第11話 一太、近代化のタイミングに悩む

 これまで、私は歴史を変えうるのなら早め、早めに動いた方が良いのではないかと思っていた。


 というのも、明治維新前後は世界史的にはうまくいった事象ではあるが、それでも結構な数の死者が出ている。


 戊辰戦争のような悲劇を回避できれば、それに越したことはないと思っていた。



 しかし、実のところ、明治維新とそれに伴うこと以上に、明治期の国家造りや憲法論は重要なものを握っている。華々しい話がないうえに、憲法やら哲学やらの難しい話が絡んでくるので多くの人は敬遠しがちであるが、重要性で言えばこちらの方が大きいだろう。



 史実では、西洋への傾倒を強めた者達を中心に英米法系を志向した。この中で一番進んでいるものはアメリカであろうか、民衆に重きを置き、国王権など特別な者をとことん廃するというやり方だ。続くイギリスは立憲君主制だが、国王ができることはそれほど広くはない。


 そうした者達……つまり福澤や大隈らが排除されて、ドイツを中心とした大陸法系の法体系が取られた。君主の権限を比較的広くとるというものだ。



 このような動きは明治10年以降から本格化していき、明治22年に大日本帝国憲法が制定されて、ある程度の成果を見た。


 すなわち、今から25年以上後のことだ。


 現時点で、大日本帝国憲法を目指すことは難しい。何故なら、模範としたプロイセンがまだ存在していないからだ。


 プロイセンがいないのに、プロイセンをモデルとした憲法を制定することができるのか。


 もちろん、私は孝明天皇から信任を得ているから、それを盾にオリジナル憲法として大日本帝国憲法のようなものを作り出すことはできるかもしれないが、それは親イギリス路線を取っている、今の私や燐の動きと相反することになる。



「別にイギリス系でも良いのではないか? キリスト教の拡大は問題だが、イギリス系の方がより進歩的なのだし、より良い日本になるのではないか?」



 そういう意見が出て来るかもしれないが、そうとも言いづらい。


 実は君主大権は、日本の近代史においてかなり重要な要素を占めていたのではないかと思っている。これがあったからこそ、明治・大正期に日本が道を外さなかったと言っても過言ではないかもしれない。


 タイ王国もそうだが、近代化を急いだあまり、哲学やら憲法論という部分については多くの理解を得られぬまま導入されてしまった(これは21世紀段階でもまだそうだ、とも言えるのかもしれない)。そのため、議会制民主主義というものをよく理解しておらず、感情論に左右される部分も大きい。


 アメリカのような強国ならそれでも何とかなるのだろうが、日本やタイのような国では感情論だけに身をゆだねると大抵破滅を招く。


 それを修正してきたのが日本では明治天皇だし、タイの国王もそうだ。



 特に明治天皇だ。この人物があってこそ、近代日本が民意の暴走に振り回されることなく発展できたと言っても過言ではない。


 とは言っても、明治天皇がとてつもない偉人だったかというと、それは疑問だ。


 燐は同世代のオスマン皇帝アブデュルハミトと友人になっているというが、アブデュルハミトと明治天皇と個人としてはどちらが上か、それは分からない。


 ただ、この2人は決定的に違う。


 過去を背負っていたのか、未来を考えていたか、だ。



 天皇という制度は歴史的には長いものを持つ。


 しかし、明治期というのは、過去1000年以上続いた封建体制、武家体制との決別を果たし、全く新しい国を目指していた。明治天皇も新しい国と新しい天皇制度を目指し、そのために精力を傾けたからだ。更に父親の孝明天皇が早逝したことで、10代半ばという年齢で新しい日本国の君主に1人で就いた点も大きいだろう。


 一方、オスマン帝国は衰退しつつも存続していた。従ってアブデュルハミトはこれまでのスルタン制度を守るためにその才能を使うしかなかった。ミドハト憲法という憲法を作ったにもかかわらず、アブデュルハミトは古きスルタン制のためにこの憲法を覆してしまうしかなかったのだ。



 この流れを考えると、二つの結論が見いだされる。


 イギリス・アメリカ式の憲法を導入するには、もっと大掛かりな準備が必要になるだろうということ。私が現在想定している百人単位ではとても足りない。万単位で留学させ、特に憲法や法哲学分野の勉強をさせる必要がある。そうでなければ民意が暴走して収拾がつかなくなり、中国のようになってしまう可能性もある。



 もう一つは孝明天皇と明治天皇の対比だ。


 孝明天皇の死の原因が何であるかは置いておいて、やはりこの天皇は絶妙なタイミングで死んでくれたと言える。ただし、この世界では歴史が変わっていて孝明天皇がそのタイミングで死ぬのかは分からない。


 孝明天皇が生きている場合、同じ憲法を用意したとしても全く違うことになるだろう。この天皇は過去の重いものを背負っている。アブデュルハミトと同じで、それを守ろうとするはずだ。これまた全く違う日本になってしまうに違いない。


 よしんば孝明天皇が退位して上皇になったとしても、父親が存命していると史実のような振る舞いはできないだろう。


 そうなると非常にまずい。


 それこそ、不慮の死を期待するしかなくなる時が来るのかもしれない。



 この世界の日本は、私と燐が作った流れで史実以上に近代化が早まっている。それに乗って更に日本の近代化を急ごうとしている福澤や、キリスト教関係者がいる。


 この両者で手を取りあえば……


 うまく行くわけと言えないのが悩ましいところだ。

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