第16話 一太、佐那に渡英を求める

 オールコックとの話が終わると、私達は江戸へと向かった。



 ここまで様々なことがあったので、それを将軍・徳川家茂や勝海舟に伝えたいということもあるが、何よりもまず先に向かうのは千葉道場である。


 何故、千葉道場なのか。


 今後、日本が明治維新を先取りするような方向にもっていく場合には、燐の協力が欠かせない。しかし、今、本人はヨーロッパにいる。


 ヨーロッパにいる燐に対して、現地のキリスト教関係者が強い働きかけをした場合、「日本がもうちょっとキリスト教寄りになっても良いんじゃないか?」くらいに考える可能性がある。


 それはまずい。


 キリスト教的な要素は必要なのだが、それが強すぎるのはまずい。


 そうならないために、釘を刺しておく必要がある。


 また、先程オールコックと話した、生麦事件後の処置についてもイギリス本国に情報を持っていきたい。



 そのために協力してくれる人物として、福澤と大村がいるが、大村はともかく福澤はキリスト教寄りなので、キリスト教の件ではかえって邪魔になりかねない。


 日本を近代化に進ませるのはもちろんとして、あまり燐をキリスト教寄りにしないように押しとどめる。


 それができる人間は千葉佐那しかいない。



 ただ、問題は千葉佐那が坂本龍馬という婚約者を抱えた嫁入り前の娘である。


 これを自分達が連れ出すというのは言語道断だ。それこそ千葉道場の面々に追いかけられて斬り殺されるなんて事態にもなりかねない。


 幕命を要請するという方法もないではない(一回目はそれを使った)が、前回は五人だった。今回、佐那1人のためにそれを使うのはかなり無理筋だ。


 果たしてどうやって説得すれば良いものか。



「何か良い方法はないですかね?」


 こういう時には人生の先輩に聞いてみるに限る。


 ここには福澤は同行させていないから、大村に聞くしかないが、「どうしたものだろう」と悩むだけである。


「……何をしているのですか?」


 しばらく道場の裏で二人して悩んでいると聞き覚えのある声がした。


 振り返ると、どうやらどこかに御遣いにでも言っていたのだろう、千葉佐那が不思議そうな顔でこちらを見ている。


「聞き覚えのある声がしたかと思えば、山口様ではないですか。どうしたのです?」


「あぁ、これは千葉さん。実はですね……」


 どう話したものか迷ったが、それで予想がついたらしい。


「燐介が何かやらかしたのですか?」


「やらかしたというわけではないのですが……、ちょっと困ったことになりまして」


 佐那は「そうですか」と困惑した顔になった。


 やはり、できれば燐介のことに首を突っ込みたくないということだろう。


 

 大村が一歩前に出る。


「実は今後の日ノ本にも関わってくるのですよ」


「今後の日ノ本が? どういうことなのです? 山口様」


 佐那が本当かとばかりに私の顔を覗き込む。


「はい。この江戸はもちろんのこと、日ノ本全体がひっくり返ってしまうかもしれません。どこかで説明ができれば良いのですが……」


 さすがに道場の裏でそんなことを話すのも不自然だが、繰り返すが我々が佐那と堂々と一緒にいるのは、それはそれでまずい。


「……」


 それでも佐那は私達を連れて道場へと入った。


 千葉道場の主・千葉定吉とその息子・重太郎は共に鳥取藩に仕官している。


 道場の運営については交互に行っているようで、この日は定吉が来ていた。


「父上、坂本様の使いとして山口様が来られました」


 佐那がそういうと、「おぉ、そうか」と定吉は気にする素振りもない。


 案ずるより産むは易しと言うが、意外とすんなりといった。


 小部屋に案内されて、茶を沸かしながら、話を始める。



 有難いのは、佐那はイギリスやアメリカに行っていることから、向こうがキリスト教の文化であることを知っていることである。


「……つまり、燐介はキリスト教の考え方に近いので、日本にいる者が考える以上にキリスト教を進める可能性があるのです。知っての通り、あいつは海外のお偉方にも知り合いが多いので」


「……そうですね。燐介本人が思う以上に、多くのことが動きますね」


「今回、確か中沢琴や中野竹子といった面々がついていますが、彼女達はそうした動きを良く分かっておりません。ですので、燐介を止められない可能性が高い。それができるのは佐那さん、貴女しかいないのです」


「山口様でも燐介の説得はできるのではないですか?」


「私は幕府と京でやらなければならないことが多いので」


「……」


 佐那は困ったという顔をして、大きく息を吐いた。


「……分かりました。それがお国のためになる、というのであれば……」


「申し訳ございません」


「いいえ、燐介は坂本様の親戚とも聞いています。恐らくは待ってくれるでしょう」


「……」


 それはどうだろう、史実では次の年には龍馬はおりょうと結婚している。


 ただ、京の情勢は史実と大分変わっている。歴史が変更していて、龍馬とおりょうが出会わない可能性も十分にある。


 まあ、先の事である。何も言わないのが正しいであろう。

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