第9話 一太、伊東道場を訪ねる②

 伊東道場の応接間に通された。


 試衛館はどちらかというと素朴な者達のむさくるしい道場だったが、佐々木も言うように本所深川という旗本や商人もいるような場所である。道場も手入れが行き届いており、伊東の妻女らしき女性が茶菓子などを持ってきてくれた。


 来る前までは「酷いところだ」と言っていたはずの沖田が「ありがとうございます」とその餅を頬張っている。


「私は水戸の出身で、尊皇思想を学んで育ってきました。ですので、清河八郎先生を尊敬しておりましたので、その清河先生を打ち負かしたという山口先生の考えがどのようなものであるか、ずっと興味を有しておりました」


「いえいえ、それほどのものではありませんよ」


 謙遜しつつ、やはり面倒なことになったか、と思った。


 清河八郎は日本全土に知られた尊皇攘夷派の首魁であった。彼に勝ったということで、私のことを認めてくれる者が増えただろうが、一方で「ならば山口を倒して、自分が清河よりも上だと認めさせてやる」と思っている者も多いだろう。伊東もそうなのだろう。


「……とはいえ、私はまだまだ清河先生に及ばないひよっこに過ぎません。さすがに本日山口先生と本格的に国事を語るつもりはございません。ただ、一つお伺いしたいことがございます」


「何でございましょう?」


「ここ伊東道場は、ご覧の通り剣術を教えております。もちろん、佐々木先生の講武所も、三大道場でも剣を教えておりますが……」


 そこで大きく首を傾げた。


「どうなのでしょう? この先も、剣は使えるものなのでしょうか? 例えば攘夷を目指すとして、剣によってなせるものなのでしょうか?」



「それは全然無理だよ」


 私の代わりに沖田が答えた。余程和菓子が美味いのか、私や佐々木の分まで食べている。


「俺はフランスってところに行って、軍に1年ほどいたんだけど」


「仏蘭西……ですか」


 伊東が呆気に取られている。


 さすがに夷国の軍に入っていた者がいることは想像していなかったのだろう。


「やはり銃! 銃がないと話にならないね。剣なんて言っても3間くらいしか届かないじゃない?」


「さ、3間ですか?」


 再度伊東が呆気にとられる。


 1間が約1.8メートルだから3間と言うと、5.5メートルになる。その距離で剣が届くというのは、常識的に考えるとおかしい。


 もちろん、沖田には三段突きがある。一気に二度、三度間合いを縮めるからそのくらいの距離なら届くということなのだろうが。


「銃はその10倍でも簡単に届くからね。その両者の性能を備えたのが銃剣! あれはとても便利だね。申し訳ないけどどんな高い刀よりも、銃剣の方が役に立つよ」


「そうであるならば、剣を学ぶのは意味がないということでしょうか?」


「意味がない、わけではないよ」


 沖田は少し考えてから答える。


「いつだって銃剣が使えるわけじゃないからね。それこそ室内で戦いになるかもしれないから、小太刀なんかは便利だけど、外の広い場所で戦う分には銃が有利だ。だから今後、日本が国として戦うのなら銃が七、剣が三くらいの方が良いと思う」


「ふむ……」


「しかし、何よりもまずは船! 日本は海に囲まれているからね。船がないことにはどうしようもならない! だから優れた船を作る技術を勉強しなければならない。そうなるとやっぱりフランスよりもイギリスに学んだ方が良いよね」


 沖田の話が止まらなくなった。


「で、船の戦いでは剣はますます使わない。銃も使わない。遠いからね。大砲がメインだ。こうした勉強もしないといけない」



「でも、総司が浪士組でそうした話をしている様子を見たことがないが?」


 沖田が近代戦争について予想外に理解していることはよく分かったし、フランスの軍操典もある程度分かっているようだ。さすがに時々「ムッシュ・ソウジ」なんて自称しているだけのことはある。


 しかし、そうした知識を例えば近藤やら土方に熱弁しているかというと、そういうことはない。他人である伊東にこれだけ語っているのが驚きだ。まさか桜餅が美味しかったからということはないだろう。


「単純に、浪士組はそういう環境にないからね。今の日本には大砲もないし、立派な船を作れるのも長崎とか一部だけだし、さ。今は神戸の海軍操練所が頑張っているみたいだけど、京にはない。ないものについて話しても仕方ないし」


 つまり、浪士組においては戦闘が日常茶飯事で、そこに環境がないから話をしても仕方ないと割り切っている。


 しかし、今は「今後、刀が必要になるか」と聞かれて、「不要になる」と答えたついでに近代戦争についても話をしたというわけか。


 伊東は半分くらい分かったが、残りの半分は飲み込めていないようだ。ただ、沖田の言うことが進んでいるということは理解したらしい。


「どうすれば、沖田先生のような知識が身につくんでしょうな?」


「それは実際にフランスとかイギリスの軍に参加することだよ」


 これまたあっさりと答えた。


 そんなに簡単にできるのなら苦労はしないが、伊東あたりが「海外から勉強しなければならないことが沢山ある」と理解してくれるのなら、それは有意義なことと言える。


 沖田の熱弁は予想外だったが、良い方向に向かってくれることを期待したいものだ。

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