第11話 山口一太④
ビルマにも二か月ほど滞在して、6月下旬にラングーンからインドへと向かった。
船には、乗せる予定のなかったビルマの選手団が乗っている。
カナウンと話をしていて、ビルマからも選手を派遣するということになったのだ。
彼らの身分証明書などの発行に少し時間がかかり、出発が遅れることとなってしまったが、選手が増えるのだから悪くはないだろう。
オリンピックに関しては、ギリシャからイギリスとデンマークを通じて、世界中に打電はされている。
とはいえ、現実的には新聞などで概要を知ることができるヨーロッパや、ヨーロッパの方ばかり向いているアメリカ大陸以外からの参加は難しい状況だ。ビルマのカナウンもそうしたイベントがあることを知ってはいたが、実際のことまでは知らなかったようだ。
ビルマの選手団を派遣することで、ヨーロッパ諸国に「アジアにビルマという国がある」と示すことができる。万国博覧会となると国同士が折衝するなり、開催者に博覧ブースを作ってもらう必要がある。
オリンピックなら証明書をもつ選手を派遣さえすれば良いので、敷居は低いだろう。
ラングーンを出た船は、今度はインド西部のボンベイへと到達した。
日本に運ばれてくるダイナマイトその他の商品は、現在、ここでジャムシェトジー・タタが経営する海運会社によってえり分けられて運ばれてくる。日本にとっても馴染みの深い場所だ。
今回のギリシャ行きに関して長居する予定はなかったが、カルカッタにも立ち寄ったことで我々が来るということが事前に分かっていたらしい。ついてみると、多くの人達に出迎えられて、ここでも一か月を費やすことになった。
結果、8月頭にインドから西に向かい、スエズを渡る頃には既に8月中旬となっていた。
エジプトも表敬訪問しているうちに予定から1か月半以上遅く、9月3日にギリシャ・アテネの港に着いた。
開幕は6日というからギリギリセーフと言う状況だ。ビルマの選手達を急いで連れていかないといけない。
幸いなのは近くにオスマン・トルコの船も到着しており、オリンピック組織委員でもあり、後のスルタンでもあるアブデュルハミトも乗っていたことだ。
「おまえは……リンスケの仲間だったか」
ジロッとした猜疑心に満ちた顔付きで問いかけられる。そういう顔なのだろうが、あまり印象は良くない。彼のスルタンとしての業績を考えると、燐は良く付き合っていられるものだと感心していた(それはカール・マルクスにも言えるが)が、どうも本人はそこまで知らなかったようだ。
とにかく、ビルマの選手達のことを伝えると、「面倒だ」という顔をされてしまうものの。
「……まあ、日本の連中もいるから何とかなるだろう。とりあえずついてこい」
と、連れていってくれた。
とりあえず一安心だ。
もっとも、予定から遅れてしまったので、エドワードも含めて、委員の面々とは中々予定が合わないようだ。
燐も開幕直前なので慌ただしいようで、スケジュールが空いて会うことができるのは開幕してからとなりそうだ。
「残念ですね」
善英が言うが、こればかりはどうしようもないだろう。遅れてやってきた以上仕方あるまい。
もっとも、幸か不幸か開幕までの私のスケジュールも簡単に埋まってしまった。
「久しぶりだな、ヘル・ヤマグチ」
何故かプロイセン宰相オットー・フォン・ビスマルクが、ここアテネまでやってきていたからだ。
アテネのホテルで話し合うこととなったが、相変わらず不機嫌にこちらの様子を探ってくる。
「聞けば、日本の陰の首相のような存在らしいな」
「そんなことはありませんよ」
「……ヘル・ミヤチも含めて、ここまで来る日本人は表舞台に出ないところから色々操作することが好きらしい」
ビスマルクはこちらの話を無視し、参ったとばかりに溜息をついている。
「おかげで我々の魂胆は狂わされっぱなしだ」
魂胆を狂わされたというのは、オリンピックというイベントを普仏戦争構想の中に突っ込んできたことを言いたいのだろう。
正直、無視して戦争すること自体はできるだろうし、その場合でもプロイセンが勝利するだろう。
ただ、バイエルン王ルートヴィヒ2世をはじめとしてドイツの諸侯の中にも関係者が何人かいる。史実以上に反対者が多くなることは確実だ。急いで開戦するよりは、オリンピックが終わってから開戦した方が得だと判断したのだろう。
更に言えば燐は、イギリスのエドワード、ロシアのニコライ、ギリシャやトルコ、オーストリアとドイツの死活問題となる形で交友関係が広い。ロシアや東欧が反プロイセンに回るということは、ビスマルクにとって決して望ましくはないはずだ。
加えてこの時期に日本が代表者(私のことだ)を送ってきたことで、「怪しい日本人同士が結託して何か動きを見せるのではないか」と警戒しているようだ。
そういうことは全く考えていないので、不本意この上ないのだが、結果として、ビスマルクと二日間、ヨーロッパの今後について話をすることになってしまった。
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