第16話 一太、孝明天皇に召される

 ここまでのところ、非常にうまく行っている。


 あとは、燐の計画について説明し、海外との繋がりを強調すれば論争そのものは勝てるだろう。


 ただし、それで清河が「分かりました。負けました」となるかというと、その保証はない。


 清河はともかくとして、多くの尊攘派浪士は元々貧困に見舞われているなどうまく行っていない面々である。武士自体が困窮に立たされていて、不満のはけ口として尊王攘夷が使われているところがある。


 そんな彼らが「武士の特権を廃して、国民国家への道を進みましょう」と言われて納得するかというと、そうはいかないだろう。


 清河はそういう現実的な話を持ってくるはずだ。


 それに対する答えを明確に見出してはいない。


 ただし、燐は外国との繋がりが多いから、場合によっては外国に出て行くという手はある。



 戦国時代が終わり、浪人たちはタイやインドネシアに出て行ったという。


 そうした歴史に倣うような話も必要になるだろうと考えていた。



 が、そこで予想外のことが起きた。



「山口一太と申したか」


 不意に部屋の片隅から声が響いた。


 一部の者の顔が青くなった。関白鷹司輔煕もその例に漏れない。


 彼らは声の方向を見て、一斉にひれ伏す。バサバサッという羽織物が揺れる音が響いた。


「し、主上!?」



 主上?


 ということは?


 私も椅子から降りて、その場にひれ伏す。清河も察したのだろう。それに続いた。


 残りの者も続く。恐らく場にいる全員がひれ伏しただろう。


「……楽にせよ、楽に」


 低い声が響いた。


「朕が勝手に聞いていたのだ。楽にせよ」


「ま、まさか主上がおられるとは知らず、大変、ご無礼を」


 関白はじめ一斉に頭を下げている。



 姿は見ていないが、この反応を見ると間違いないだろう。


 まさか孝明天皇まで聞きに来ていたとは。


 とはいえ、外国嫌いに関してはこの上ない天皇である。攘夷に関する議論があると知って、聞きたいと思ったとしても不思議はない。


「一太よ、朕は今まで外国を知る者を多く見てきたが、お主はことに詳しいようだ。お主の自信に満ちた言葉を聞いていると、どうも打ち払うより、この国の者が向こうに出て行かぬ限りどうにも行かぬらしいことは理解した」


「ははっ、御耳汚しをお許しください」


「良い。一太よ、朕は、この国を夷人が自由に闊歩できる場所にしたくはないのだ。そんなこととなれば朕は、この国を統べてきた121人の先達に会わせる顔がなくなってしまう」


「ははーっ!」


 現実的には難しい話だが、さすがに面と向かって「無理です」とは言えない。


「一太よ、容保よ。江戸の将軍に伝えよ。朕は攘夷を打ち払いによってのみなすべきとは考えぬ。夷人を元の場所に帰し、そのうえでこちらから出て行き、向こうに来させないようにするやり方でも良い。要はこの日ノ本の地に、夷人を来させぬようにすれば良いのだ」



「な……!」


 清河が叫びそうになったのを必死に押さえた。


 私もこの発言には驚いた。


 まさか天皇が外国との交渉を前提にした解決策を積極的に認めるとは思わなかった。


 とはいえ、井伊直弼に始まり、既に幕府は外国と交渉をしており、孝明天皇自身も条約などの存在を認めてもいる。それらすべてを覆すのは不可能だということは分かっているのだろう。


 また、外国の言うことを全て阻むだけの力を今のこの国が有していないということも薄々は感じているのだろう。


「一太よ、月に一度、朕の下に奏上に訪れよ。聞きたいことが山ほどある故な」


「は、ははっ!」


 実際に声となって出たわけではない。


 しかし、周囲が一斉にざわめくのを感じた。


 天皇が打ち払いを却下し、かつ進言者の私に毎月奏上に来いということは、朝廷の方針が完全に外国との交渉許可の方向にシフトしたことを意味する。


 史実では8月18日の政変で公武合体派が尊王攘夷派を追放した。それより半年早く、天皇主導で公武合体の姿勢が鮮明になったのである。



「では、話を続けよ」


「し、主上、それは難しいかと……」


 話を再開させようとする孝明天皇に対して、関白が待ったをかける。


 当然だろう。正直、私も含めてまさかの展開に頭がついていけていない。ましてや清河の頭はもう真っ白になっているのではないだろうか。


「……そうか。朕が邪魔をしてしまったか。そういうつもりはなかったのだがな」


 孝明天皇は溜息をついた。


「一太、八郎。その方ら2人、明日も来るが良い」



 これまた突然の招集だ。


 私は思わず清河を見た。彼もこちらを向いている。


 どちらともなく、「ははーっ! 承知いたしました!」と答えた。



 これでこの日は終了だろう。


 孝明天皇の明日また来い、という言葉を受けて、続きがあると考える者は一人もいない。


 しかし、大変なことになってしまった。


 もちろん、いずれは孝明天皇にも理解してもらわなければならないと考えていたが、今、このタイミングで向こうから出て来るとは思わなかった。


 明日、果たして何を聞かれ、何を要求されるのだろうか。


 清河との議論は正直恐れてはいなかったが、相手が孝明天皇となると話は別だ。


 議論を超えて、何かを期限を区切ってやるように要求される可能性が高い。


 色々と不安になってきた。

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