30章・攘夷の潮目(山口視点)

第1話 一太、朝廷内部の対立を先延ばす

 諸国行脚が終わり、京に戻ったのは暦の上では七月だ。


 着いてみると、情勢が更に不穏になっている。



「大変だよぉ、山口さん」


 沖田が泣き言をいうのだから相当なものだ。


 尊王攘夷派は下の方では盛んだ。だが、この時点で上層の多くは公武合体派へと転向している。


 公武合体に転向した薩摩はもちろん、牙城として見られている長州にしても首脳陣は「攘夷」を下ろしている。朝廷ですら、孝明天皇が「祖先に恥じない形にしてくれるなら」と妥協する構えを見せている。


 ただ、中堅以下は大暴れで、上に対して不満を抱いている。


 薩摩は寺田屋事件を、土佐も土佐勤王党を弾圧しているが、どんどんと京に来て暴れている。



 今、もっとも苦しい目を見ているのが尊王攘夷派の公卿達だ。


 彼らは当初、時勢に沿っていると思って、尊王攘夷派を支援していた。公卿は武力を持たないゆえに彼らが荒事を引き受けてくれるという旨味もあった。しかし、尊王攘夷については逆風が吹いてきた。手を切りたいが、公卿の大半は荒事に応じることができず、利用してきたつもりの尊王攘夷派の浪士に脅されるという状況になっている。


 といって、尊王攘夷を唱えると、公武合体派が大勢となった朝廷内において浮いた存在となる。


 実際、こうした浮いた存在となった公卿を放逐したのが八月十八日の政変と呼ばれるものだ。



 史実と比べると、この世界ではより公武合体派……というより、その先を見据えた近代化推進への理解は強まっている。史実では尊王攘夷派の首魁とされていた清河八郎ですら、天皇のそばにいるという名目で旗を降ろしてしまった。


 見捨てられ、時流に取り残されそうな尊王攘夷派の中堅より下の面々は必死になって暴れており、上に立つ者がいなくなったから、逆にコントロール不能状態で暴れている。


 浪士組としてはそうした暴れ回る尊王攘夷派を斬り回らなければならないわけで大変だ。



 何とかしたいのだが、私だけでは何ともならないというのが現実だ。


 史実では八月十八日の政変で、尊皇攘夷公卿と長州が敗者となった。この後、池田屋事件から禁門の変、長州征伐という形で長州はひたすらに叩かれることとなる。


 ここまで行ってしまうと、幕府と長州の両立は難しい。実際、長州が薩摩とともに倒幕運動を起こして幕府は倒れた。


 そうである以上、尊王攘夷派と長州の関係を切り離して、長州を処分するという形を作りたい。



 しかし、長州も「尊王攘夷派の牙城」という看板を立ててきているのであり、これを完全に下ろしてしまうことはできない。


 事実、桂小五郎は自身も既にイギリスに行っているし、伊藤や井上がイギリスに行くことを黙認した。それだけでなく追加で門弟を何人か派遣する計画を立てている。


 それでも「山口先生、外向きに攘夷をやめますとは言えないのですよ」とはっきり言っている。


 事は長州の面子に関わる話となっている。そこには理非は存在しない。


 それをも覆すほどの何かが必要になる。



 徳川家茂が上洛しておらず、攘夷実行が宣言されていないこの世界線では、今のところ明確な攘夷実行がない。それに準ずるものはあるのだが、史実のような長州の暴発はない。おそらく桂や高杉が止めているのだろう。


 しかし、止めているということは藩論を変える決定機がない。


 私は薩摩とイギリスの衝突と、その後のイギリスとの繋がりに期待している。


 ただ、これには二つ疑問符がつく。まずは燐介がきちんとイギリス側と話をつけられたか、どうか。これができていなければ、どうにもならない。


 仮に燐介がその部分をクリアしてくれたとしても、長州が藩論まで変えてくれるかという問題がある。乗ってくるかは半々といったところだろうか。


 できればもう一つ何かが欲しいが、長州の面子を保ったままでうまく攘夷を撤廃させる方法というのが思いつかない。こればかりはもう勢いでどうにかするしかない。毛利の藩主と桂に未来用語をまくしたてて、無理矢理従わせるしかない。



 それにしてもイギリスの動きを待たなければならない。


 じりじりしている間に八月となった。史実であれば、政変が起こる八月だ。


 その三日、孝明天皇に呼ばれて参内した。


 着いてみると、京都守護職の松平容保も一緒だ。


「容保に一太よ。この相談は非常に重要なものにして、内密に願いたい」


 帝は重々しい言葉をつけて切り出してきた。


「現在、この朝廷内において攘夷急進派がますます勢いづいておる」


 やはり、朝廷内の攘夷運動の話だった。


 ただ、勢いづいているわけではない。後がないので必死なだけだ。


「このままではどうにもならぬゆえ、奴らが繋がっておる長州へと送り返そうと思うがどうじゃ?」


 このままでは史実通りの話へと進んでいきそうだ。


 それではまずい。ひとまず反対するしかない。


「恐れながら主上、それをなしてしまっては幕府と長州の関係が修復困難となりまして、どちらかが倒れる事態になるやもしれません」


「しかし、このままでは朝廷内の関係が修復困難になってしまう」


「それでも、せめて薩摩とイギリスとの関係がはっきりするまでは……。今、安易に動いてしまっては、この先の変化に対して動くに動けない事態が生じてしまうかもしれません」


 私が一方的に意見を言うので、松平容保が少し不満そうだか仕方ない。


 幸いなことに孝明天皇は、私が彼をさしおいて意見を言うことに重きを置いたらしい。


「……一太がそこまで言うからには、何かしら根拠があるのだろうな……。仕方ない。あと二月、結論を延ばそう。しかし、それ以上は難しい」


「ははっ。寛大なるご処置、感謝してもしたりません」


 松平容保ともども頭を下げる。


 二か月は延期できた。


 恐らく、その間にイギリスは薩摩を攻撃するだろう。



 その一連の出来事で勝負をかけるしかない。


 肚をくくらなければならなさそうだ。

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