第16話 一太と慶喜②

 翌朝、龍馬は越前の上屋敷に向かい、春嶽に話をしてくるという。


「うん? 春嶽公は江戸にいるのですか?」


「おう、正確には知らんが、水戸の状況が緊迫しているらしくてな、一橋公ともども江戸に戻ってきている」


「水戸の状況?」



 そうか、天狗党の乱か。


 色々な事件のタイミングが変わっているし、イギリス皇太子がやってきたこともあってうっかり失念していたが、慶喜の故郷である水戸ではこの年、天狗党の乱が起きていたのだった。



 水戸の尊攘派は、井伊直弼の安政の大獄で弾圧され、おおっぴらな活動はしづらくなった。


 しかし、一橋慶喜が将軍後見職について各地を移動するようになったことで、一部の尊攘派は京都や横浜などにも活発に出入りして活動を広げていた。その筆頭が武田耕雲斎や藤田小四郎である。


 彼らは慶喜の兄でもある水戸藩主・徳川慶篤よしあつの下で水戸藩内では勢力を広げていた。また、これといった手勢のない慶喜の戦力としても機能していたようだ。


 史実では慶喜とともに横浜閉鎖を主張して、それが容れられなかったことから決起したという。


 この世界では、史実以上に尊攘派が不利な事態に追い込まれていて、横浜を閉鎖しようなんて話自体が出ていない。逆に言うと、池田屋で決起した面々と同じく、史実より危機感を感じての決起となっているから、より過激な行動に出る可能性がある。



 水戸は大変だが、逆に屈服させるチャンスかもしれない。


 江戸で頼りにしたいのは勝海舟だが、彼は家茂に心酔している反面、慶喜のことは嫌っている。会いたいというと色々文句を言われるだろう。


 やはり、先日渡りをつけた河井継之助ルートが良いだろう。


 思い立ったが吉日ということで、沖田とともに長岡藩の上屋敷に向かった。


「また、来たのか……」


 河井はげんなりとした顔をしているが、それでも進展はあったようだ。


「これからお主を呼ぼうと思っていたところだ」


「ということは、話がついたと?」


 私の答えに、河井は「うむ」と頷いた。


「一橋公も、お主と話をしたいと言っていた」


 ほう、私と話をしたい?


 本当だろうか?



 ともあれ、私は早速河井に伴われて水戸の上屋敷へと向かうことになった。


 現代で言うと上屋敷の後楽園があるところに水戸の上屋敷がある。言ってみれば尊攘派の巣窟のようなところで、ここを訪れるのは中々勇気がいる。それこそ尊攘派に暗殺される危険性もある。


 私達とすればそれを理由に拒否することもできるが。


「このわしの顔に立てて、水戸の連中に口出しはさせぬ」


 と、河井継之助が断言したので信用することにした。


 正直なところ、仮に私が水戸藩上屋敷で暗殺されたとしても、困るのは慶喜の方だろう。藩士はさておき、慶喜がそんな馬鹿なことをするはずがない。


 ただ、何かのきっかけで暴発する可能性はある。屋敷に入る時は偽名でも使っておくべきだろう。



 屋敷の中に入り、応接室へと向かう。


 特に殺気のようなものは感じない。むしろ、友好的とさえいえる。


 まあ、表の顔を信用しすぎると危険ではあるだろうが。


 慶喜の部屋へと通された。


 一橋慶喜は幕末維新の中でも、もっとも有名な人物の1人であり、その写真も広く出回っている。だから、会うなり「慶喜だ」と分かるのが有難い。


「お主は、小身だが、将軍の信任が厚い旗本らしいな?」


 さすがに後見職を務めており、家茂のライバルだっただけのことはある。「上様」とは呼ばずに「将軍」と呼び捨てだ。


「はい。現在500石にまで引き上げてもらいました」


 元々は200石だったが、一応色々功績があるということで現在は500石まで上げてもらっていた。かの鬼平・長谷川平蔵の家は400石で、遠山の金さんで有名な遠山家は500石だ。


 私が知行を貰うようになったのは5年前からだ。短期間でかなり出世しているとは言える。


「……中々の出世ぶりだが、余にとっては取るに足りない存在とも言える」


「それは間違いございません。一橋様が一息吹けば、ここにいる沖田もろとも吹き飛ぶでしょう」


「だが、それにも関わらず話したいことがあるという。余程、余に話したいことがあるらしいな?」


 向こうから話のきっかけを切り出してくれた。


 私は姿勢を正し、一度頭を下げる。


「はい。ここ数年、日ノ本という船は大きな嵐に遭って進むのも大変になっております。今、ようやく晴れ間が見え、嵐を乗り越える道が見えてきましたが、そのためには徳川家はもちろん、日ノ本全てが一つにならなければなりません」


「ほう……」


「僭越ながら、上様にもっとも反対しそうなのは一橋様でございます。ですので、何とか理解してもらおうとやってきました」


「面白い。聞いてみよう」


 慶喜は楽しそうに笑った。


 最後の峠たる余は甘くないぞ、そんな言葉が聞こえたような気がした。

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