第10話 燐介、アルゼンチンの元独裁者に会う②

 サウサンプトンまで馬車で向かい、そのまま郊外へと走っていく。


 そこにファン・マヌエル・デ・ロサスが住んでいるという。



 で、ここに来るまでに散々ガリバルディのおっさんからデ・ロサスとの因縁を聞かされた。


 ガリバルディは30年くらい前にイタリアで反乱に参加した後、ほとぼりを冷ますために南米に逃げていた。


 あるいは南米で更に実戦経験を積みに行っていたのかもしれない。というのも、ブラジルでアニータをひっかけたガリバルディが腰を落ち着けた先はウルグアイだからだ。


 このウルグアイという国はブラジルとアルゼンチンの間にあって、地図を見るだけで両国の影響を受けていそうだが、実際にそうだし、何なら今だってそうだと言う。つまり両派がいつでも戦争を起こしうる状態にあった。


 25年前、この状況に火をつけたのが当時はまだアルゼンチン連合と名乗っていたアルゼンチンのリーダーがデ・ロサスだった。親アルゼンチン派をたきつけてウルグアイを併合しようとしたわけだ。


 デ・ロサスの強権行動に、自由主義者ガリバルディが黙っているはずがない。南米にやってきていたヨーロッパ人を集めてすぐにゲリラ運動を開始した。


 更にここに「いい機会だからアルゼンチンをぶっ叩いて、一帯の利権を分捕ろう」とイギリスとフランスもやって来て役者がそろった。



 当然、ブラジルはブラジル派を応援するから、ブラジル・イギリス・フランス・ガリバルディ対アルゼンチン(デ・ロサス)の構図となったわけだが、ロサスは簡単には屈せずにイギリスもフランスも手を引いていった。


 その後、最終的にはアルゼンチン内部の反目もあり、デ・ロサスは失脚してイギリスに亡命してきたということらしい。



 この19世紀後半、何とか独立を維持できた勢力は英仏を協力させなかったところのように思う。


 日本は幕府がフランス、薩長がイギリスという具合だったし、タイも東のフランスと西のイギリスの緩衝地帯として役割を見出した。


 英仏が共同した地域……つまりトルコや中国なんかはいいように取られることになったわけだから、英仏双方を敵に回しても負けなかったアルゼンチンは大したものと言えるのかもしれない。



「わしは終わる頃には大陸ヨーロッパの革命に身を投じていた。だから、奴に引導を渡すことができなかった」


 という言い方だけ聞いていると、今、引導を渡しに来たようにも見えるが。


「とんでもない。年金生活の老人を倒して悦にいるほど、わしは落ちておらん」


 そう、年金暮らしである。


 デ・ロサスはアルゼンチンで独裁者然としていた。独裁者なんていうのは、自分の国で好き勝手しつつも外国に隠し財産などを持っているものだが、ロサスは持っていなかったらしい。だから、イギリス政府からの僅かな年金を貰って暮らしているらしい。


 もう70を過ぎているから、随分と細々と暮らしているんだろう。



 そう思って、ガリバルディがイギリス政府から聞きつけた場所に来ると、小さな農園があった。


 そこを耕している老人が1人いる。くたびれた感じではあるが、背筋はしっかりしている。


「おう、おまえさんがデ・ロサスか?」


 ガリバルディが声をかけた。相手が振り返って首を傾げた。


「誰じゃい、おまえさんは?」


「わしが分からんのか!?」


 ガリバルディは驚いているが、いや、それは分からないだろう。


「赤シャツ着てないんだから、分からないって」


「おぉ、そうか。わしだ! ジュゼッペ・ガリバルディだ!」


「ガリバルディ……? おぉ、おまえさんがガリバルディなのか!?」


 デ・ロサスは特に警戒する様子もなく近づいてきて、ガッチリと握手をかわした。


「あの時は大変だったのう」


「あぁ、大変だった」


 いやいや、大変な状況にしたのはあんた達なんじゃないのか。


 という、ツッコミを入れたくもなるが、2人とも当時を懐かしんでいるような雰囲気だ。まあ、この2人にとっては自分の人生の重要な何ページかを立場は別にして共有したわけで、当時はともかく終わって10年以上も経つとそれ自体思い出として共有する間柄になるのかもしれない。



「しかし、すっかり農夫姿が似合うようになったのう」


 ガリバルディの言う通り、デ・ロサスはどこからどう見ても農家の爺ちゃんにしか見えない。


 まあ、スーツ姿や軍服姿で農地にする奴はいない。服装補正が大きいのかもしれないが。


「自分で農地を耕すのも中々楽しいものだ。まあ、食うに必死で遊んだり新聞を読んだりする余裕もないがな。ハハハ」


 そんなデ・ロサスの視線が俺に向かう。


「その若いのは何者だ? 戦場では頼りになりそうにも見えんが」


 悪かったな。


「こいつはリンスケ・ミヤジという名物男だが、知らんか?」


「知らんなぁ。さっきも言ったが、こっちに来て以降、食うに必死で新聞もまともに読めておらん」


「日本というアジアの端からヨーロッパにやってきて、アメリカもヨーロッパもアフリカも回っている男だ」


 いや、アフリカは回っていないが。エジプトは行ったけれど……。


「中々に珍しいことを考えている男だ。アルゼンチンで動けるようにしてやれんかね?」


「今のわしにできることはほとんどないが、まあ、聞かせてもらおうか」


 基本的には農作業しかしておらず、暇そうな老人だ。


 作業が終わったら聞こうという話になった。



 しかしまあ、敵対していたはずなのに何とものんぞりとしたものだ。


 この時代には相手を認め合うような、ある種の騎士道精神みたいなものもある、ということなのかね。

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