第9話 一太、長崎でグラバーに会う
佐久間象山と打ち解けることに成功し、私達は松代を後にした。
そのまま横浜に急ぎ、長崎までイギリス船で移動することになる。
本音を言えば下関あるいは神戸あたりから長州を目指したいが、そんなことをすれば孝明天皇や長州藩を刺激することこのうえない。
史実ではこの後、攘夷熱が高まって「横浜も撤退させてくれないか?」とヨーロッパまで頼みに行くような事態にまで陥る。さすがに孝明天皇や清河八郎らもトーンダウンしているこの世界ではそのようなことはないだろうが、一般人の攘夷熱が冷めやったわけではない。
油断は禁物だ。
江戸幕府中も唯一、海外と交易をしていた長崎はその点、周辺住民も抵抗がない。
また、この近くにいる佐賀はその距離感から海外通である。
佐賀には江藤新平もいるはずだ。久しぶりに会って、少し話をして、その後、薩摩に向かうという方針を立てた。
海を進むこと一日、船は長崎に着いた。
21世紀では横浜の方が大都市だが、この時代は長崎の方が遥かに大きな街だ。気のせいかもしれないが外国人も横浜より堂々と歩いているように見える。
歩いていると、ある建物に目が留まった。
「どうかしましたか?」
大村が尋ねてきた。
「いえ、あの建物の看板が目に入りましたもので」
そこには『グラバー商会』と日本語と英語で書かれてある。
グラバー商会の代表トーマス・グラバーといえば、幕末明治を代表する商人だ。
特に薩長同盟以降、武器の供給を行ったことで知られており、明治に入って以降も財界の相談役として顔を利かせていた。
この世界には、燐がいるので、彼の重要性は多少落ちるかもしれないが、武器の供給源としての存在は大きい。また、記憶に間違いがなければ日本にいる外国人の顔役ともなっていたはずだ。
挨拶をしておいた方が良さそうだ。
私は近くの店でカステラを買い、早速商会を訪ねた。
長州討伐などが行われていないこの時期であるから、まだそれほど緊張感はない。店先に並んでいるのも茶葉などだ。
「……どなたかな?」
と出て来たのは若いが髭が特徴的な男だ。
「トーマス・グラバーさんですかな?」
英語で尋ねると、けげんな顔をして私の顔を見る。
「……すみませんね。記憶力には自信がある方なのだが、貴方の顔はとんと思い出せません」
それはそうだろう。
こちらは後世の写真で知っているのだ。実際に会ったわけではない。
「幕臣の山口一太と申します」
「ほう、貴方がイチタ・ヤマグチ……」
「ご存じですか?」
「ここ長崎や横浜でその名前を知らないと言ってはモグリだろう。リンスケ・ミヤジとともにイギリス本国も注目しているという日本人らしいじゃないか」
「それは光栄です」
「こちらこそ、貴方のような人の訪問を受けるとは有難い限りだが、一体、何の用かね?」
「申し訳ありません。今日に関してはまずご挨拶をということで」
先ほど買ったカステラを差し出す。
長崎でカステラを手土産にというのも、非常にありきたりすぎるが、突然の思い付きだったので仕方がない。
「今後、色々とお願いすることがあるかと思います」
「それは、それは有難いことです。狭い店ではありますが、ジャーディン・マセソン商会の日本代理店でございますので、必要なものなら何でもご用意いたしますよ。本国から運んできた方が良いものでしたら、早めにご用命いただけますと」
「そうですね。注文したいものもあるはあるのですが……」
「何でございましょう?」
「この国の近代化を」
冗談で言ってみた。
グラバーは一瞬、豆鉄砲を食らったかのような顔をしたが、すぐに笑いだす。
「それは中々難しい注文ですねぇ。究極的には日本の人で何とかしてもらわないと」
「そうですな、ハハハハ」
お互い一笑いした後、グラバーは真顔になる。
「しかし、近代化を進めるために必要なものについては全てご用意する自信がありますよ。それを生かすも殺すも、ミスター・ヤマグチと日本人次第ということになりましょう」
「そうですね。全く、その通りです。あともう一つ、知っていればで良いのですが、リンスケの状況はご存じですか?」
長崎のグラバーが、ヨーロッパにいる一日本人の動向を追っているということはないだろう。しかし、今後幕府と列強が交渉していく中では、燐の動向と歩調を合わせる必要がある。下手な武器よりも、燐がどこで何をしているかという情報は重要だ。
「デンマーク王子がギリシャ王になるので、コペンハーゲンに向かったという話は聞いていますが、その先までは分かりませんね」
「コペンハーゲンか……」
そういえば、ギリシャ王ゲオルギオスはデンマーク王子だったか。
燐が一時期言っていたマクシミリアンのギリシャ王路線はなくなってしまったということだな。
ゲオルギオスの下で、ギリシャ首相になるという基本路線はそのままか。
「できれば、今後もリンスケの情報を追ってもらえないでしょうか?」
「ハハハ、言われなくても彼の状況は追っていますよ」
グラバーが笑う。
「彼が本当にオリンピックなるものを始めるのであれば、そこから大きな発注が日本にも来るはずですからね。この商機を逃すわけにはいきません。ただ、更にミスター・ヤマグチにも恩を売れるなら、もっと良いですね」
やはり優れた商人だ。抜け目がない。
※ジャーディン・マセソンは東インド会社に端を発する中国の貿易会社で、イギリスの中国貿易のほとんどを賄っていました。
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