第2話 一太、プリンス・オブ・ウェールズ来日計画を知る
8月も20日を超えた。
つまり、八月十八日の政変は起こらなかったわけであるが、一方で薩英の衝突もまだ起きていない。浪士組の面々が尊王攘夷派の取り締まりに忙しい、ある種ジリジリした時期が続いている。
9月に入ってもまだ事態は動かない。
動くはずのものを待っているのに、それが中々起こらないというのは焦れるものだ。
焦りが募るが、といって、私にできることも何もない。燐はうまくやってくれたのか。他のことばかりが気になる。
「やれやれ、刀がボロボロだ」
その日の夕方、庭先で土方がぼやいていた。珍しく真面目な顔つきで刀身を見つめ、その傷跡を見て「はぁ」と溜息をつく。
その日も昼間に商家に尊攘派浪士が押し入りをしたという報告があり、土方と永倉、原田と藤堂で鎮圧に向かった。四人の下手人を切り倒したものの、打ち合いの際に土方と原田の刀は壊れてしまったらしい。
ブツブツ言いながら修繕している土方を見た近藤がニヤッと笑った。
「歳さん、それはな、刀が悪いのか、使う方が悪いのか、だ」
そう言って、自分の刀を抜いてみせる。
「俺の刀は虎徹故、つまらん斬り合い程度で壊れたりはせんのだ」
土方が「また始まったよ」とうんざりとした顔になった。確かに近藤は刀に対する蘊蓄がすごいし、虎徹愛も凄い。彼が話を始めると一刻くらいかかるだろう。
「銃剣にしようよ。これなら平気だよ」
と、史実と全く異なることを言って自作の銃剣を披露としているのは沖田総司だ。どこで仕入れたか、銃に自ら作った剣をつけたものを愛用している。離れたところから狙撃するか、近づいて三段突きをかますかという戦法をとっているらしい。
殺伐とした話をしている中、斎藤一が慌てた様子で入ってきた。
「山口さん、客ですよ」
「客?」
「はい。竹内下野守と名乗っていました」
「何? 竹内殿?」
竹内下野守、要は竹内保徳だ。
我々がヨーロッパに向かった際に、使節の正使となっていたあの竹内だ。
その後しばらく外国奉行として忙しくしていると聞いたが、私を直接訪ねてきたというのはやや驚きだ。
ただ、ピンと来た。
これはようやくイギリスが動いたのではないか。
「応接室に通してほしい」
そう言って、私も衣装を改めようとしたのだが、奥から大声が聞こえた。
「山口殿、着替えなど良いから、早く来てくれ!」
「分かりました!」
私も着替えの部屋から叫ぶ。
着替えの時間すら惜しむというのはかなりの急ぎのようだ。
イギリスから、かなり具体的な話が出ていて、すぐに動く必要があるということだろう。
着替えもそこそこに応接室に舞い戻る。
「お……竹内殿、ご無沙汰しております」
竹内の髪はぼさぼさで、服もよれよれだ。
どうやら、相当に急いで京までやってきたらしい。
「何かありましたか?」
「うむ、二日前に横浜にイギリス船が来た。イギリス艦隊は9月中には出撃して薩摩に向かうということだ」
「いよいよですか」
「あと、宮地燐介の手紙を置いていった。こちらの方が至急の案件のようで、是非山口に渡すようにと書かれておる」
そう言って、竹内が取り出した手紙の上には、確かに「至急山口に渡すよう」と書かれてある。
竹内から手紙を受取り、開いてみた。
『山口へ。至急対処してもらいたい緊急な話が出た。陽暦の9月15日にエドワードが東に向けて出発し、日本に行くことになった。恐らく陽暦だと11月くらいになると思う(日本だと何月かは分からん)が、万一斬られたりしたらとんでもないことになる。全力で護衛してやってくれ』
「何!?」
思わず叫び声が出た。
プリンス・オブ・ウェールズであるエドワードが日本にやってくる!?
一体、イギリスで何があったのだ?
これは手紙にもある通り大変な話だ。万一エドワードが日本で斬り殺されたりしたら、現在中国にいる英国艦隊やら軍が全軍あげて日本に復讐戦に出る可能性がある。
「だが……」
一方でとてつもないチャンスでもある。
これまで日本には多くの外国人がやってきたが、軍人か商人ばかりであった。日本の武士や大名からしてみると、そもそもが不気味な外国人なうえに身分的にも微妙で話し合いになりにくいことがあった。
しかし、外国人の皇太子となると話は変わってくるだろう。大名でも合わざるを得なくなってくる。
ということは、エドワードとの対談内容によっては、長州のメンツを保つことができるかもしれない。
しかもエドワードにとって行きやすい場所でもある。彼と付き合いがもっとも深いのはもちろん燐介だが、松陰先生という繋がりもあるからだ。
松陰先生の墓参という名目で長州に行ってもらい、そこで毛利敬親と話をさせる。
外国人とはいえ下っ端ではない。皇太子である。その相手と話をした、となれば長州にも譲歩の余地は大いにあるだろう。
ハイリスク・ハイリターン極まる話だが、やってみる価値は十分すぎるほど、ある。
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