第19話 慶喜動き、大政奉還へ進みだす

 翌日、江戸城に出仕すると、約束通りに一橋慶喜が登城要請を出してきた。


 話を聞いていない将軍、老中は戸惑う。「天狗党に関することだろうか?」と色々訝しんでいるようだが、ひとまず受け入れることにした。



 慶喜が入ってきて、家茂の前に平伏した。


「上様にあられましては、お変わりなく何より」


「一橋公も壮健なようで、何より」



 定型的な挨拶をかわした後、慶喜が電信の話を持ち出した。


「……ということで、電信を巡らせるという話を聞いております」


「うむ、それは余も勝安房から聞いておる。朝廷に頼むつもりでもある」


 と言って、家茂は大奥の方にチラッと視線を向けた。


 言うまでもなく、家茂の妻は和宮だ。孝明天皇の妹である。


「しかるに今後もこのようなことは増えてくるでありましょう。日ノ本は危急存亡の秋にございます。幕府から諸大名に指示を出すのではなく、大きな方針は朝廷に出してもらい、それを幕府が……徳川家が実行するという方が国のためになると思います」


「……というと?」


「この際、大政を朝廷に奉還し、幕府は朝廷の下で政務を執り行う第一人者として存在すべきではないかと思います」


「……何と?」


 家茂は驚きのあまり、後ろに大きくのけぞった。彼だけではない。周囲で聞いていた者も驚いている。


 いや、正確には私もかなり驚いている。そういう話をするだろうと理解していたが、ここまでストレートに話を持ってくるものか、と。


 家茂が精いっぱい平静を装って返事をする。


「……一橋公。あまりに突然の話ゆえ、今すぐには回答できぬ。一度皆に預けて話をせねばならない」


「もちろん承知しております。それでは、拙者は本国のことがありますので」


 慶喜はそれだけ言うと、再度一礼して立ち上がり、そのまま帰っていった。


 呆れることこの上ない雑な行動だが、慶喜からすれば、根回しはこちらに投げているという認識なのだろう。「こちらが最初に発案するゆえ、あとはおまえでどうにかしろ」ということだ。



 家茂が唖然とした様子で私を見た。


「一太よ、一橋公は一体どうしたというのだ?」


「はい。大政奉還については、勝様や小栗様も交えて話をしたことがございます。そのことを一橋公と話をしたところ、やはりもっとも大切なのは徳川家のこと。そのことについて上様に申し上げるとは言っていたのですが、まさかかように突然とは思いませんでした」


「あれだと言い放っただけになるのではないか?」


「いえ、それはございません」


 誰も交えずにいきなり面と向かって言っただけである。だから、後から「そんなことを言った覚えはない」と白を切るのではないか。


 家茂はそう警戒したようだが、いくら何でもそれはない。将軍との面会であるから、小姓達が記憶も記録もしている。慶喜が今日やってきて、いきなり大政奉還を将軍に進言して帰って行ったという事実は動かしようがない。



 程なくやってきた勝海舟もこの展開には驚いていた。


 ただ、もっとも反対すると思われた徳川慶喜が賛成するということが明らかになったのだから、悪い展開ではない。慶喜が賛成したのなら、龍馬ルートで松平春嶽も同調するだろう。徳川全体が一致したのなら、後は進めるだけである。


 早速、勝をはじめとした将軍近侍の者達が具体的な計画を進め始めた。


「時機としては、電信制度の普及について、諸藩が認めたところがよろしいでしょう」


「それが良いだろうな。朝廷に任せて円滑に進めるのが良い、と皆が認識したところで進み出ることだ」


「諸大名のうちに伝えるべきだろうか?」


「外様には伝える必要はないだろうし、京にいる者にも伝える必要はないだろう」


「ただ、尾張様がいるぞ」


「そうだな、尾張様に伝えないのはまずいかもしれない」



 将軍が同意した。


 将軍は紀州出身なので、御三家のうち紀伊も問題ない。


 水戸は一橋慶喜が承諾したのだから、これも問題ない。


 残る御三家は尾張。こちらは確かに直接伝えてはいない。


 尾張徳川家の当主は義宜だが僅か六歳。実権は父の慶勝が握っている。


 この慶勝は松平容保の兄であり、史実では長州征伐の指揮官も務めた人物ではあるが、松平春嶽あたりと比べて知名度は低いし、際立った評価を得ているわけでもない。


「それほど恐れるに足りる御仁ではないだろうが、念のため伝えに行った方が良いだろう」


 勝海舟の提案に、皆が頷いた。



 これだけのことであるから、徳川家全体の一致が必要だ。


 世の中にはえてして、特に賛成でも反対でもないが「自分には話が来なかった」という理由で反対的になる人物もいる。


 勝海舟らの言う通り、徳川慶勝はそれほど恐れるべき人物ではないはずだ。話さえすればスムースに進むだろう。


「で、誰が伝えに行くべきかということだが、この話を一番良く知っているのは」


 勝が私を凝視する。


「……私ですね」


「任せたぞ。実務的なことは江戸で進めておく」


 連絡役が私に回ってきたことだけは予想外だったが、これから京に戻るわけだし、その帰路だと思えば良いか……

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