第10話 ギリシャ王と燐介①

 ニコライは治療を嫌がっているが、負傷したという情報が王宮に伝わったのだろうか。


 しばらくすると、デンマーク人の医師達が数人かけつけてきた。



 原因が何であるかは別として、ロシアの皇太子に何かあったとなればデンマークとしても色々面倒くさいことになるかもしれない。もちろん、イギリスや日本にとっても他人事ではない。


「ニコライ殿下!」


 おっ、可愛い女の子もかけつけてきたぞ。


 彼女がマリーなんだろうか。


「マリー!? どうしてここに!」


 やはりそうだったようだ。ニコライが大仰に驚いて叫んでいる。


 対するマリーも、うるうると大きな涙を流して言う。


「殿下が港で苦しんでいるという話を聞いて、すぐに飛んできました!」


「あぁ! 情けない姿を見せてごめんよ、マリー」



 おいおい……。


 何だよ、この2人。


 俺達をさしおいて、花やら星やらを背景に背負って話をしているじゃないか。


 2人は真剣に色々語っているが、正直白けてきた部分もある。デンマークの医師が診てくれそうだし放っておこう。


「俺達はイギリスから来たんだけど、ヴィルヘルム殿下に会いたい」


 と、暇そうにしている別の人間に言うと、血相を変えて宮殿の方に走っていった。



 二十分もしないうちに王宮から別の馬車が飛んできた。


「失礼いたしました! どうぞ、こちらへ!」


 と乗せられて、宮殿へと連れられていく。


 この当時、コペンハーゲン・アマリエンボーにあるのが王城だが、ヴィルヘルムは王位継承者の息子という微妙な立ち位置なので王城にはいない。近くの屋敷に連れられて、そこで面会することになった。ロンドンで言うなら最下級の貴族でも借りられるような屋敷だ。


 そう聞くと、かなり立場が弱いように思えるが、エドワードと結婚したアレクサンドラもマリーもここに住んでいた。デンマークの傍系王位継承権としてはこんなものなのだろう。


 一つしかない応接室に座って待っていると、すぐにヴィルヘルムがやってきた。



 また真面目な顔をした利発そうな少年だ。


 聞くと、1845年生まれという。ということは、俺より3つ若くて、エドワードよりは4つ若い(ついでにニコライよりは2つ若い)。


「貴方がリンスケ・ミヤチですね。話は聞いています」


「それはどうも」


「私とそれほど歳も変わらないのに、ギリシャの精神的高揚を狙って、オリンピックという大会を開催するという発想は素晴らしいと感じています。是非協力してください」


「こちらこそよろしくお願いします」


 歳が変わらないと言っても、こっちは転生しているから合計すると40年以上生きていることにはなるんだよな。ほとんど歳も変わらないのに、と言われると何だか照れ臭くなる。


「これからのスケジュールですが、3月中旬に私の国王としての名前が決定するようです」


「中旬? あれ、今はもう22日だけど?」


「ギリシャは暦が違いますので」


 あぁ、そうか。


 忘れていたけれど、日本はいわゆる太陰暦でかなり違う。明治になるまで西洋と暦が全く違うわけだ。一方、ギリシャやロシアは太陽暦ではあるのだが、ユリウス暦を使っているから微妙に日にちがずれている。だから数日単位でのズレが生じているのだ。



「5月か6月にはギリシャから首相のカナリス中将がやってくる予定で、ここコペンハーゲンで即位式を行います。そのうえでギリシャに向かう予定です」


 ギリシャで即位式をやらないということは、やはり色々治安上の問題があるのかもしれないな。


 まあ、いいや。とりあえずこちらの予定も言っておこう。


「既に聞いていると思いますが、イギリスからは新国王誕生への祝いとしまして、イオニア諸島を返還することが発表される予定です」


「それは良いことではあるのですが……」


 ヴィルヘルムの表情が暗くなる。


「幸先の良いスタートを切ることで、ギリシャ国民がこの国王なら領土を広く獲得してくれると考えるようにならないことは願いたいものです」


 あぁ、まあ、そうだよな。



 バルカン半島は『火薬庫』とも呼ばれるくらいに歴史上、戦争の多い土地柄だ。


 この地域は、ギリシャ正教、イスラム、カトリック、プロテスタントと様々な宗教が混じってきて非常にややこしいこととなっているし、暦だって西側とは違う。


 日本からすると、このあたりには大きな国がないことからまとめて考えられがちであるが、20世紀末に起きたユーゴスラヴィア紛争やらを見ても分かる通り、争いが起こると大変なことになる。


 ギリシャだってその中の一員だし、何なら昔は東ローマ帝国という強大な国家をもっていた。「古き良き時代よ、もう一度」みたいなものを持っている。



「まあ、そのために俺がいるわけで」


 世界中が参加する大イベントがアテネから始まるとなると、ギリシャ国民のプライドは満たされる。


 俺も目的が果たされる。イギリスも満足して、新国王も満足。


 まさにWin-Winの関係だ。


 ただ、唯一負け組になるかもしれないのは、現在の首相であるコンスタンティノス・カナリスだろうか。


 この人物は33年前の独立戦争で海軍を指揮していた英雄的存在だ。もう70近いが現役バリバリである。コペンハーゲンまでやってくるというのだし、新国王の下で意気込んでいるかもしれない。


 ただ、イギリスの希望は俺の首相就任だ。カナリスにとっては面白くないはずだ。


 で、俺はと言うと、正直首相は荷が重いとも思っている。


 令和の日本にもあったけれど、オリンピック担当相みたいなものでも良いんだけどな。


 だから、独立戦争の英雄を押しのけてまで首相になりたいわけではない。


 そうした話をすると、ヴィルヘルムはあまり意に介していないようだ。


「ギリシャの政治は情勢が不安定です。カナリス中将には海軍提督の地位を保証して得意分野の海軍を任せて、首相は別の人間……すなわちリンスケがなった方が良いのではないでしょうか?」


「それならいいんだけど、さ」

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