第3話 燐介とアフガーニー①

 10日ほどの船旅で地中海沿岸のアレクサンドリアに到着した。


 かのアレクサンダー大王が建設した都市であり、古代世界では世界最大の図書館もあったと言われる街、クレオパトラとアントニウスのロマンなども溢れる歴史的な街であるが、近代という観点では、中東初の鉄道拠点でもある。


 ここからスエズまで鉄道が開通している。


 以前に日本からやってきた文久使節も鉄道に乗って地中海まで来たわけだ。



 とはいえ、このエジプト鉄道も、エジプト国民が利用しているかというとそういうわけでもない。あくまで紅海から地中海まで至りたいという人間が利用しているものだ。


「……」


 そんな鉄道をムスッとした顔で眺めているのがアブデュルハミトだ。


「どうした?」


 俺の質問に対して、アブデュルハミトが「トルコも同じだよ」と自嘲気味に言う。


「イギリスの都合で作っていて、トルコの人間は使えない。あくまで大国の都合さ」


「なるほど……」


 俺と、その横にいるマルクスは頷いているフリをするが、2人ともアブデュルハミトの言い分に従うだけというつもりはない。彼の主張に対するカウンターの用意をしている。


「じゃあ、おまえがスルタンになったなら、トルコ国民のための鉄道を作るのか?」


 アブデュルハミトは不機嫌な顔で押し黙った。




 結論としては作らない。


 トルコもそうだが、ヨーロッパの東に行けば行くほど鉄道の敷設面積は狭くなる。


 地形が険しいとかそういうことではない。東欧なんかただっ広い平地だからいくらでも鉄道を広げられるはずである。


 しかし、国民の移動が自由になると、君主に対して反対的な運動が集まりやすいという問題が出て来る。だから、皇帝制を採用しているオーストリア、ロシアは鉄道をなるべく敷きたくない。トルコだって同様だ。イギリスが「作れ」という部分は作り、それに対してブーブー文句を言うものの、自分達で作るつもりはない。


 ここは非常に重要な話で、エジプトは1840年代に、トルコは1850年代に鉄道を作り始めている。この時期、日本には当然鉄道の”て”の字もない。


 しかし、明治期を通じて日本は頑張って鉄道を作り続けた。国民も鉄道を好きになった。


 その結果として、日清・日露戦争の頃には日本の幅広いところに鉄道が網羅されており、田舎の志願兵もすぐに戦地に行くことができた。逆に清もロシアも鉄道の副作用を恐れて普請に国家都合が働いた。


 そうした部分も日清戦争、日露戦争の勝敗に影響したのかもしれない。



 とはいえ、俺は今回、鉄道でアブデュルハミト相手にマウントを取りたいわけではない。


 というか、マルクスと一緒にマウントを取るのも嫌だしな。


 アブデュルハミトはエジプト情勢を調べに来た。そこから、彼が何を見出すのかは興味深い。


「何かトルコに活かせそうなものがあるか?」


「……何でそんなことをおまえに教える必要がある?」


 来たよ、おなじみのアブデュルハミトのジト目が。


 最近、中野竹子と結婚したこともあって少し丸くなったと思ったけれど、本質的なところで距離を置きたがるのは変わりがないらしい。



「スエズまで行こうぜ」


 とエドワードが誘ってくる。


 鉄道は地中海から紅海沿岸のスエズまで通っている。


 イギリスがスエズ運河に否定的な理由の一つに、「俺達が作った鉄道が、フランス人の作った運河に覆されてはたまらない」というものもあるのだろう。


 ま、それはさておき、スエズまで行かないことには運河の状況は分からない。


 だから、全員して乗り込む。



 このエジプト鉄道はイギリスの影響が強い。


 だから、エドワードが乗るということで、関係者が大慌てになる。


「食事やお酒なども持ち込みましょう」


 ということで、たちまち簡易なパーティーになった。


 エドワードは当然だし、マルクスも日頃貧乏だからたかれる酒には目がない。ニコライも酒は好きなようで、アブデュルハミトも「ムスリムは酒を飲んだらダメだったのでは」というツッコミを入れたくなるくらい飲んでいる。


 俺もまあ、付き合いで飲むものの、そこまで酒に強くはない。


 少し飲んで、気晴らしに真ん中にある見晴らしの良いところに移った。この時代の鉄道が全部そうなのかは分からないが、エジプト鉄道は前後に客車があり、その真ん中には見晴らしの良い開放部分の広い通路のようなところがある。


 そこで風にあたって涼もうと考えた。


 移動すると、先客がいた。


 ムスリムはとにかく髭が濃いので全員おっさんに見えるが、この先客はそれほどおっさんではないようだ。俺よりは年上だろうが、40代なんてことはないだろう。


 というより、俺達以外で乗っている者がほぼいないから、他の乗客がいるだけで新鮮である。


「こんにちは」


 多少酒が入っていることもあって、気軽に英語で挨拶をした。


 相手は少し戸惑った風に、なまりのある英語で返事をしてきた。


「やあ、どうも」


 そう言って、俺をジロジロと見る。


「あんたはどこから来たんだ?」


 と尋ねてきた。


「俺? 俺は日本だな。と言っても分からないか。アジアをもっと東に行ったところだ。そういうあんたはどこから来たんだ?」


「インドだ」


「ほぉ、インド」


 インドからエジプトに来るのは中々すごいな。


「イスラームの真理を求めて、ここエジプトにやってきた」


「へ、へぇ……」


 イスラームは詳しくないから、いきなり真理とか言われるとちょっと構えてしまうな。

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