33章・インド帝国の道半ば

第1話 燐介、インドの現実を知る

 毛利敬親、徳川家茂、睦仁皇太子、島津久光との会見を終えて、俺とエドワードは長崎から日本を後にした。


「これで日本の未来は非常に明るいものとなりました」


 という山口の言葉を信じて、楽しみにするとしよう。



 日本を出た後、上海や香港、シンガポールにも立ち寄るが、エドワードのたっての希望はインドだ。


「一度インドに行ってみたかったんだよなぁ」


 と言っている。


 イギリスの繁栄を支えているインド。


 つい数年前には大反乱が起きたが鎮圧され、完全にイギリスの支配下に入った。


 そうした歴史的、地政学的なことを気にしているのかと思いきや。


「色々エキゾチックらしいし、美人も多いらしいし」


 という、いかにもエドワードな理由だった。


 そういえば、日本でも遊郭に行きたいとか言っていたなぁ。


 安全上の問題を理由に船から出ることを許されなかったが、インドではそういうことはない。上海や香港でも色々問題を起こしそうだ……



 香港に短い滞在をして、半月ほどの航海の末に俺達は東インドのカルカッタに到達した。


 現在は現地語に近いコルカタという名前になっているが、この時代、イギリスによるインド支配の中心地はこのカルカッタだ。


 そこに着くまでの間、色々な資料を集めてみたが。


「うーん、さすがにインド、かなり危険なようだな」


 危険というのは、治安というより、病気や天候といった問題だ。


 現代もそうだが、インドはイギリスや日本より遥かに暑い。日本では40度を超えると大騒ぎになるが、インドでは50度を超えることすらある。


 しかも、この時代でもマラリアなどの病気も盛んだし、ペストやコレラなども依然として発生している。


 そういうのって、下々の問題で支配しているイギリス人は関係ないのではと思うかもしれない。どっこい、そんなことはないのだ。


 直近のインド総督3人は、離任2年以内に死んでいる。1人は任期中だ。暑さにやられた、マラリアにかかった、色々苦労している。


 体力的に厳しい環境であると同時に、任務的にも非常に苛酷だ。


 それでなくても大反乱があり、それが終わったら今度は直接統治へとやらなければならないことが山ほどある。厳しい環境に激務という大きなストレスがかかる。


「それはまあ、死ぬだろうなぁ……」


 日本や香港あたりと比べたら儲かるのかもしれないが、正直、インドで仕事をしたいとは思わない。


 というか、薬とか持っているわけではないから、未来に生きていた俺も全く安全ではない。


 マラリアとかコレラにかかって一巻の終わりとか悲しすぎる。


 まあ、コレラはロンドンでも時々大騒ぎになっていたようだが。



 そんな状況の中で、カルカッタに到着した。


「おーっ、これがインドの太陽か!?」


 何だかよく分からないが、エドワードは喜んでいる。


 まあ、イギリスは曇天が多いから、太陽が多いところが好きというのはあるのだが。



 一方、引き続き俺達に同行しているマルクスとアフガーニーも話をしている。


 アフガーニーは「イギリスのインド支配は酷い」と散々連呼していたが、とりあえずエドワードの下で王室の付き人待遇を受けること自体は否定しない。


 ちゃっかりしているが、人間というものはそういうものなんだろう。


「インドは2億5千万ほどの人口がいる」


 アフガーニーの言葉にマルクスがびっくりしている。


「そんなに人がいるのか!?」


 この驚き自体は誰だってそうだろう。今も昔も中国とインドの人口は反則的だからなぁ。


 ヨーロッパ全域よりも多分多い人口を抱えている。


「それだけ多くの人間が階級闘争と革命を志してくれたら、世界革命が実現する!」


 と、おなじみの方向に走りそうになるのを、アフガーニーが止めた。


「残念ながら、インドではそんなに単純な構図ではない」


「単純!? 吾輩の考えが単純だと言うのか?」


「単純だ」


 アフガーニーはマルクスより20歳くらい年下だが、結構容赦がない。


 ただし、インドの構造はマルクスの理解にはあてはまらないというのもまた本当だ。


 以前にも触れたが、マルクスはヨーロッパ育ちだから、結局ヨーロッパ的な考え方をしていて、他の地域の特色は理解していない。



 インドの構造の複雑なところは、まずはイギリスとインドという観点だという。


 イギリスはインド植民地から多くの利益を受けているから、実はインドは多くの部分で近代化している。その恩恵を受けて、インドの上層は裕福だし、中層も増えてきている。


 つまり、イギリス⇒インドの上層⇒インドの下層という3段階に分かれることとなる。



 それだけで終わらない。ここに宗教の問題が入ってくる。


 インドの多数を占めるのはヒンドゥー教だ。この宗教にはカースト制度という厳然たる差別思想が存在している。上位カーストと下位カーストとの間には歴然たる差異が存在している。


 一方で、無視できないくらいにイスラム教徒も存在している。


 この宗教という部分で、マルクスの考えが全く通用しない。マルクスの考えはあくまでキリスト的なヨーロッパ式考えにおいてのみ成立するわけだからな。


 ロシアではレーニン、中国では毛沢東が一応その考えを現地化させたことにはなっている。


 ただ、インド文化に沿った形でマルクス思想を現地化させるのは困難すぎる。そんな奴がいたら天才だろう。



 マルクス思想の話をしたが、もちろん、俺はマルクス思想をインドに持ち込みたいわけではない。


 インドで近代化を考える場合でも、このとてつもなく複雑な構造を無視できないということだ。というか、21世紀でも解決策を見出したとは言えないのかもしれない。


 これを何とかしようと色々な努力をしている知識人もいるらしいが。


「結局、生まれや育ちが限定されるからどうしても考えることに限界が出て来る。インドの全てを理解することは誰にもできない。深く、広すぎるからだ」


 うーむ、これはインドを旅していただけのことがあって、何とも含蓄のある発言だ。


 俺はアフガーニーに感心したが、その後がいただけない。


「考えるような人間はインドでは生きていけない。インドでは何も考えずに生きていくのが良い」


 いや、それは失礼過ぎるだろ。


 頭が良いインド人は一杯いるぞ。

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