第19話 一太、近代法案作成を押し付けられる

 翌日、私は清河とともに再び御所を訪れた。


 昨日は庭までしか入ることができなかったが、今日は天皇との面会であることから紫宸殿ししんでんまで案内される。


 京都御所に行ったことはあるが、中に入ったことはない。


 バッキンガム宮殿なども見ているから、建物として圧倒されるということはないが、それでも日本で最も高貴な場所である。自然と緊張を感じてくる。



 その紫宸殿の広間に孝明天皇がいた。


「おぉ、待っていたぞ。一太、八郎」


 挨拶も惜しいとばかりに、天皇は早速話を始めた。


「朕はこれまで幕府の多くの者と会ってきたが、いかにも要領を得ない者ばかりであった。かく言う朕自身、今のこの国と取り巻く国のことを分かっておるかと言われると分かっておらぬ。ゆえに、昨日のそなた達の話は非常に身にしみいるものであった」


「主上の参考となりましたのなら、これ以上なく有難きことにございます」


 清河が低く頭を下げる。私も続いた。


「特に考えさせられたのは、農民から年貢を取り立て、朕を含めた公家・武士は年貢がないという話だ。他の国ではそうした者も年貢を払っているというのだな?」


 天皇の問い合わせだ。清河が答えられることではないので、私が回答する。


「はい。年貢ではなく、もう少し異なる形式をとっておりますが、その国にいるすべての者が国のために負担を負っております」


「……それよ。だが、いきなりそうしようとしたところで他の者が応じるとは思えぬ」


「左様でございます」


 現代社会では近代化の結果起きた制度を当然のように享受しているが、これは簡単なことではなかった。


 フランスは革命が起き、国王や王妃も含めた多くの者が死んだ。


 日本も歴史的には明治維新に戊辰戦争という経緯を経て、多くの者が死んでいる。


 それでもこの二か国を含めて、犠牲を出しても近代化できたところはまだ良い。


 世界には、ただただ死者を出しただけで、完全な意味の近代化に至らないまま、21世紀まで迎えている地域も少なくはない。



「であれば、まずは朕がその負担を引き受けようと考えている」


「……何と!?」


「朕が負担を負うのであれば、公家は皆従うし、武士も無視できぬことになる。違うか?」


「違いませんが、本当によろしいのですか?」


 さすがの清河も震える声で確認している。


「朕の代で、この日ノ本を夷人が歩き回る国にしたくはないのだ。そんなことになれば、朕はどう先人達に顔向けしたら良いものか……。それを思えば、国のために朕が尽くすくらいはどうということはない」


 孝明天皇はそう言って、御所の奥の方に視線を向けた。祖廟の方を向いているのだろう。



 天皇の覚悟が予想以上のものだと分かった。


 しかし、ここから具体的に進む方法は難しい。


 天皇が税を負担するとは言っても、そのための税法がない。税法だけでなく法体系そのものがない。中世の法体系を近代に進めなければならない。


 簡単な事ではない。


 史実では大日本帝国憲法が制定されたのは明治22年だ。法務を担当していた江藤新平の努力もあり、一部の法典については10年ころには導入されていたが、それでも10年はかかる。


 天皇が「覚悟しました。はい、では明日から」というわけには到底いかない。



 考えていると、清河が答えた。


「主上、この八郎に愚申いたしたきことがございます」


「うむ、申してみよ」


「恐らくではございますが、それを取り入れるのは容易なことではございません。そもそもそのような形が想像すらできない者も多くいると思います」


「うむ、そうだろうな……」


「ここは山口殿に、新時代のための法典を制定する権限を与えて、実際に作ってもらい、朝廷・徳川・諸大名の意見を聞くのがよろしいのではないでしょうか?」


「何ですと?」


 思わず叫んでしまった。


 清河め、とんでもないことを言いだすものだ。


 だが、孝明天皇はポンと膝を打つ。


「一太にまずは作ってもらい、それを吟味せよということか? 妙案だ」


「と、とんでもございません」


「何がとんでもございません、だ? そなた以外にそれが出来そうな者が、この日ノ本におるのか? おるなら名前を挙げてみよ」


「……」


 それこそ無理難題だ。


 日本の法制度は、明治になってからの欧州留学なども受けてのものだ。


 文久年間にそんなことができる人間がいるはずもない。


「だが、そなたなら出来るかもしれん。朕の方で、特別にそなたに役職を用意しよう。それを受けて、新しい日ノ本の形を考えるのだ」


「……」


 とんでもないことになったが、ここまで言われると断れるわけがない。


「……承知いたしました。できる限りのことはやりましょう」

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