第14話 一太と龍馬①

 江戸城から戻り、佐久間象山と事前に打ち合わせていた料亭で合流すると、勝海舟もついてきていた。


 行くなり2人が激しく口論している。勝が私を見て問いかけた。


「おぉ、一太。こいつから聞いたが、大政を奉還するというのは本気なのか?」


「だからそうすると言っているだろうが!」


 勝と佐久間の第一声で大体の事情は理解できた。


 佐久間の説明を勝は大法螺だと受け取ったのだろう。



 改めて言うことでもないかもしれないが、史実の大政奉還は幕府が完全に追い込まれてとった窮余の策だ。方向としては合っていたが、「今更?」と幕府の魂胆が見透かされて破綻してしまった。今は窮余の策ではないが、余裕がある時には幕府も「まだ他の方法で何とかなるのではないか?」という別の下心が過ぎるだろう。


 そこまでしなくても良いのではないか。そう思うこと自体はやむをえない。


 ただ、事は幕府の存続だけでなく、近代化日本への進展にもかかわる。幕藩体制ではそれが無理だから、何とか進めるしかない。


 それに朝廷だって現時点で奉還されてもどうしようもないのだ。3年後の時点でも慶喜がそう判断したくらいなのだから、今は尚更である。


「結局のところ、電信整備のための方便であって、具体的な施策は上様に任されるに決まっています」


「……そうかもしれんが、よぉ」


 勝は明らかに不満気な様子だ。


「慶喜公と春嶽公は朝廷が命じたから従えなんて意見には絶対に従わんぞ」


「そこはそれ、まあ、何とかしますよ」


「本当かよ?」


 勝は呆れているが、佐久間が調子よく笑う。


「この佐久間象山と山口一太がいるのだ。不可能などあろうものか!?」


「……まあ、この先生が誰かに斬られれば、そういう風になるかもしれねぇなぁ」


「こら! 義兄に対して斬られればとは何ということを言うのだ!?」


 ますます収拾がつかない。


 まあ、2人とも楽しそうでもある。こういうやり取りが好きなのかもしれない。



 一刻が経つ頃には2人とも騒ぐだけ騒いで寝てしまった。


「かたじけない。これでどうか……」


 加賀で本田政均からもらってきた一両小判を店に渡して、始末を頼むことにする。確かにこんな感じでバカ騒ぎをしていれば、いつか誰かに斬られるかもしれないなと思いながら、沖田とともに料亭を後にした。



「おっ、山口先生じゃないですか」


 料亭を出たところで聞きなれた声がした。聞きなれた声というよりは、聞きなれたイントネーションというべきだろうか。


「これは坂本先生。どうしましたか?」


 坂本龍馬であった。


 長崎から電信制度を私に伝えて、その後江戸に行っていたが、そのまま江戸に滞在していたようだ。


「いや、勝先生がここの料亭で狙われるかもしれない人物と食事をするということで、一応様子を見ておりました」


「狙われるかもしれない人物……」


 というのは、佐久間のことだろう。


 江戸も一時期に比べると大分平和になったが、尊攘派が全ていなくなったわけではない。


 佐久間とともに前後不覚に陥った勝を見て、「2人そろって無防備なものだ」と思ったが、最低限の備えはしていたらしい。


「山口先生もいたとは思いませんでしたが、幕府にこういう話ができるのは山口先生しかいませんからな」


「……とんでもない。坂本先生1人ですか?」


「いえ、神戸操練所の連中も何人か隠れて見張っています。こういう時に頼りになる岡田以蔵というのがおったのですが、もう長いこと江戸でも京でも見ていません」


 そういえば岡田以蔵もいたな。


 燐が外国に連れ出して、今はアメリカでメジャーリーガーになっていたんだろうか。


 岡田以蔵に野球をやらせるなんて芸当をしでかすのは燐くらいだろう。



「千葉道場に誰か頼めば良いのではないですか?」


 龍馬は千葉道場とは関係が良いし、護衛の剣士の1人くらい用意してくれるのでは?


 そんな軽い雰囲気で聞いたのだが、龍馬が予想以上に仰天した。


「千葉!?」


「……どうしました?」


「いや、山口先生。ちょっと千葉道場には……」


「……? あっ」


 そういえば、このくらいの時期に坂本龍馬は妻のお龍と会っていたかもしれない。


 許婚である佐那に対して「別に好きな女がいる」とは言いづらいのだろうか。


 燐と佐那の関係を伝えたら、龍馬としてはやりやすくなるかもしれないが、それはそれでいらぬ波風を立てることになるかもしれない。


 しばらく様子を見ておいた方が良さそうだ。



 結局、一度出たにも関わらず、私と龍馬はもう一度入りなおして、勝と佐久間が寝ている隣の部屋で話をすることになった。


 また一分、二分と飛んでいくことになりそうだ。


 金というのは、手元に沢山ある時にはどんどん出て行くものである。

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