第2話 インドの現状とインドスポーツ
カルカッタにあるイギリス総督府は、言うなればインドのバッキンガム宮殿のような場所だ。建物も立派だし、システムもここだけはしっかりしている。
そんな総督府の人達のエドワードに対する反応は「まさか本当に来るとは」というものであった。報告は受けていたらしいが、何かの間違いだろうと思っていたらしい。イギリス王室の者がアジアに来るということ自体考えられなかったようだ。
日本では山口がしっかり準備をしていたが、インドはその機会は逸してしまったようだ。
まあ、山口のような例外的存在を求めるのは中々酷ではあるけれども。
エドワードは総督府のイギリス人と行動することになったので、一旦別れることになった。
俺はマルクスとアフガーニーと共に行動することになるわけだ。非常に不安過ぎる取り合わせだが、まあ、アフガーニーはインドの凄さを知っている人間だから大丈夫だろう。
幸いというか何というか、総督府の人達は俺達をエドワードお抱えのアジア人スタッフと思っているようで、インド人コミュニティを代表する連中を紹介してくれると言い出した。
「ブラフモ・サマージの有力者を連れてきますよ」
と言う。
ブラフモ・サマージ?
18世紀末から19世紀にかけて、イギリスはマラーター同盟やビルマを倒し、インド支配を固めていった。
そうした中で、インドの中でも「このままではまずい」と思う者が出てきたらしい。
その代表がラームモーハン・ローイという人物で、ヒンドゥー、イスラームはもちろんキリスト的思想も持ち合わせた物凄い人物だったらしい。
ローイはインドの多数派を占めるヒンドゥー教の改革をしなければならないと思って、例えば有名なサティー制度(夫が死んだ際に、妻が殉死する)撤廃運動などを皮切りに、ヒンドゥー改革運動を起こしていたという。
ローイは30年前に亡くなったが、その後、ローイの遺志を継ごうとして作られたヒンドゥー教改革を目指す組織がブラフモ・サマージというらしい。
ただし、10か国以上の言葉を操り、キリスト、ヒンドゥー、イスラム文化全てに精通していたローイのような人物は中々いない。故に路線対立が生じてくる。
現在、ブラフモ・サマージの代表的な立場にある者は2人。デヴェンドラナート・タゴールとケーシャブチャンドラ・セーンだという。
このうちセーンはまだ若いがかなり急進的な立場だという。キリスト教の影響をかなり強く受けていて、カースト制度を撤廃しようくらいの主張をしているらしい。
一方のタゴールは年長者で、ローイ亡き後に実質的に組織を立ち上げた人物だ。こちらは「ヒンドゥーのあまりに悪いところは直さないといけないが、まずヒンドゥーの礼拝などをしっかり行えるようにしよう。急に色々変えるべきではない」という立場だという。言ってみれば守旧派かな。
この2人ではいずれ分裂するんじゃないかというようなことらしい。
ちなみに、植民地でこれだけ活発な議論が行われているのは意外に思われるかもしれないが、イギリスはインド支配について宗教面ではほぼ完全な自由を認めているらしい。
というのも、この地方にあるのはヒンドゥー教、イスラーム、あとは仏教やらジャイナ教やら……とキリスト教が全くのアウトサイダーだ。
どれもイギリスにとっては関係ない。ヒンドゥーが勝とうがイスラームが勝とうがどうでも良いところがあるのだろう。大切なのはイギリス支配とイギリス経済のために働いているかどうか、というところだ。
俺も思想的なところは正直さっぱり分からん。
ヒンドゥーやイスラームの議論をふっかけられても、全く相手ができない。
ただ、統一インドという観点で行くと、スポーツで何とかならないものか、という感はある。
現代のインドのスポーツというとクリケットだ。
ことクリケットに関して言えば、世界でもっとも盛んな地域といっていい。
ただ、クリケットのワールドカップが出来たのは1975年と相当に遅いし、オリンピック種目にもなっていない。いや、1900年のパリ・オリンピックでは種目になったが、その一回だけである。オリンピック競技とするには時間がかかりすぎるのが難点なのだろう。
全インドで盛り上がるには、クリケットはイマイチ物足りない。
できればインドでもう少しサッカーを……と行きたいところだが、これはやはり気候が厳しいんだろうなぁ。
既にふれたがインドは日本よりも暑い地域が多い。日本の暑さとインドの暑さは若干質が違うが、90分間走りまわるサッカーをインドの酷暑の下で行うのは不可能に近い。
クリケットのようにのんびりランチでも食べながら、休憩を挟みつつ行うスポーツが向いているということなのだろう。
スタイルが似ている野球という手もあるが、現時点ではアメリカでしかやっていない野球を普及させるのはクリケット以上に無理がある。
あとは馬を使ったポロ競技だろうか。
ボロの世界大会なら馬絡みでエドワードも乗ってくるかもしれないが、種類が違うからちょっと難しいかなぁ。
※ちなみにデヴェンドラナート・タゴールの息子ラビンドラナート・タゴールは1913年にアジア人初のノーベル賞受賞者(文学賞)となっています。
※2028年のロサンゼルス・オリンピックでクリケットが復帰しますが、燐介は2022年に転生したので正式復帰については知らない扱いになります。
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