江戸期でも日本人は神道と仏教の両方を信仰していますよ。江戸の時代においても「主上」とは天皇のことですし、天皇は全ての神社を司る祭祀王。
赤穂の浅野内匠頭が刃傷に至ったのは吉良上野介が幕臣として将軍を最上位としたためで、天皇中心の山鹿流を学んで来た者として我慢ならなかったのが原因。
「あれは山鹿流陣太鼓。やったな蔵之介」のセリフで証明されています。
仏教徒は否定しますが日蓮宗の曼荼羅を見ているとヒンドゥーの神様ばかり。神仏和合後の仏教は神道の改革宗教みたいです。
そもそも神道は教えなし、具像なし、開祖なし。日本人の血肉になっているものを否定しても仕方ないし、おそらくゼウスも曼荼羅西方を管理する大神に収まります。
まあ何らかの利得が無い限りキリスト教のあの独善性に馴染む日本人は1割を超えないとは思います。
作者からの返信
ここはちょっと書き方がまずかったですね。制度的な部分で仏教が、キリスト教がというつもりでした。
普通にお伊勢信仰もありましたし、そもそも神道がないなら尊皇攘夷もないですからね。
浅野内匠頭はどうなんでしょう。
本当にそういう思想があったという話があれば、明治以降に叙任運動あってもおかしくなさそうですが、そういう話はなかったように思います。
利得もそうですし、江戸時代が仏教を制度化したような形で、キリスト教も制度化してくれれば増えるかもしれないというのはありますね。
さすがにそこまでやると敵を作り過ぎるので一太も勘弁という感じですが、初のオリンピック大成功の流れで燐介からやられると増えるかも。という危惧があります(^_^;)
一太も21世紀日本人ですから「日本人が無神論者?ナイスジョーク!日本人はブディズムとシントーを呼吸して暮らしてるから自覚してないだけだ。日本人ほど信心深い集団はいないよ」と評されていることには気づきにくいのかもしれませんね。
外国人から見ても一太や凛介はこの時代の日本人とは違うでしょうが、しかし「キリスト教の影響は受けているが本質的にブディズムとシントーの空気で育っている」あたりでしょうか?
作者からの返信
個人的には現代日本人の宗教観はスペイン王がオランダを称したがごとく、「諭吉だろう」という感もありますね。
特に燐介の場合は「そんなものがあるの?」的なことをやっていますし、実際に日本に行くとそんな発想なんか絶対なさそうなところですから、「神の啓示でも受けているのではないか」くらい思われていそうです。
こんにちは。
……ここで千葉佐那さんが!!(´゚д゚`)
作者からの返信
燐介が道を誤りそうな時、止めてくれるのは佐那(のパンチ)だけです( ̄▽ ̄;)