第8話 山口一太①
明治3年のスタートは、まず伏見宮の渡欧から始まった。
伏見宮という名前だが、史実では北白川宮能久親王として知られる存在だ。
彼が北白川宮を相続したのは北白川宮当主である弟の早逝後なので、現在は伏見宮という名前である。
彼は幕府側の皇族として、日光山輪王寺の門主となっていたが、大政奉還が成し遂げられ、天皇自身が江戸に来たことで輪王寺宮としての価値はなくなった。
もちろん、そのまま輪王寺に残っても構わなくはあった。しかし、当人はまだ10代の若者である、叶のならば新しい世界に飛び込みたいということで、本来の門跡である伏見宮に復帰し、明治天皇の下につくことになった。
世が世なら東西天皇という対峙もありえたわけだが、現状の関係は非常に良い。明治天皇にとって数少ない年下の皇族であるから、扱いやすい存在でもあるし、伏見宮には「自分こそ皇族界のホープ」という意識がある。
昨年から再三、「イギリスに行きたい」と要請しており、今回の渡欧に結び付いたのである。
伏見宮は3か月かけてイギリスまで行き、そこで2年、更にプロイセン(その頃にはドイツになっているだろうか)に渡って2年ほど勉強するということになっている。
これほど長期にわたるのは、天皇自身が自身の代理として想定していることもあるようだ。
天皇本人が長期間国を空けてイギリスに行くのはさすがに難しい。故に自分より若い伏見宮にしっかりと見てもらい、後々まで参考にしたいということのようだ。
理由についてはもう一つある。
ヨーロッパに天皇の代理人となれる伏見宮が滞在している間に、別の者を送って不平等条約改正に向けて動きたいということもある。
現在は日本国内での議論で、大使が本国に打電してのやりとりが続いている。
イギリス大使のパークスや、フランス大使のロッシュを中心に、反応は悪くない。
ただ、実際に改正となると、向こうの議会などしかるべき場所で説明をして理解を受ける必要がある。当然、しかるべき場所に行くのだから、しかるべき人を送り込む必要がある。
日本には切り札として燐がいる……
というわけにもいかない。あいつはあまりにあちこちで活動してしまっていて、もはや日本人という枠を外れてしまっているようだ。
そもそも、現状は自分の活動に手一杯だし、「やってくれ」と言ってもやってくれるまでに三年くらいかかりそうだ。
となると、日本から送り込むしかない。
天皇の代理としては伏見宮ということになり、首相・徳川家茂の代理は私ということになるのだろう。
もっとも、天皇には本人は自身も海外に行きたいという思いもあるようだ。ただ、それはさすがに無理だと分かっているので。
「一太よ、横浜に行くぞ」
時間があると、横浜の租界を訪れて、外国人と話をしている。
エドワードと会見したことですっかり親英派となったこともあり、憲法もイギリスの法文を取り入れたものとなってしまった。もっとも、何だかんだと英語を理解する者が多いので法文の訳自体は速やかに進んだが。
天皇が馬車に乗り、護衛がそばを歩く。
私は御者の隣に座り、話を聞くことになる。
「選挙を行うには、あとどのくらいかかるかのう?」
もちろん、英国式であるから、庶民院である衆議院と貴族院が存在している。
ただ、選挙を実施するのはさすがに時期尚早であるので、その要件などについては話し合いをしているところだ。
史実で第一回衆議院選挙が実施されたのは明治23年、今から20年後の話となる。
さすがにそれより早く実施したいところではあるが、市井の教育も進めていかないとならないので、まだまだかなりの年月が必要となるだろう。
もっとも、すぐに実施されると、私が無理矢理出されて、そのまま首相になるコースまっしぐらだ。
それは勘弁願いたいので、当分は今のままで行ってほしいところである。
「何とか、5年くらいで実施にこぎつけたいですな」
「もう少し早くできぬものか?」
最近はこれが口癖になっているといってもいい。何につけても「もう少し早くできないか?」である。
「陛下、そもそも憲法自体急いで仕上げたものでして、江藤新平や伊藤俊輔らすら、まだ完全に理解と解釈を完成させたわけではありません。それを民衆に教えるとなると、更に数年はかかるでしょう」
イギリス法を基に完成させたとはいえ、日本の実情とイギリスの実情とは合わないことも多い。
ある程度目をつぶって実施してきたが、日々の訴えの中から起きている問題もあるし、今後も起きうるものがある。現在、日本には憲法学者自体存在しないのでそうしたものに対して、政府の公式見解をまとめないといけない。
それをまとめたうえで、今度は教師に教えていくことになり、そこからようやく市民に教えていくことになる。
福澤諭吉など、政府に入らないと決めた人間の協力を得て、どうにかこうにか進めているが、さすがに先の見えない話だ。地道にやっていくしかない。
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