第8話【閑話】 その時のプロイセン(ビスマルク視点)
「……何、我が国の銃を……?」
それはあまりに唐突な話であった。
5月、いきなりイギリス大使がやってきて、「貴国のドライゼ銃を500丁、購入したい」と言い出したのだ。
わしの記憶している限り、つい先日までイギリスの連中は「プロイセンの銃は後ろから入れるけったいな銃だ」と笑い物にしていたはずだ。
それをいきなり500も買いたいというのはどういう了見なのだろう。
「売るのは構わんが、どうするつもりなのかね?」
装備品として標準支給体制は整っている。もちろん、余剰製品も揃っている。だから、譲り渡すことは問題ない。
それでもいきなり180度態度が変わると誰だって「何故だ」と思うだろう。わしも例外ではない。当然、理由を駐プロイセンのイギリス大使に尋ねた。
するとプリンス・オブ・ウェールズの要請だという。
どういうことだ?
現在、プロイセンはシュレスヴィヒ・ホルシュタインを巡ってデンマークと交戦中だ。
プリンス・オブ・ウェールズの王妃はデンマークの王女だ。敵国の銃を研究したいということなのだろうか。
しかし、それでも500はないだろう。
「500丁というのは相当なものだ。プリンス・オブ・ウェールズはロンドンにプロイセン隊でも揃えるおつもりのかな?」
ヨーロッパでは移動の自由が認められているから、ロンドンにはプロイセン出身者が大勢いるだろうし(代表例・マルクス)、その逆もある。
プロイセン出身者には何だかんだ、故郷の装備が良いということもあるかもしれない。
それも違うという。
「日本が、貴国の銃は自国向けだから欲しいというのです。先ごろ通商関係を締結したので、我が国が買い付け、そのまま日本に売ることにしました」
「何、日本!?」
わしは大いに驚いた。
日本と言って、思い浮かぶことは2つしかない。いずれも人物だ。
わしに挑戦してきたイチタ・ヤマグチと、ロンドンで飄々とした生活をしていたリンスケ・ミヤーチだ。
あの2人が、プロイセンの銃を欲しているということか?
「フフフ、ククク、ハハハ!」
しばらく考えるうち、思わず笑い声が出た。
日本など、場所も知れぬような後進国であるが、あの2人……特にヤマグチは侮れない才覚の持ち主だ。奴が欲しいというからには、我が国のドライゼ銃は使えるものなのだろう。
「良かろう、イギリスを通じて日本に売りましょう」
この契約、プロイセンにとって何も損はない。
イギリスがどこまで日本を支援するつもりなのか分からないが、今回の件で多少は貸しを作ることができる。もちろん、日本に対しても、だ。
それに加えて、軍に対して自分達が使う銃に対する自信を深めさせることもできる。わしは他国の評価など全く気にしていないが、実際に使い、命を預ける立場になる兵士達にとっては評価が気になるものだろう。
極東の兵士達も知らない国が発注を求めてきた、ということはそれだけ自分達の使うものに対する信頼を増すに違いない。
しかし、おそらくはイチタ・ヤマグチだろう。名も知らぬ国においてイギリスだけでなくプロイセンの銃まで調べているとは恐るべき男だ。何より不気味なのはとてつもない英才なのに、そうした評判を全く聞くことがなかったことだ。
奴は一体、政治力学、外交原則、情報の重要さをどこの大学で学んだのだろう。
恐るべきことだ。
だが、プロイセンの強みは銃だけではない。
重要な地帯に敷き詰めた交通網や通信網、来るべき戦いを見据えて、オーストリア方面やフランス方面に大勢の兵士・物資を輸送できる状況を整えつつ、ある。
軍の編成も間違いなくヨーロッパで最先端をいく陣容を整えている。
そして、何より、このわしがいる。
オットー・フォン・ビスマルクが。軍事とは、戦争とは何たるかを理解し、綿密に結びつけて実行できる男が指揮しているのだ。
軍事というのは武器だけによってなるものではない。政治全体なのだ。戦争というものは政治の一側面である。
我がドイツが誇る軍事学者クラウゼヴィッツの言葉だ。
物事は一極化すればよいものではない。オールラウンドに捉えなければならない。
しかし、それはヤマグチを下に見て良いという話ではない。
ヤマグチにそうした能力がないという確固たる安心を、わしは得ていない。そこまでの人物ではないと思うが、そうであるかもしれない。
しかも、日本という国は今、ドイツ同様に変革期にあるという。
これは非常に危険なことだ。
ヤマグチはわしより圧倒的に若い。わしとローンやモルトケ(※)が老いて引退する頃、彼は全盛期を迎えるはずだ。
もし、日本が順調に成長したならば、将来的に我がブロイセン……いや、ドイツは手痛い目を受けるかもしれない。奴はロシアを挟んで、プロイセンと日本は近隣国同士と言い放ったわけだからな。
近いうちに、しかるべき者を日本に送った方が良いかもしれんな。
※
アルブレヒト・フォン・ローン
プロイセンの陸軍大臣(海軍も兼務)。ビスマルクを支持してプロイセン軍改革に着手。後の相次ぐ戦争の勝利に貢献した。ローン、モルトケ、ビスマルクの3人がドイツ帝国の立役者とされている。
ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ
プロイセンの参謀総長。普墺戦争、普仏戦争時に参謀総長として作戦を立案。ドイツ帝国建国に大きく貢献した。一般的に大モルトケと称される(小モルトケは第一次世界大戦でドイツの参謀総長を務めたが後世の評価は低め)
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