第10話 一太、横浜で英国艦隊と遭遇する

 伊東道場で半日ほど話をした後、そのまま江戸を出立し、横浜に向かうことにした。


 時間を多少費やすことになったが、結果的には幸いした。



 横浜に戻ると、佐々木が驚きの声をあげる。


「な、何だこの船は!?」


 無理もない。私と沖田は見覚えがあるので目に見えて狼狽しないだけで、内心では驚いている。横浜の港に7隻もの軍船が入っていた。一隻の船は横浜に停泊しており、そこから人の出入りがある。


 急いで公使施設へと向かうと、公使オールコックと1人の軍人が向き合っていた。歳は40半ばくらいか。もみあげのあたりを下まで伸ばしている、この時代風のスタイルをしたスラリとした長身の男だ。


 オールコックが私に気づいて、軍人を紹介してくれる。


「山口殿、彼はオーガスタス・キューパー提督です。東インド・中国艦隊の司令官として上海に駐在していましたが、今回、薩摩との交渉のために派遣されてきました」


 そう言って、今度はキューパーに私を紹介してくれる。


「彼はイチタ・ヤマグチと言って、この国ではリンスケ・ミヤチと並んでもっとも優れた外交官だ。ヨーロッパの事情にも下手すれば私よりも詳しい」


 とまで言ったものだから、キューパーは「そんなことがあるのかね?」と不満そうだ。


「……しかし、リンスケ・ミヤチは確かにたいした人物だ」


「燐介を知っているのですか?」


「少し前に上海にも来ていた。聞くところによると北京に行き、中国の女帝とも話をしたらしい」


 中国の女帝ということは、西太后のことか。


 西太后と話をしているとは、あいつの行動力もとんでもないものがあるな。



 オールコックとキューパーは具体的な話に移っていく。


「さて、提督にはこれからサツマに向かってもらうわけだが、ミスター・ヤマグチの予想ではサツマのシマヅは交渉に応じないということだ」


「本国からの外務大臣ラッセル卿の手紙にもそうありました。ミスター・ミヤチはサツマが交渉に応じないと。開戦はやむを得ないが、湾内が入り組んでおり、地形もよく掌握している。油断すると危険だ、と」


 あいつ、そこまで言っているのか。


 まあ、実際に薩英戦争、薩摩砲撃なのかもしれないが、この戦闘ではイギリスの被害も大きい。燐介としてみると、イギリスと薩摩がお互いの強さを知れば十分なのであって、犠牲者を少なくするためにも長距離砲撃だけにしてほしいというところがあるのだろう。


「おまけにラッセル卿は、戦後には日本から大挙して留学生を招き入れて、日本をイギリスの友好国とする。そのための布石だという話も聞いております。色々制約が多くて大変ですよ」



 近代社会の司令官は、確かに大変とも言える。


 近代以前、中世や近世では司令官自体が為政者であることがほとんどだった。だから、その意思は常にリンクしていた。


 しかし、近代以降は政治も軍事も専門性が進み過ぎて1人で行うことができない。だから、それぞれを別人が行うようになったのだが、そうなると政治の要請が入ってくる。政治が国王の単独ではなく、民主主義となり多数の意見が反映されるようになれば尚更だ。


 史実であれば、キューパーに大きな制約はなかったはずだ。薩摩を懲らしめるというただその一点である。


 しかし、燐と私が色々動いたこともあって、関係はかなり変わった。


 何といっても、イギリス皇太子エドワードが日本に来るかもしれないのである。イギリスの威信を見せつける必要はあるが、といって遺恨となるようなことをしてはいけない。


 そうなると、燐の言うように、湾に入ることなく大砲を長距離砲撃する程度になるのかもしれない。「あんな遠いところから撃ってくれるのか」と薩摩側を驚かせるというわけだ。



 薩摩も自分達の面子はあるが、イギリスと全面戦争をするまでの覚悟はない。


 小松帯刀をはじめ、上層部も冷静に状況を見据えている。「イギリスはやはり凄い」という認識を抱くくらいが落としどころとしてはちょうど良いとも言える。



 東アジア・中国艦隊は翌日には出港するのだと言う。


 私達はその前に出ることにした。おそらく、私達が京に戻る頃には薩摩で砲撃が始まるのであろう。


 つまり、京で準備をした後、長崎・薩摩へと向かえばちょうど終わった頃に薩摩に行けるのではないか。


「佐々木さん、どうしたの?」


 途中、沖田が佐々木の様子を伺った。


 確かに、元々無口な男であったが、伊東道場での件以降、更に口数が少なくなっている。


 沖田の軍関係の話に圧倒されたのかと思っていたが、表情を見ると、どこか納得のいっていない様子だ。


「某、どうにも納得がいかないことがある」


「何でしょうか?」


「山口殿の話を聞いていると、英吉利と我が方、どちらの味方なのか分からなくなってくるのだ」


 なるほど、薩摩が砲撃されるかもしれないという状況の中、私がイギリス公使と和気あいあいとした様子で話をしていたのが不満だったわけだ。


 どう返事をしようか迷っていると、沖田が代わりに答えた。


「それは仕方ないよ。そもそも、日本とイギリスがいて、どちらも同じことを考えるはずがないじゃん。イギリス側がこう考えているだろう、ということを示して、話ができるから山口さんはどこに行っても重宝されるんだよ。日本もイギリスも佐々木さんみたいなのばかりだったら、お互い永遠に戦い続けることにならない?」


「こら、沖田……」


 佐々木みたいなの、という言い方はさすがにちょっと問題だろう。沖田は「あ、ごめん」と一応頭を下げるが、おそらくあまり堪えていない。


 佐々木は再び無言になった。


 納得したのか、それとも不満を押し殺したのか、どうも後者のように思える。



 薩英戦争もある程度穏当に終わりそうな雰囲気がある。


 更にエドワードが来て日英関係が良くなれば日本の状況もかなり変わる。


 その後、もっとも厄介になってくるのは思想の違いではなく、身分の違い。


 佐々木のような武士ということになってくる。


 その縮図が一瞬、垣間見えた。

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