第4話 一太、福澤と大村と江戸に向かう①

 福澤諭吉、大村益次郎の訪問を受けたことで予定が色々と変わってしまった。


 江戸に向かい、緒形洪庵と話をした後に、西国に向かう。


 色々と歴史事情が変わっているため、薩英戦争が起きる時期はズレているとは思うが、それがいつになるかは分からない。速やかに移動しないことには薩摩に着くころには砲撃が終わっている可能性がある。



 こうなると、神戸が開港していないのが中々辛い。


 日本の船に関しては、燐介も以前行っていたが、中々信用できない。


 何せ土佐から江戸の参勤交代に使えない。それだけ天候の影響を受けやすいのだから。


 イギリス船であれば、そうしたことは気にしなくて済むだろうなぁと考えていたら、福澤が辛辣に言い放つ。


「山口先生、今時、馬と徒歩でてくてく江戸まで歩くことなどありますか?」


 同感ではあるが、一応幕府から給与を貰っている。


 多少は擁護しないといけないのではと思って反論する。


「今、現在、神戸では海軍操練所も作っているようですし、江戸でも何隻かの蒸気船がありますので」


「何隻かの蒸気船と言っても、使い方も分からぬような老人が見栄のために乗るようなものではありませんか。ああしたものは、今後を嘱望される者、多くのことを学びたいもののために利用されるべきです」


 中々手厳しい。




 もっとも、さすがに福澤と大村は幕末・明治を代表する知識階級の2人である。


 現状に文句を言うだけで終わり、ということにはならない。


「山口先生、多くの者が尊王攘夷運動に走るのは結局、教育の問題であると思います。学の理念を修めて、文明に開化された者が多く生まれれば、このようなつまらない問題がなくなるのではないかと考えています。やはり学問なのです」


 福澤が熱っぽく語る様子に、大村も全くだと頷いている。


「そうですね、福澤先生の通りだと思います」


 こうした理念を抱いて、福澤は慶應義塾を作り、学問や徳を修めた独立した個人が多くあれかしと、官に就くこともなかったのである。そうした情熱を抑える必要はないだろう。


「先生などととんでもない。交換、噂が聞くところによると、山口先生の視野は拙者など到底及ばぬものと聞いております。一部、清河八郎との議論の中身も拝見しまして、どうしてこのような卓見に至るのか、驚愕の極みでございます。拙者などせいぜい福澤君という扱いで充分でございます」


「いやいや、そんなとんでもない」


 現代に至るまで、慶應義塾では先生は福沢諭吉ただ1人であるという理念があるらしい。だから、教授達は公式には「~君」という扱いとなる。


 その福澤まで君になってしまっては大変である。



「いやいや、かの宮地燐介は年少でありながら拙者を呼び捨てにしておりました。最初は腹立たしいと思いましたが、西洋における独立した個人というものを考えた場合、彼の者こそ理想の存在なのではないかと思うようになった次第であります」


「燐……燐介が、ですか」


「彼の者は本当に不思議な存在でございます。何か際立った学問を修めたようにも見えません。拙者は彼を『この者こそ英傑の気風、日本人の鑑である』と思ったことは一度もありません。また、やろうとしていることも奇怪なことであり、とても今後の日本に必要なこととも思えないのですが、何故か言うこと言うことが西洋人の心を打つ。語学堪能というのはあれども、あれほど西洋人に重用される者を拙者は存じません」


「はははは」


 中々面白い燐に対する評価である。


「しかし、西洋というものも最初から西洋だったわけではありません。道なき者を進む者があり、そうした者が得た知識をもとに優れたものを研磨していったのです。燐介は道なき道を進むというのもまた、未来に向けての真理なのでございます」


「なるほど! そういうものでございますか。確かに拙者はもちろん、緒形先生も洋学を披露し、それを整理するということに重きを置いております。広く多くの者に知ってもらいたいと思っておりましたが、先生の言われるように燐介は整理ではなく開拓をしていると言われるとすっきりするものを感じました」


 そうこう話をしていると、道端に座り込んでいる女性を見つけた。歳は20過ぎくらいであろうか、赤子を抱えており、顔色が青い。


 福澤と顔を見合わせ、近づいた。


「どうされましたか?」


「何だか突然、立ち眩みがしまして……」


 女性が力なく言うと、大村が進み出た。


「それはいけませんな。拙者、長州で医師をしていたので診てしんぜましょう」


 そう言った途端に、福澤の血相が変わった。


「大村さんはいいから!」


 と、大村を私に押し付け、女性の話を聞いている。


 一瞬、福澤の好みの女性だったのかと思ったが、表情にはそうしたものは一切ない。



 そういえば、大村益次郎は若くして医師となっており、その縁で緒形洪庵に師事したと言われているが、肝心な医業は今一つだと言われていたことを思い出した。代わって兵学などの才があり、幕末と明治初期に大活躍したのであると。


 福澤の表情を見ていると、それは事実なのかもしれない。

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