第6話 一太、横浜と江戸で根回しする②
横浜を発ち、当日のうちに江戸に入った。
久しぶり……ということはない。少し前に、千葉佐那に渡英を頼むためにやってきた。あれからそれほど月日も経っていない。
世界を飛び回るサラリーマンやら外交官は、こういうものなのだろう。
「おぉ、一太じゃねえか!?」
江戸城に入ったところで勝海舟と出くわした。
「あの話を聞いて飛んできたんだな!?」
勝はエドワードのことを知っているようだ。
無理もない。エドワードが日本に来ることを京まで私に伝えに来たのは竹内保徳だ。幕府の外国奉行である。
そうである以上、江戸城にいるほぼ全員が知っていると見るべきなのだろう。
もっとも、知っているということと、だから何をするか、ということは全く異なる。勝もその例に漏れない。
「一太よ、一体全体どうすればいいんだ? 今の日ノ本に、世界最強国の皇太子を迎え入れる準備なんかできるわけがねぇ!」
勝は半べそをかいているが、彼は日本の現実をよく知っている。イギリスには勝てないことも分かっているし、その事実を日本が分かっていない、という現実も理解している。皇太子を迎え入れて万一のことが起きるとどうなるか、そのことをどうしても考えてしまうのだろう。
「勝様、その事実はもちろん理解すべきですが、最初から悲観的にいても仕方ありません。より良い方向で考えるということも必要です」
「より良い方向だと?」
「今回の件、朝廷も重く受け止めておりまして皇太子同士の会見は承知しております。幕府も足並みをそろえることで……」
勝は「むむっ」と小さく唸る。
「そうか、幕府と朝廷、双方の足並みがこれ以上なく揃うわけか」
「はい。更にエドワード殿下は吉田松陰のことも知っておりますゆえ、長州にも行かせるつもりでございます」
「何? 長州にも!? それはあまりにも危険過ぎるのではないか……」
勝は最初こそ「とんでもない」という様子だったが、頭の中では色々計算しているのだろう。次第にトーンダウンしてきた。
「……しかし、確かにこんな機会でもなければ、長州の旗を変えさせることはできねぇか」
「その通りでございます。上様のために、勝負しなければならない時は今でございましょう」
「むむぅ」
勝は思い悩むが、恐らく、内心では肚は固まっただろう。
何といっても、この勝海舟は西郷隆盛を迎え撃つ幕府側の陸軍総裁に任命され、西郷隆盛と無血開城の交渉をした男だ。交渉が決裂した際には江戸に放火する覚悟も決めていたとされている。
やると決めれば、死ぬことも恐れない男だ。
「……分かった。山口よ、おまえ、ここまで来て俺の期待に背いて見ろ。末代まで祟ってやるからな」
「勝様、私が今まで、全く事を違えたことがありましたか?」
「……おう、信じるよ。確かにおまえはこの先に何が起こるか分かっているかのようなところがある。だからおまえの言うことに従うしかないことは分かっている。一太、俺は死ぬことを恐れていないぞ。俺は死んでも構わんが、上様にまさかがあるようなことは絶対にするんじゃねえぞ、絶対に」
「肝に銘じておりますとも。ところで以前、お願いしました留学の件は?」
「あぁ、そっちは色々当たりをつけて人数的には何とかなるだろう。いや、この件に関しては一太、おまえの読みは外れたかもしれんぞ?」
勝がニヤッと笑った。
「英国の皇太子が会談してみろ。むしろ、我も我もと殺到してくることになる」
確かに勝の言う通りかもしれない。
イギリス皇太子と将軍、更には皇太子が会談をしたとなれば、世間の誰もが「時代はイギリスだ」となる。そこに留学の道があるとなれば、殺到することになるだろう。
「そうなれば、めでたいことです」
私自身は多少の面目を失うのかもしれないが、イギリスに留学したいという者が増える分には歓迎すべき話だ。そうなるようになってほしい。
「多くの者がイギリスで学び、ヨーロッパの仕組みを理解すれば、日本はより早く生まれ変わります」
「そうだな……。それは確かにめでてぇことだ」
勝も同意した。彼は咸臨丸でアメリカに派遣された経験があり、アメリカを見ているだけに、そうすることが望ましいと考えているのだろう。
勝としばらく話をした後、私は将軍・徳川家茂に会いに行く。
これは勝も賛同するところだから、一緒についてくることになった。
「上様はいつも通り、朝から政務をこなしている。昼時であれば、時間があるはずだからその時間に訪ねてみよう」
特に反対することではないから、昼時を見計らい、本丸へと上がった。
将軍への面会は予想通りすんなりといった。勝が話題を切りだすと、当然将軍もそのことを知っている。
「うむ、しかし、その皇太子は何をするために来るのだろう? 直々に日本に攻め込む準備をするためではないか、という不安が奥にはあるようだ」
「そのようなことはないでしょう。エドワード殿下は宮地燐と友人でございます。それにまだ薩摩の砲撃もしていないのに、わざわざ本国から攻め込む準備をするとは思えませぬ」
「ふむ、そうであれば有難いのだが……」
家茂の歯切れは悪い。将軍であるだけに、イギリス皇太子の来訪が武力行使の前提ではないかという怖れを拭いきれないようだ。確かに、そうした可能性を検討するのは間違いではないだろう。
ただ、イギリスにとって日本は完全に地球の裏側にあるようなところだ。そんなところまで皇太子を先遣部隊として送り込んで偵察なんてしないだろう。やるなら、調査も何もなくいきなり仕掛けてくるはずだ。
「燐と英国皇太子の関係を信じていただければ」
勝も含めて何回も繰り返し、将軍も信じるようになってくれた。
「……分かった。一太と勝安房が揃って言うのだ。2人を信じることにしよう」
将軍を説得することには成功した。
ただ、私が燐の名前を出したことは別の者には引っ掛かったらしい。
本丸から引き下がろうとした時、「あいや、しばらく」と呼び止められた。
「お、これは中浜殿」
中浜万次郎がそこにいた。何やら渋い顔をしている。
「先ほどまでの話、悪いとは思いつつも廊下で聞いていた」
「左様でございましたか」
勝ともども興奮して大声で話していたのかもしれない。ただ、聞き耳を立てられるのは良いことではないが、外国のことに詳しい万次郎であれば話が伝わっていたとしても問題ないだろう。
そう思ったのだが、話そのものではないところを中浜は気にしていたようだ。
「宮地燐……、奴はアメリカに行く前から英文法のことを知っておった。今まで気にしないようにしていたが、イギリス皇太子とも仲が良いと聞くと、今一度不思議に思わざるを得ん。一太よ、あの宮地燐という男は一体何者なのだ?」
これは参った。
中浜は燐のことを色々怪しんでいたようだ。
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