第3話 一太、適塾の英才から訪問を受ける

 薩英戦争は史実通りならば、この年……文久三年の7月に起きている。


 ここではもう少し遅くなるのではないかと思う。何故なら、英国の使節としてやってきた燐介が前年の十二月までいたからだ。史実では決裂になったのは数か月早かったはずだ。となると、それだけ英国艦隊が動く時間も後になるだろう。


 とはいえ、何があるか分からないので、できれば六月までに薩摩に行き、後々の布石を打っておきたい。



 まずは遠出の許可を貰う必要がある。


 今の私は、清河と並ぶ浪士組のトップであると同時に、私的であるが孝明天皇から近代化策をまとめるように言われている身だ。


 だから、帝と松平容保に京を離れる許可を貰う必要がある。


 立場があるということは、こういう時には面倒くさい。


 まずは御所に向かい、主上の許可を求める。



「京の治安は、近藤、芹沢らの活躍により保たれております。今こそ、国のために西国に向かいたく存じます」


 私は主上から直々に「近代化のために必要な法体系を作ってくれ」と言われている。それにも関わらず、西に行きたいというのは「それはないよ」というような行為だ。


 とはいえ、主上は不承不承という様子であるが、頷いた。


「……どういう理由があるのか知りたいが、それは言えぬと申すのだな?」


「恐れ多くも、これは主上の耳汚しとなるだけの話でございまして」


 国語の成績はそれほど悪くなかったと思うが、この時代の敬語として、日本国の国語教育が想定していない、『過去の天皇との会話内の敬語』として適当なのかは全く分からない。


「……朕を裏切ることはないな?」


「決してございません。そのようなことだけは決してございません」


「……良かろう。この国のために必要なのだと言うのであれば、朕が阻む理由はない」


「かたじけなきことでございます」


 私はこれ以上ないほど平伏し(たつもりで)、御所を後にした。



 続いては、京都守護職・松平容保を訪ねることになる。


 こちらは孝明天皇の許可を既に得ているので簡単だ。


「主上の許可を得ているというのであれば、仕方あるまい。早う戻ってこいよ」


 それだけ言われて、あっさりと承諾を得た。



 許可を貰ったので次は同行者だ。


 私はお世辞にも剣術に秀でているとは言えない。もし、襲撃にでも遭えばあっさりあの世行きとなってしまう。


 天下の副将軍水戸黄門だって助さんや格さんを伴っていたのだから、私が1人で旅をすることは無謀だ。


 とはいえ、この相手というのが中々見つからない。


 理想は試衛館組を借りることだが、彼らは京の治安維持活動に忙しい。続く候補としては坂本龍馬がいるが、彼は神戸操練所の資金繰りのために越前に向かうというからとても西には来ないだろう。


 他にこれと言った知り合いもいない。


 人づてに頼むと言っても、私が全く知らない幕末史的に無名な人物でも困る。



 八方ふさがりかと思ったところで、思わぬ援軍が東からやってきた。


 四月二十日の朝、宿舎で今日はどこに探しに行こうかと考えていると、沖田がやってきた。


「江戸から山口さんに会いたいって人が来ているよ」


「江戸から? 一体、誰だ?」


「燐介と一緒にアメリカに行っていた福澤諭吉さんだよ。あともう1人、変な顔の人がついてきている」


 福澤諭吉!?


 彼は幕臣として江戸に滞在していたはずだが、何の用で私を訪ねてきたのだろうか?


 とはいえ、福澤は学問もさることながら、剣術という点でも頼りになる男だ。


 もし、彼が私に帯同してくれるのなら、これほど心強いことはない。


「呼んでもらえないか?」 


 私は沖田に頼んで、座敷まで福澤に来てもらった。



 福澤はヨーロッパから帰国した後、妻を娶り、その後は幕府直属となって言語の翻訳に努めていると聞いている。


 正史ではこの後姿を現すのは幕末の渡米であり、それまでは文化活動に勤しんでいたはずだ。そんな彼がわざわざ京まで何をしに来たのだろうか?


 案内された福澤は、もちろん一万円札の彼よりは若い。


 私に深々と挨拶をし、「中津の福澤でございます」と自己紹介を始めた。


「某は大坂・適塾におきまして緒方洪庵先生に学んでおりました。先生もまた、現在は江戸に滞在しておられまして、上様の御侍医の1人として控えられております」


「左様でございましたか」


「ただ、先生は江戸での堅苦しい生活に苦しんでおられます。また、江戸では先生が新たに学びを得ることも少なく、精神的にも滅入っているところがございます。某やここにおります益次郎も何とかしたいと思うのですが、某らではどうにもなりません」


 緒形洪庵が医学や洋学の能力を評価されて江戸に滞在していたというのはさすがに知らなかった。大坂の自由な気風に馴染んでいた者にとっては江戸が堅苦しく感じるのも事実だろう。


「そうしているところに、京で山口先生と清河先生が議論をし、山口先生が討ち果たしたという話が入ってまいりました。かつてあの宮地燐介や吉田松陰先生と旅をしたこともあるという山口先生ならば、先生を満足させるのではないかと思い、上様とも話をしまして短期間の呼び戻しの許可をいただきました。そのうえで、ここにいる大村益次郎とともに参った次第でございます」


 と、諭吉は隣にいる面長の男を紹介した。


 福沢諭吉に大村益次郎。


 適塾門下の中ではもっとも有名な2人が、緒形洪庵と話をさせたいがために会いに来たということのようだ。

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