第10話 山口一太③

 3月、横浜を出た船は上海と香港に立ち寄り、そこで一ヶ月ほどを過ごした。


 その後、4月半ばにビルマのラングーンに着いた。


 18年前にイギリスが支配するようになったラングーンであるが、二年前に新王カナウンが即位した祝いとしてビルマに返還された。


 それを受けて、ビルマの中心はここラングーンへと移り、それに伴って西郷隆盛ら薩摩からの人間も全員がここに移ってきたという。現在は、新たに移り住んできた者達も含めて、ラングーンの東側に大きな日本人街を形成している。



 カナウンが王になったのは王室内部の内部紛争による。


 4年前の1866年、国王ミンドンの息子の1人ミングンが近代化に反対して自らが王となろうとしてクーデターを企てた。恐らく史実ではこのクーデターによってカナウンは殺されたのだろう。


 しかし、このクーデターは西郷隆盛らによって阻まれた。


 ミングンは斬罪となった。更にこの事件にイギリスが介入してくることを恐れたミンドン王は退位してカナウンに譲位することを宣言した。


 イギリスは基本的にこの譲位を支持した。カナウンが親イギリス派だということは分かっているので、彼が管理している方が総じてイギリスにとってメリットがあると判断したのだろう。ラングーンの管理権をビルマに返還したのもその意図の現れである。


 もっとも、これで期待に背いた場合には、イギリスが本格的にビルマ支配に乗り出す可能性があるのも確かだ。信頼の現れであるとともに失敗が許されないというプレッシャーは相当なものだろう。



 いずれにしても、カナウンが国王になったことで、ビルマの近代化も進みそうではある。


 これは日本にとっても都合がいい。西郷の活躍によって、日本とビルマの関係も良くなり、軍の関係者の行き来も盛んとなっているし、イギリスまで留学に行けなくても上海やラングーンに留学してある程度のことを学ぶことができるようにもなったからだ。


 不平士族の受け入れ先としてもビルマは有難い。実際、多民族国家であるビルマでは、時に反乱も起きたりする。内陸地にはタイや清との関係が強く、反抗的なところも多いからだ。



 その西郷とラングーンの屋敷で久しぶりに会うこととなった。


 東南アジアにいるため、すっかり日焼けしている。一見すると完全に現地の人のように見える。


「(大久保)一蔵は元気ですか?」


「えぇ、元気にしていますよ。衆議院議員選挙が始まれば、彼も大臣になることでしょう」


「殿はいかがか?」


 不仲と言われていた島津久光の動向も尋ねてきた。


 電報のやりとりや情報のやりとりも多いのだから知っていそうだとは思うのだが。


「貴族院議員となってはいますが、主流派となれなくて悶々としているようです」


「はっはっは」


 やはり知っていて尋ねてきたらしい。性格が悪い。



 公武合体がほぼ完全な形で、しかも若干早く実現したことで貴族院の中で主導的な立場を持つのは史実と異なり土肥が強くなった。


 肥前の鍋島閑叟(直正)は、近代化という点では先んじており、佐賀から江藤新平、大隈重信、副島種臣、佐野常民をはじめとした優秀な官吏を多数出している。彼が外様をまとめた関係で島津の陰は薄くなってしまった。小松帯刀が体調を悪くしてイギリスで治療していることも響いているのだろう。


 幕府派、鍋島、次いで山内が有力な状況だ。


 ビルマの外国人としてはもっとも高い地位……参謀総長に就いた西郷は、ことによれば島津久光より高い地位を占めたと言っても良いのかもしれない。



 話をするうち時間が経ち、酒や食事を交えてのものとなった。酒の勢いだろう、西郷が笑いながら言う。


「実は山口どんに教えたき面白いことがあり申す」


「何ですか?」


「隣のインドには、15年前まで支配していたムガル帝国なる国があり申した」


「そうですね」


 ムガル帝国は1858年に滅亡したはずだ。


「そこの皇帝の末裔がイギリスに追放されてこのビルマにおり申す。現在、我々とも交流があります」


「ほう、ムガルの末裔ですか……」


 確かに興味深い話ではあるが、日本としてメリットがあるかというと微妙とも思える。


「直接的な得はないですが、彼らのような者を抱えることで、日ノ本が今後、世界の政情に絡むことがあると思います」


「なるほど、確かにそうですね」


 確かに、日本は清朝末期には亡命者を多く抱えていたこともあるし、インドやヴェトナムの要人がいたこともあった。ただ、第二次世界大戦後の日本は、こうしたケースはほぼなかったはずだ。おそらくペルーのフジモリ大統領くらいではないか。


 札付き者を受け入れるというのは色々問題もあるが、彼らを抱えることが国際舞台のキープレイヤーとなりうることも意味している。


「日ノ本は地図の端であるゆえ、最果てへの流刑というイメージもあり申す。今後、何かある度にビルマ経由で日本に送ることを求める手は陛下ともども考えているところです」


「……分かりました。陛下と首相に電報を打っておきましょう」


 確かに地図で見ると日本は極東だ。政治犯を日本へ追い出そうというのは、今後、他国が考えることかもしれないし、そうした者が増えれば日本が海外政治の舞台ともなりうる。


 色々問題も多いので簡単に決められることではないが、検討するだけの価値はありそうだ。

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