第3話 ムガル帝室の末裔

 インドの精神的な近代化を図る組織ブラフモ・サマージ。


 その急進派の代表であるデヴェンドラナート・タゴールとケーシャブチャンドラ・セーンの2人はその日のうちにやってきた。


 ヒンドゥーの後進性に不満をもち、キリスト教精神をもって近代化を図ろうとするセーンに対して、ヒンドゥー自体を否定せずに明らかに問題のあるところを漸次直していこうといるタゴール。


 どちらの考えも間違っていないのだが、ことインドにおいて、2人のスケールではちょっとまとめあげるのは難しいように思う。



 もう少し大きな何かが必要だ。


 大きな何か……


 日本はインドほどの民族対立、宗教対立というものはない。そもそも、宗教面という部分で日本には天皇という存在がいる。いかに対立していても天皇という錦の旗の前では、全員が従わざるを得ない。そういう威光がある。


 日本のような割と対立の芽が少ない地域でも、そうした存在が必要なのだ。


 インドにはそうしたものがない。まあ、もう少しすればインド帝国となったヴィクトリア女王がインドを象徴する存在になるわけだが、それはちょっと違うような気もするんだよなぁ。


「インドにもそういう存在がいるぞ」


 そんな話をアフガーニーとしていたら、「いる」という回答が返ってきた。


「いるのか?」


「ムガル皇帝だ」


「……いや、それはちょっとダメだろ」


 ムガル皇帝にそうした権威はないだろう。


 というか、イギリスに歯向かってビルマに追放されたじゃないか。



「だが、日本の天皇というのも、将軍家に抑えつけられていたのだろう?」


「あぁ、江戸時代の初期はそんな感じだな」


 徳川家康は禁中並公家諸法度を作って朝廷に介入しようとしていた。だから、幕末動乱で行き詰るまで天皇家はもっぱら文化活動に勤しんでいた。


「ムガル皇帝もそうだ。イギリスに抑えつけられた後は、もっぱら試作などの文化面に傾倒することを目指した」


「そうだったのか……」


「だから、大反乱が起きた時に反乱軍はムガル皇帝を担ぎ出したわけだが、これによってイギリスの逆鱗に触れてしまった」


 なるほどねぇ。


 日本も幕末で一歩間違えていれば、尊王攘夷派が天皇家を担ぎ出して列強に歯向かって、天皇家が香港や上海に追放されていたこともありえたわけか。おっかないなぁ。



 ムガル皇帝が一番苦しい時期の天皇家のように文化活動に生きる道を見出していたというのは意外だったが、日本の天皇家とムガル皇帝の違いとしては、ムガル皇帝はイスラームというインドでは少数派の代表なんだよな。


 ヒンドゥーを信じる人は、ムガル皇帝には従わないだろう。


「そこはそれ、ヒンドゥーの改革を進めてイスラームやキリストとの融合を図るのだ。そのためにブラフモ・サマージという組織があるのだろう」



 むむっ、アフガーニーの言うことは一応、理にかなっているような気はする。


 ヒンドゥーの改革を進めて、イスラームと融和的にする。


 これはブラフモ・サマージが最初というわけではない。ムガル帝国で一番強かった皇帝アクバルも融和的な新しい宗教を作ろうとしていた。


 そして融和的にしたところで、ムガル皇帝の末裔をインドの象徴として担ぎ上げ、その下で近代化を図る。


 対等に生きている分には自分達の言い分が勝つから融和的なものは難しいだろうが、イギリスがインドを頭から完全に抑えつけている今なら、融和的なものができるかもしれない。



 とは言っても、

 ① 俺は偏りこそないが、宗教的知識が足りない。

 ② アフガーニーは知識こそあるが、イスラームに偏っていて不適当。

 ③ マルクスはインドの知識が足りないし、そもそもこいつの思想に融和なんてものはない



 ダメだな。


 それこそ、ブラフモ・サマージの概念を作り上げたラームモーハン・ローイのような傑物がもう一回出てこないと、そんなことは無理なのではないだろうか。


「思想が無理でも、象徴となることは可能だろう?」


「……どうやって?」


「簡単だ。ムガル皇帝はオリンピックで世界一になりましたとなれば良い」



 うぉぉ、政治とスポーツの結合かよ。


 まあ、確かにムガル皇帝の末裔が滅茶苦茶強いです。インド代表として金メダルを取りまくっていますとかなれば、インド人は宗教問わず無視できなくなる。


 ただ、そもそもムガル皇帝の末裔がそんなにスポーツができるのかという問題がある。


 強くないなら話にならない。


 いや、もしかしたら八百長で解決するかもしれないが、そうなると北朝鮮総書記がゴルフでホールインワンを何度もやりましたとか、ロシア大統領はとってもマッチョで柔道でも強いです、とかそういうレベルの話に思えてくるぞ。


 しかし、他の代表というのが中々思いつかない以上、ムガル皇帝の末裔は使う余地はあるのかもしれない。


 一度ビルマまで行って、どんな様子なのか見に行ってもいいかもしれないな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る