第10話 一太、宗教論に巻き込まれる①
グラバー商会のトーマス・グラバーと知己を得たところで長崎を後にしようとしたが。
「せっかくですので、ウィリアムズ宣教師に会っていけばどうですか?」
と、チャニング・ウィリアムズのいる聖教会を訪ねるように勧められた。
宣教師チャニング・ウィリアムズと言うと、立教大学の創立者として有名だ。
この幕末にやってきた宣教師で、高杉晋作や大隈重信、副島種臣、前島密と言った明治の元勲達に西洋事情を伝えた者として知られている。
早く薩摩に行きたいという思いもあるが、会って損も無さそうだ。
無尽蔵に会っていたらキリがないが、ウィリアムズと会う分には問題ないだろう。
ということで、グラバーを伴って長崎・東山手居留地にある教会まで訪ねることになった。
「おや、貴方は……?」
と向かう途中、不意に声をかけられた。
振り返ると目つきの悪さが印象的な男と言っては失礼だが、江藤新平がいる。
「これは江藤先生。貴方も長崎にいましたか?」
「はい。国抜けの罪で殿に叱られましたが、どうにかお許しいただき、大隈や副島らとともにここ長崎で勉強するように言われました。先生は長崎にはいかなる用向きで?」
「いや、ウィリアムズ宣教師と一度会っておこうと思いまして、な」
江藤は「それならちょうど良い」と笑顔になる。
「まさにウィリアムズ先生のところに向かうところでございます。ご案内いたしましょう」
江藤が案内することになったので、グラバーとはそこで別れることになった。
「山口先生がウィリアムズ先生と話をするのは真に良いことだと思います」
向かう途中、江藤は何やら上機嫌だ。
「ここ日本は考え方が古臭くていけません。仏教が全く駄目だとは申しませんが、あれをいくら知っていても、外ではやっていけません。日本はもっとキリスト教を受け入れるべきで、西洋に追いつくためには日本人の二割、三割がキリスト教になるくらいの変化が必要でしょう」
「ハハハ……」
愛想笑いで応じる。
江藤の言うことは間違ってはいない。列強は全てキリスト教国だから、それを受け入れた方がやりやすいのは間違いない。
ただ、キリスト教徒が2割3割は21世紀でも到達できていない領域で、少しやり過ぎであろう。
「そのためにはこの国と海外のことを知り尽くしている山口先生の力が頼りになるでしょう」
「いやぁ、この部分ではどれだけ協力できますことやら……」
単に会いに行くだけのつもりが、ひょっとしたら、今後の日本の宗教論に進んでしまうかもしれない。中々雲行きが怪しくなってきた。
雲行きが怪しくなってはきたが、さりとて今更「やめます」というわけにもいかない。
向かうこと数分、江藤とともに教会についた。
昼時ということもあり、どうやら教会では何かしらの説教を行うようだ。
見ると日本人もかなりいて、壇上に1人の宣教師がいる。
さすがに幕末の宣教師の顔までは覚えていないが、彼がチャニング・ウィリアムズだろう。
「先生」
と、江藤が早足で近づき、ウィリアムズに耳打ちをした。「ほう、あの人が」というような口の動きをした。
江藤が戻ってきた。「先生方はこちらでお待ちを」と椅子を勧められた。
私達が椅子に座ったことを確認すると、ウィリアムズは聞きなれない言語で何かを語り出した。おそらくはラテン語なのだろう。
ひとまず、ミサが進むことになる。
その時間、私と福澤、大村は待たされることになる。
「あれがキリスト教の儀式ですな」
私と大村は義務的に待っているが、福澤はかなり興味をもって眺めている。
史実の福澤は日本国内でキリスト教が広く普及することを望んでいたとも言われている。西洋化という観点でキリスト教は避けて通れないものと考えているのだろう。
「どうでしょう、山口先生。今、はっきりと断言することは憚られますが、いずれ、キリスト教は日本でもベースとなっていくべきではないでしょうか」
これは参ったな。やはり福澤は完全にキリスト教側だ。
江藤もそうだし、大隈もそうだろう。現代人的には大隈重信と福沢諭吉は早稲田大学と慶応義塾大学というライバル関係でとらえがちだが、実際には2人は共同歩調をとることが多かった。憲法制定をめぐって、福澤に近い意見を大隈が述べ、結果追放されるに至った明治14年の政変はその際たるものだろう。
清河八郎と国事を議論した時もアウェイではあったが、予想されたアウェイであったし、私も色々準備をしていた。
今は何も考えていない。さすがに大村益次郎は味方についてくれるだろうが、とはいえ、何を頼りにしたらよいのか。
この状況で、ウィリアムズが日本の宗教論を振ってきた場合、どう答えたものが良いのだろうか?
仮に明治日本が完全にキリスト教側に舵を切っていたら。
憲法制定の過程で薩長派閥ではなく、早慶側の意見が勝っていたらどうなっていたのか。
歴史のイフとしては面白いかもしれないが、私にはちょっと行き過ぎのような気もする。
そうでない歴史観で生きてきたから、そう思うのかもしれないが。
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