第5話 一太、江藤と憲法論をかわす
ひとまず、孝明天皇に今後の流れと元号について理解してもらった。
更にこれから二か月の間でこの世界版の「五箇条の御誓文」を作る必要があるが、これは諸国の武士に考えてもらうべきだろう。
孝明天皇と話した翌日、江藤新平と憲法について話し合うことになった。
「私も詳しくはないのだが……」
実際、法学部にいたわけではないから大日本帝国憲法も日本国憲法も細かい内容は分からない。
ただ、基本的な内容として天皇について、人権について、議会の立法権や議員について、行政と大臣について、司法権について、予算に関することについて定められていたはずだ。
「憲法というのは、それぞれの国の様々な歴史的経験を元に作られたものだ。しかし、日本はそうした経験を積んでいるわけではない」
例えば人権思想というものは、ヨーロッパでは国王の専横に対する反撃装置として作られたものだ。
しかし、日本では国王の専横というようなものが曖昧だ。そもそも国王が誰なのかという根本的な疑問がある。江戸時代において天皇ではないだろう、将軍なのか、諸国の大名なのか。
議会というものが存在したことがないので、その保証などについても全部何となく導入してみました、ということになる。
「ゆえに色々と齟齬をきたす部分があると思うので、変更については敷居を下げた方が良いと思う」
いわゆる硬性憲法と軟性憲法という問題だ。
成文法の憲法は基本的に変更がしづらい。その中でも日本はもっとも硬い部類に入る。大日本帝国憲法も日本国憲法も一度も改正されていないはずだ。
それどころか普通の法律も中々変更されない。
尊属殺人の規定などは「平等原理に背き、憲法に違反する」という最高裁の判決が出た後もずっと刑法には残り続けた。
先祖が作ったものなので変えてはいけないもの、くらいの認識を持っているようにも思える。
「武家諸法度は必要に応じて変更されてきた。そのくらいの認識でも良いと思う」
「そうだとすると、必要な法文も改正してしまうのではないか?」
「その場合は外国の目が光るから問題ないと思う」
例えば、トルコのミドハト憲法だ。
大日本帝国憲法に先駆けて、オスマン・トルコも憲法を制定した。目的も日本と同じで不平等条約を撤廃してもらうためだ。
しかし、ミドハト憲法には列強にとって問題のある条項があった。だから、この制定で不平等条約を撤廃することはできなかったし、実際何年かしてスルタン・アブデュルハミトが君主大権を行使して元の君主制国家に戻してしまった。建前として憲法は残っていたが、アブデュルハミトが好き放題していたオスマンを憲政国家とは言えないだろう。
結局、憲法を頑なに守っているが、解釈論や規則などで事実上変えてしまうよりは、憲法そのものを変えられる仕組みにした方が分かりやすいだろう。
「では、まあ、そういう方向にするか。軍はどうする?」
「軍か……」
当然ではあるが、江戸幕府では軍権は征夷大将軍にあった。
将軍はもちろん武士階級をなくした明治日本は、天皇の管理下に置くことにした。
武士を廃する以上はそうするしかなかったという側面はある。市民からなる軍、とした場合は従来の軍事階級である武士・士族が大きな顔をすることは間違いない。天皇という武士と異なる存在を立たせることで武士の影響力を排除しようとしたのである。
ただ、それが出来たかというと疑わしい。
結局、陸軍は長州、海軍は薩摩との影響が太平洋戦争終結まで強かった。例外がなかったわけではないが、結局は当時の武士階級が多く残っていたことに他ならない。
また、天皇の下に置くことで統帥権という問題が出て来た。後年、軍縮などの問題が生じた時に「天皇の統帥権侵犯」という問題で抵抗勢力が出て来たのである。
「まあ、帝の下に置くのが無難だろう」
日露戦争が典型的だが、国民の下に置くと「成果が出るまで戦う」ということになりかねない。
現状の日本ではあまりに危険である。
「あとは諸国の憲法を対比して、日本向きと思うものを入れていくのが無難だろう」
「分かった。あとは色々な憲法と対比して、外国の者とも相談してみるが、2年で作るのは大変だぞ」
「……それでも、できれば3、4年では何とかしたい」
「頑張っては、みる……」
江藤はハァと重い溜息をついた。
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