第17話 一太と慶喜③

「一太よ、そなたが帝に色々提唱しているということは、余も聞いている」


 慶喜から切り出してきた。


「ははっ」


 私が孝明天皇に話した内容が漏れている。


 これ自体は望ましいことではない。ただ、慶喜の立場なら仕方ないとも言えるだろう。


 こうした話は完全に2人だけでできるわけではない。天皇は側近に聞くこともあるだろうし、私も京都守護職松平容保をはじめ要人には多少伝えている。そうした話が慶喜まで回り回ることはあってしかるべきだろう。


「そのうえで、この国と、帝と将軍という関係について改めて話してみたいと思う。これは将軍とか政策とは関係なく、今後を考えるうえで必要と思うゆえに、な」


「その通りでございます」


「大昔は帝がこの国を統べてきた。しかし、全てを統べるは難しくなり、帝は都を治めるようになり、源氏が武士階級の棟梁となった」



 ツッコミどころが全くないではない。


 ただ、総じてそういう認識で合っているだろう。


「これに対して、中国では皇帝が全てを取り仕切っている。つまり、大昔の帝が支配してきたそのままの通りに今まで来ていた」


「……特に異論はございません」


 中国は皇帝の完全独裁制度だ。これは共産党政権が支配するようになった21世紀でもほぼ同じスタイルであると言って良いだろう。


「だが、その中国はイギリスに完全に負けた。となると、帝に権限を一元化してしまうのは難しいのではないか?」



 なるほど、慶喜は私が「電信制度に関しては帝が諸藩に要請した方が良い」と言ったことを、「帝が日本の頂点に立つべきだ」と解釈したのだろう。


「恐れながらその認識は少し違っております」


「何が違うのだ?」


「先ほど、一橋公は『中国がイギリスに負けた』と申されました。私は、まさにこのイギリスのやり方を提唱しているのです」


 慶喜は天皇と将軍が両立している体制を言っていた。


 将軍というのは武士の棟梁である。


 武士は伝統的には国を守る存在だったから、その頂点にいる者が国を代表する存在だったことは不思議ではない。日本であれば征夷大将軍であるし、他の国であれば国王である。


「しかし、今や戦いは武士だけで行うものではなくなりました」


 戦争において、戦場で戦う者達に拠る比率は時代が進むにつれて低くなっている。


 資金、兵站、支援体制といった間接的なことはもちろんだ。そして、国自体を支えるものは、日常活動によって生み出される。戦争中であっても日常が要求される時代になっていくのだ。


「すなわち、武士のみが戦う時代はヨーロッパでは終わっているのでございます。であるからこそ、武士という特定階級ではなく、国王以外の者達の中から首相を選ぶようになったのでございます」


「つまり、農工商の中からでも将軍を選べるようにするということか?」


「平たく言えばそういうことでございます。農民がおらねば兵糧になりませんし、今や工人がつくる武器の性能は千人や万人の差を覆します。商人が出す金がなければならないのももちろんです」


「ま、理屈は分かる」


「仮により大規模な戦いとなった場合は女子の力も必要になってくるでしょう」


「そこまで大きな戦になるか? とはいえ、まあ、古来より城が陥落しそうになると女子供も戦ったというからのう」


 慶喜は他人事のように昔と言った。


 とんでもない。史実であれば戊辰戦争の会津などはまさに女子供まで総動員して戦っていたのだから。



 慶喜はしばらく何も言わずに考えて頷いている。自分の中で整理しているのだろう。


「ま、そなたの言うことは何となくではあるが分かった。しかし」


 そう言って、首を傾げる。


「例えば我が水戸であれば、光圀公以来、尊皇研究を進めていてほぼ全ての者が尊王の志をもっている。しかし、それだけの時間がかかったのだ。一太の言うことは正しいのかもしれぬが、この日ノ本全体に、しかも武士以外の者にまでそうしたことを理解させることが、果たして可能なのか?」


「うーむ、それは簡単ではありませんね」


 明治以降の日本は、そのための悪戦苦闘の歴史と言っても良いだろう。


 そもそも21世紀ですら、こうした部分への理解は足りていないのかもしれない。権利や法治主義といった言葉や概念は語られるが、それが何のためにあり、どういうものを目指すのかということまで理解されているかというと、そうではない。


「一橋公のように理解をして、我慢ができるような人間を増やしていくしかありません」


 ただし、この世界では史実よりもチャンスがあるかもしれない。


 史実では、現場にいた者がトップになりすぎてしまった感がある。維新の三傑と呼ばれる大久保、西郷、木戸にしても広く教養をというよりは現場での指導力が評価された人物だ。例えば小松帯刀のように教養も備えた立場の者もいたが、残念なことに維新後まもなく病没してしまった。


 武力倒幕がないのであれば、史実以上に佐賀の優秀な人材が評価されるかもしれない。それに加賀から多くの留学生が出るのであれば、彼らも貢献してくれるだろう。


 もちろん、慶喜のような色々な苦労を知る者が追放されることなく残ることも大きいはずだ。


 史実よりは、もう少し明るい未来があるのではないか。



 もっとも、この私の考えは矛盾しているともいえる。


 平等が必要だ、と言いながら、そのスタートの段階ではしっかりした知識のある上の者が必要だ、と言っているのだから。

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