第3話 一太と桂、ルビコン川を渡る

 竹内保徳が帰ると、早速に長州藩邸に向かうことにした。


 目的は当然桂小五郎だ。緊急性を理解させるため、面識のある沖田総司と土方歳三の2人にもついてきてもらうことにした。


 その2人が私を見て、驚いている。


「山口よ、何だか凄い顔をしているな」

「本当だ。何か悪いことでもあったの?」


 どうやら、燐の手紙を見た驚愕がまだ顔に張り付いていたらしい。2人とも尋常ではない顔をしていると評してくる。


「悪いことではない……のだが、失敗すればとてつもなく悪いことになるかもしれないな」

「えぇ、それは困るなぁ」


 沖田はおどけたが、長州藩邸に行くと言うと。


「なるほど、桂さんの説得に失敗したら、終わりだということか」

「そんなところだ」


 私も相槌を打った。


 実際には、最悪のケースというのは桂が乗ってきて、そのうえでエドワードが殺されるような事態である。ただ、そこまで説明することもないだろう。



 桂小五郎は春先から京に出て来たらしい。


 長州藩邸に行くと、すぐに奥へと通された。


「山口先生、イギリスは中々動きませんね」


 会うなりの第一声。


 やはり、イギリスが薩摩を攻撃するだろう状況が続いているのに、中々実際の攻撃に移らない状況に気をもんでいるのだろう。


「桂先生、これはイギリスにいる宮地燐介からの手紙です」


「ほう、拙者が読んでもよろしいので?」


「桂先生だから、読んでもらいたいのです」


「ほほう、宮地先生はどのような……」


 気安い様子で読み始めた桂の表情が険しくなり、「ふうむ」と小さく呻く。


「これは……今の日ノ本には危険な劇薬となりそうな話ですね」


 桂もさすがにイギリス皇太子が来ることの意味と、万一の時の危険性を理解している。


「私と、ここにいる沖田総司はプリンス・オブ・ウェールズ・エドワード殿下とは面識があります」


「そうだね。もう大分昔の話だけど……」


 沖田は当初「エドワードって誰?」という顔をしていた。我々がイギリスにいた頃はまだ幼名のバーティーで通っていたから、本名の方はあまり印象に残っていなかったようだ。


「ただし、もう1人いました。言うまでもなく吉田松陰先生です」


「……そうですか」


「桂先生、そこで一つ提案なのですが……」


 私の言葉に、桂は嫌そうな顔をした。何を言ってくるか、ある程度読めたのだろう。



「聞きたくありませんが、聞くしかないのでしょうね……。どうぞ」


「はい。エドワード殿下は燐介の親友であるとともに、一緒に来た日本人である私、沖田総司、吉田松陰のことも気にかけていると思われます。ですので、まず長崎におりてもらい、そのまま長州に行ってもらうことを考えております」


 桂の顔に驚きはない。「やはりそうきたか」というような顔をしている。


「もちろん、友人である吉田松陰先生の墓参をする、という名目です。そのついでに、萩城に赴き、殿様と会談をするというのはいかがでしょう?」


「……それをもって、攘夷の旗を下ろせ、というわけですね」


 桂が苦笑し、私は頷いた。



 海外から来た皇太子が非公式とはいえ、毛利敬親と最初に面会をしたという事実ができれば、これは長州にとっては大いに面目を施すことになる。


『我々の攘夷活動が実を結び、外国は長州に皇太子を派遣してきて我が殿に友誼を求めてきた。我々の攘夷活動は一定の成果を挙げたのであって、これより先は攘夷一辺倒ではなく、開国も行うべきだ』


 と言いやすくもなる。


 もちろん、下層階級は納得しないだろうが、内心では「開国しかないだろう」と考えている長州上層部に、決定的な言い訳を与えることができる。


「しかし、もし狼藉者が殺傷すれば、相当困ったことになりますな」


「そうですね。これは中国・清の話でございますが」



 19世紀の西洋人の最たる蛮行として知られているものが、アロー戦争の際にフランス・イギリス兵が中心となって行った円明園の破壊である。


 円明園は清の乾隆帝が本格的に建設した宮殿で、東洋では最大規模を誇っていたが、略奪の限りを受けたという話である。


 この時の名目はヨーロッパ兵捕虜の虐待だったというから、仮に英国皇太子が殺傷されれば、萩城はぺんぺん草も生えないような事態になるかもしれない。


 とはいえ、それを恐れていては、長州は八方ふさがりになる。


「この機に攘夷の旗を下ろせなければ、朝廷にも急進派を追放する動きがありますし、この日ノ本で長州が孤立することになるかもしれませんよ」


「……そうですね」


「もちろん、沖田達をはじめ、我々の方でも万全の警備体制を尽くしますが、長州でもしっかり準備していただければと思います」


 私が振り向くと、沖田も土方も「任せておけ」という様子だ。


 それを見て、桂も肚を決めたようだ。


「分かりました。エドワード殿下が日本に来ることが分かれば、そのように計らっていただければと思います。拙者から殿に、そういうことがありうるということは伝えておきましょう」


 桂が承諾した。



 もう引き下がる道はない。賽は投げられたのだ。


 幕末を変えるという、ルビコン川を渡る道だ。

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