第7話 一太三日会わざれば、前世の記憶を取り戻す
無用な疑いを被ってしまったことで、出発が一日遅れてしまったが、五月の頭には江戸を出発して松代へと向かうこととなった。
「六月中に薩摩に着きたいということでしたが、大丈夫なのですか?」
福澤が尋ねてくる。
正直微妙なところである。松代への往復が二〇日弱で、横浜から最寄りの港まで船で行くにしてもそこから鹿児島までは数日かかる。
「やむを得ません」
間に合わないリスクはある。
しかし、佐久間象山と面識を繋げておくのはそれ以上に有意義なことだと、私は判断した。
この人物は見る人によって評価が分かれている。
有能である、という点では共通している。洋学のエキスパートであり、時代の先を進んでいた人物であると。
しかし、その性向については毀誉褒貶という印象だ。
とかく自分の才気を頼み、他人を見下す傾向があったと。
それは恐らくその通りなのだろう。私も21世紀にいた山口一の記憶を取り戻す以前、佐久間象山に会った時に歯牙にもかけられなかった記憶がある。
とはいえ、この人物は吉田松陰に連座させられた時に松陰先生を悪しざまに言って自らの罪を免れるようなことはしなかった。自分が認めた人物についてはリスクを負う覚悟があったのではないかとも思える。
今後、私自身はイギリスやフランスとのやり取りをしなければならない。
日本国内の件を誰かに任せたいとなった時に、頼める人物を1人でも増やしたいという思いがある。
現時点でそれができるのは沖田総司と福沢諭吉くらいだろう。ただ、沖田は京都の件を任せなければならないし、福澤は能力としては申し分がないが、まだまだ清濁併せ吞むところがない。できるとしても、1人では心細い。
何より、2人はまだまだ知名度が低い。
知名度という点では、佐久間象山に勝るものはいない。
今後の政策立案などにおいて、彼の名前が役立つ時が来るのではないだろうか。
馬も使って、松代までやってきた。
佐久間象山は吉田松陰が安政の大獄で連座したことに併せて牢に入っていたという。
大獄が終わってほどなく釈放されたようではあるが、その後は大人しくしているらしい。尊王攘夷活動が激しくなったのでおおっぴらに活動しづらいところもあるのだろう。
とはいえ、やはり佐久間象山である。街で「佐久間先生がどこにいるかご存じですか?」と聞いたところ、日々大酒を飲みながら、有志に国事を説いているのだという。
幸いにして、よく入り浸っている店も教えてもらった。
そこで待つのが良いだろう。
待っていると夕刻、佐久間がやってきた。
彼は史実では、供も連れずに京を練り歩いて、河上彦斎らに暗殺されている。京ですら不用心に歩いていたのだから、当然、ホームグラウンドの松代でも1人だ。
「あれが佐久間象山ですか……」
福澤も大村も、けげんな顔をしている。
気持ちは分からないではない。既に千鳥足で酔っぱらっているようにも見えるからだ。緒形洪庵と比較すると、ダメ親爺にしか見えない。
そんな佐久間と視線があった。
「あ~?」
ぞんざいな言葉を吐いて、我々をジロジロと眺めている。
「おまえ、どこかで見たことあるな?」
「佐久間先生、山口一太です」
「あぁ? 山口一太ぁ!? 誰だ?」
どう見ても因縁をつけているようにしか見えない絡み方だ。松陰先生といた時もこうだっただろうか? あるいは酒が入っているからだろうか?
「かつて吉田松陰先生と共にいた山口でございます」
「吉田松陰!?」
と言って、私を更にジロジロ眺める。福澤が怒りで小さく身を震わせていた。
「……まあいい。入れ」
佐久間は店に入った。私達も続く。
上座に佐久間が座り、私達三人が下座に座った。
「おい、注げ」
酒が運ばれるとすぐ、おちょこを出してきた。
ここで逆らっても仕方がない。従って酒を注ぐ。
「全然思い出せないな。山口なんて奴は……。松陰の連れていた奴は小物ばかりだったからな」
散々な言われようだが、佐久間はフンと鼻を鳴らす。
「だが、そうだとしても、少しは変わったようじゃねえか。男児三日会わざれば刮目せよ、とまでは言わんが、いっぱしの奴にはなったようだ」
「ありがとうございます」
実際には呂蒙のように勉学で変わったわけではなく、前世の記憶を取り戻しただけではあるのだが、とにかく変化していることは分かったようだ。中々たいした眼力である。
「俺に何の用だ?」
「私は松陰先生と井伊大老に日本の今後を託されました。いっぱしの計画はありますが、そのためには佐久間先生のお力もお借りしたく……」
「松陰と井伊大老だぁ?」
佐久間は大きな息を吐いた。酒の臭いが広がる。
「中々大きく出るねぇ、ひよっこが。まあ、良い。俺も蟄居の身だ。一つ聞いてやろうじゃないか?」
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