない。

 人生には意味がある。神様からもらったこの命には、何かの役割がある。そんな宗教もあるらしい。生きることは素晴らしい。誰しもが平等に享受されたこの機会を活かすべきだ。生きたくても生きられない人もいるのだから。ああ。うざい。



「私ってなんで生きてるの。生きるって何??」

 無邪気な幼心にそう母に投げかけた。母には「そんなことを考える必要はない」と一蹴された。今、考えるとその母の行為は子供に対して適切な対応ではないと感じる。母親一年目だから大変、生理だったのかも。考えつく理由はたくさんあるし、義務教育が終わり、高校に進学した私は以前よりもわかることが増えたと思う。でも、その対応はないだろう。

 母は、他人に興味があまりなかった人であったように感じる。私自身も他人から、「人に興味ないでしょ」と言われることは多い。そのように感じることが多いのは遺伝だからだろうか。今となっては、確かめる術がない。

 母は幼稚園の時、友達はいらないと考えていたらしく、生前仲良くしていたママ友にも、知り合って3ヶ月ほどで「え?私たちって友達??」と豪語したらしい。ありえない。さすがにない。様々な感想はあるだろうが、学生時代は特に孤立していたわけでもなく、友人はいたとのことなので、父についてきた慣れない間境、また子育てやその他ストレスに日々見舞われていたのだから、しかたのないことかもしれない。

 先述した通り、私自身も似たタイプと言える。自分で言うのは何だが、普段は、人に気を使えてやさしい優等生。まさに、絵に描いたようないい娘の典型例であると思う。あくまで主観であるわけではない。確信的主観だ。学校でも率先して手をあげるタイプではないけれど、成績もいいし、先生の話にもしっかりと相づちを打つ。人に積極的に話しかけるタイプとは言いがたいけれど、困っている人がいたら、すぐに声をかける。そんな娘。

 母のことばは、鉛のように重くのしかかり、今でも記憶に強く残っている。そういうわけではない。ただ、なんとなく、記憶の片隅に焼き付いているのだ。

 なぜ、今こんなことを考えているのかって。まさに今、アパートのベランダから足をかけ、地面にダイブしようと考えているからかな。生きてれば、いいことがある。死は神に背く行為。知るか。くそ食らえ。ことばの責任を神に置くな。私の人生を補償する気がないくせに。私と結婚できるか。養ってくれるのか。妻子持ちのくそ男。何が2万ゴムなしだ。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな...。

 秋の夜。冷え込んだからっとした風に身を置く。それは、刺激的で恐怖と解放による歓喜の入り交じった複雑な感情。複雑化した思考がすっと脳から消えていくように。地面に這いつくばっていた重い体が、重力から解放されるように。すっと軽くなって、深紅の花が咲く。美しく、醜いそんな花が。

 そんなはずだった。

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