第10話 一太、皇太子と大坂に向かう(山口視点)
イギリス皇太子エドワード達を大坂に残し、私は近藤、土方達と京に舞い戻った。
幸いにして、イギリス皇太子が来ているということは大きな話題になっていないようだ。尊攘派の活動もさほど大きくないようである。
そのまま内裏に向かった。
孝明天皇に取り次いでほしいと願うと、大方の事情は察していたのだろう。すぐに目通りを許された。
奥に行き、天皇に告げる。
「かねてお話のありました、英吉利皇太子がここ日ノ本に参っております。どうしましょうか?」
孝明天皇の口は重い。
「うむ、それは聞いている。ただ……」
ここに来て、やはり皇太子を会わせるわけにはいかないと翻意したのだろうか?
そうではないようだ。
「皇太子を会わせることには異論はない。ただ、どこで会わせるかという話があって、な」
そういうことか。
孝明天皇の考えとして、京に外国人が来るのはやめてもらいたいというものがある。
だから、皇太子睦仁が京の外のどこかでエドワードに会う必要があるが、この場所の選定が難しい。
これが普通の人間なら大坂に出張っていけば良いとなるが、代々色々なしきたりに従っていた皇族である。ほいほい大坂に出向くわけにもいかない。
ただ、皇族が出かけて良いような場所には、逆にエドワードが来ることを望まないだろう。
京で嫌だから、伊勢神宮にエドワードが踏み込んで良いのかとなると、それは嫌がるだろう。
この点は私も迂闊ではあった。
エドワードの安全ということに気を回し過ぎて、皇族側の事情を軽視していたのは否めない。
「熊野三山とかはどうでしょうか?」
「うーむ……」
21世紀には世界遺産にもなっている熊野三山は平安から鎌倉に至る頃は多くの天皇・上皇が詣でていた。那智あたりで合流して(エドワードに那智に行ってもらうのも可哀相だが)もらうという手がある。
「吉野はどうだろうか?」
孝明天皇の提案場所は奈良の吉野である。
南北朝時代に後醍醐天皇が一時的に都を置いていたという点では、皇族ゆかりの土地ではあるが。
「……さすがにそんな僻地に皇太子殿下とエドワード皇太子を行かせるのは……」
さすがに辺鄙に過ぎる。
行くのが大変だ。
「では、どこにすれば良い?」
と、かなり無体に投げかけられた。
本音を言えば大坂まで来てほしいのだが、それを声高に要求すると天皇がへそを曲げそうだ。そうなると尊攘派も噛みついてくるだろうし、かなり厄介な事になる。
どうやって説得したものかと迷っていると。
「自分は、どこにでも出向きます」
不意に廊下の方から高い声が聞こえてきた。たちまち「東宮様」という緊張した女官の声が聞こえてきたから、どうやら皇太子が発した言葉らしい。
「はるばる他国の皇太子が、遠く日本まで訪ねてきたのです。どうして自分達の都合を押し付けることができましょうか。大坂であろうと、相手の船であろうと、どこにでも構いません」
「しかし、東宮よ」
「しかしもかかしもありません。陛下、日ノ本は変わると言われたではありませんか。この国自体が変わろうという時に、どうして自分達が昔からのしきたりにこだわっていられるのでしょう。何度でも言いますが、自分はどこにでも出向きます」
皇太子の言葉に、孝明天皇が「むぅ」と小さく呻いてしばらく沈黙してしまった。
ややあって、「分かった」と返事がなされる。
「東宮よ、おまえの言う通りだ。朕の不明である。好きなようにするがよい」
親子の言い合いに皇太子が勝った。
すぐに足音がして、廊下の方からこちらに近づいてくる。
「待たせたな、一太よ」
入ってきたのは、明らかな少年ではあるが、今に残る明治天皇の印象を携えた少年であった。
足取り軽く外に向かおうとするのを、女官達が止める。
「東宮殿下が歩くなどとんでもありません。せめて籠か輿を」
と言い出すが、それは非常に問題である。
そうでなくても、京は治安が良くない。そんなところを「重要人物が乗っています」とばかりに籠や輿が動いていれば、尊攘派浪士の恰好の的だ。
幸いにして、皇太子もそれを理解していたようだ。
「籠や輿などに乗っていて、誰かに狙われたらどうするのだ? 中でむざむざ殺されろ、とでもいうのか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
「何度も言うが、自分は東宮であり、至尊の地位にあるわけではない。歩いたり馬に乗ったりすることもどうというものでもない」
堂々と言うが、馬に乗ったことはあるのだろうか?
史実では、天皇時代には乗馬が得意だったという話もあるのだが……
とはいえ、皇太子が前向きに動いたことで周囲も止めることはなくなった。
これは有難いのだが、反面、この状況で連れ出して万一のことがあった場合、大変なことになる。近藤達ともども緊張度が高くなっていく。
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