第12話 山口一太⑤
9月6日、いよいよ開幕の日を迎えた。
夕方、ビスマルクと共に会場であるアテネのパナシナイコ・スタジアムに入った。
古代からあった競技場を、ここ3年ほどかけて改修したらしい。エッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルの手によるものらしいが、正直そのあたりのことは分からない。
我々は一般観衆とは異なり、政府関係者ということで、ボックス席の方へと案内された。
実際に19世紀にボックス席があったのかどうかは分からないが、そこは21世紀やクリケットの観戦から着想を得たのだろう。
案内される途中、名前は分からないがフランス首相がいたし、イギリス首相のグラッドストンの姿も見られる。イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に、オーストリア皇后エリーザベトの姿もある。ドイツ諸侯からもバイエルン王ルートヴィヒ2世やリヒテンシュタイン公ヨーハン2世などの姿が見える。
「フン、たいしたものだな」
そうそうたるメンバーを前にビスマルクが渋い顔だ。
まだ開幕まで時間があるようなので、ビスマルクはイタリア王のところに挨拶に行くことにしたらしい。
文句を言いつつも利用できるものはする、ということなのだろう。
その点でいえば、ちゃっかり夫人も同行しているのだから、要領がよいというか何というか。
善英を連れている私も、人のことは言えないが。
挨拶は後からでも構わないと思ったが、彼が部屋から出たので、内装などを観ようと共に外に出た。
と、廊下の向こうから子供の泣き声が聞こえてきた。
「うわぁぁぁ、
と、日本語の泣き声とともに幼い女の子が走ってくる。
更に向こうの方から低い女性の声で「誰か、その子を止めてくれ~」とこちらは英語で話している。
「どうしたんだい?」
近づいてきた女の子に手を広げて話しかけるが、ギョッとした顔で立ち止まり、更に泣き出しそうに見える。
「こういうことには殿方は役に立ちませんわね」
一緒についてきた善英が「一緒に母様を探しましょう」と話しかけた。不本意だが、子供はこういう時、女の方が安心するもののようで、大人しく近づいた。抱え上げたところで追いかけてきたスーツ姿の麗人が現れてくる。こちらはより幼い子を抱えている。
「あぁ、ありがとうございます。助かりました……って、山口殿?」
そう、子供を抱えて走っているのは中沢琴だった。
「中沢殿こそ、何故? というか、この子達は……?」
もしかして、と思ったが、中沢琴は大きく手を振った。
「残念ながら私の子ではないよ。開会挨拶のために子供達を預かってくれと言われたんだけれど、4歳と2歳は元気過ぎる……」
「1人で2人は大変ですよ」
「いや、本当は2人でなくて中野竹子にも頼んでいたんだけどね……」
中沢琴が不機嫌そうに口をへの字に結んだ。
「トルコの馬鹿が開会式を特等席に案内するからと連れていってしまった」
と話しているうちに、娘の方がまた「母様ぁ」と泣き出す。それにつられて中沢が抱える男の子まで泣き出した。
参ったという顔で、中沢が「佳奈、蓮介。いい加減、泣きやむんだ」と宥めている。
善英が女の子を抱きかかえようとするが、嫌々という様子でまた泣き出しそうに見える。
そうこうしているとビスマルクが戻ってきた。
「随分騒々しいな。何だ、この子達は……」
と、中沢の抱える幼児に近づいたところ、おもむろに手を伸ばして髭を引っ張るではないか。
「うおおぉ?」
髭を引っ張られたビスマルクは本気で驚いたようで戸惑っており、それを見た女児も笑う。
ある意味道化を演じることになったビスマルクだが、本人もそれほど悪い気はしていないようだ。「おじさんと一緒に見ようか」と子供達に話しかけ、何故か2人とも頷いている。
そういえば、ビスマルクは公的な場所では政敵ばかりで家族しか心許せるものがいなかったという話もある。子供は好きだったのかもしれないが、ビスマルクになつくのに私が警戒されているのはどうにも腑に落ちない。
ボックス席に戻る時、音楽が鳴り響き、大歓声が沸き起こった。
選手達の入場が始まったようだ。
先頭にアルゼンチン国旗を抱えた30人近い選手団が両手をあげて入ってくる。
選手達が観客に、観客が選手達に手を振っていて大騒ぎだ。
そんな中、ビスマルクが姉の方に「彼らの国はここにあるんだよ」と世界地図を広げて説明していて、姉弟2人が大人しく聞いている。
中沢と顔を見合わせると、彼女もあまり納得しておらず「はぁ」と肩を落とす素振りをした。
一時間ほどかけて選手入場が終わり、今度はオリンピック委員の者達が入場してきた。
元メキシコ皇帝だったものがいる、前アメリカ大統領だったものがいて、これから世界を担うだろうイギリス、ロシア、トルコの皇太子が入ってきた。その他、バイエルンを含めたヨーロッパ皇室や政府関係者の名前もあげられていく。
彼らが選手達の前の列に並んだ時、再度歓声が起こる。
彼らとは反対側、選手達の入場してきた方から男女2人が入ってきた。
ビスマルクの隣から「父様」、「母様」という声が出る中、2人は選手達と握手しながら列に近づいてくる。
史実のアテネオリンピックでは、女子の参加は認められていなかったが、この大会ではそういうことはない。そのため、女子選手と話が出来るのは彼女だけのようだ。
2人が他の委員達と合流し、代表として1人が壇上に立った。
「開会あいさつ!」
という声が響き、会場が一瞬、静まり返る。
「えー、本日は会場までお越しいただきありがとうございます」
そう言って一息ついて空を眺めた。
恐らく、今までの色々なことが頭を過ぎっているのだろう。
長い道のりだったはずだ。日本を出て、アメリカに行き、イギリスに行き、どれだけの世界を回ったか。
その間、日本は幕末を無事に終え、世界も激動の19世紀を駆け巡った。
観衆達は次の言葉を待つだけで静かだ、しばらく会場中が静寂する。
たっぷり五秒ほど待ち、再度口を開いた。
「今日、我々はここにオリンピック復活を宣言する!」
<幕末日本に転生しましたが、現代知識を活かしてスポーツ振興を目指します・完>
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