第4話 燐介、体育学の普及を考える

 スウェーデン体操の創始者でもある世界でもパイオニア的な体育学者であるリング家の二代目・ヤルマール。


 俺は校長室に案内され、彼と直に向かい合って話をすることになった。


「……私の父だったペルもそうだが、我々は体を動かすことに大いなる可能性を感じている。何故ならば医学・薬学といった科学は体そのものと密接に関わっているから、だ」


 学問としての体育学から話が始まった。さすがに学者的な発想をしている。


「とはいえ、多くの人は、体を動かすことと学問の繋がりをあまり大切にしていない。本を読み、哲学を考えることが学問と考えている。我々はそれを何とか打開できないものかと考えていた」


 まあ、それはあるよなぁ。


 21世紀の日本にも体育大学はあるが、恐らく多くの人はそこで実技をしているというイメージだろう。学問をしているっていうイメージは俺もそうだが、あまり抱かれないかもしれない。



「そこにオリンピックを開催するという話だ。運動というものに世界の注目が集まるかもしれない。世界中の者が参加して頂点を競うとなれば、様々な研究が進むだろう」


「そうですね」


 確かに実際のオリンピックでも研究は進んだ。


 それこそ、ドーピングとか良くない技術も含めてだが、あれも歓迎されないとはいえ科学とは言える。


「なので、是非とも開催を実現してもらいたい。我が王立中央体育協会は組織をあげて応援したいと思っている」


「ありがとうございます。多くの国はまだ体育学はおろか、体育という発想すらない状況です。もし実現したのであれば、スウェーデンだけでなく他国にも体操を含めた体育学を教えに行ってもらいたいと思っています」


「なるほど。確かに世界に体育を広めることも普及に繋がるな。とはいえ、あまり多くの講師を入れることは予算上の制約がある……」


「確かに……」


 体育学は新しい学問だし、21世紀でも主流ではないからな。


 予算を多くつけるというのは難しいし、それに即した人材もいない。


 学があって、体育万能な奴はいるにはいるが、基本エリートだからな。そうでない形で兼ね備えた存在はいない。



 いや、いるじゃん……。


 佐那なんかまさにこういう感じだ。武家階級の女子として通り一遍の学問があり、武芸も堪能だ。俺より強いわけだし。


 佐那だけではない。大政奉還や四民平等が進めば士族の連中が職にあぶれる。そういう面々のうち有望そうな人に体育学に携わってもらえば良いのではないだろうか。


 それこそ、嘉納治五郎が柔術を柔道と変えて、教育的な要素も加味したように。


 士族の商売をやらせるよりも、余程やりやすいのではないだろうか。



 時代に取り残されそうな士族の人には、作業員として働いてもらう傍ら、各国で指導員くらいになってもらおうと思ったが、国際的な言語教育を行えば、優れた学者になれるかもしれない。


 そうした面々が増えれば競技レベルも上がって、世界の人を驚かせることができて、需要が高まることになるから一石二鳥だ。



 課題としては、軍学校との競争に巻き込まれる可能性があるということか。


 正確に言うと、国家に任せてしまうとそういう方向性に行くだろう。日本もそうだが、近代化というのは富国強兵というイメージがつく。優秀な動けるやつは兵士として使いたい。


 南北戦争で競走馬が軒並み軍用馬に転向させられているし、第二次大戦中に沢村栄治ら多くの野球選手が徴兵されてしまったあたりがその典型例だ。


 だから、こっちをやるとすれば民間で進めないといけなくなるだろうな。


 そう考えると、民間にありながら公共的なことのために財産を残したノーベルと組むというのが更に意義を持ってくるのではないだろうか。



 タタ財閥やノーベル財団から資金を投入してもらい、それで日本の士族を含めた世界中の学と体育が並立した面々を講師として育てる、オリンピックを通じてスポーツ普及という流れを作ることは決して不可能ではないんじゃないか。



 俺の方針は決まった。詳細は話せないが、ヤルマールにも言ってみる。


「ロンドンにこれだという人がいますので、ちょっと声をかけてみたいと思います。うまくいけば、近いうちにまたここに来るかもしれません」


「そうかい? もし君に何かしらの改善策があるのなら是非やってもらいたい。我々としてはいつでも大歓迎だよ」


 ヤルマールはにこやかに返事をしてくれた。



 王立中央体育協会を出ると、俺は、早速ロンドンに向かうことにした。


 目的は二つ。


 ノーベルが開発するダイナマイトの販路を切り開くということと。


 まだロンドンにいるはずの中沢琴と山本八重に体育学講師としての話を持っていくことだ。

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