第10話 燐介、西太后と会う④

 李鴻章が追い出されて、場にいるのは俺一人だけになってしまった。


 プレッシャーが物凄い。何せ、この面々とコミュニケーションを取る術がないのだから。


 西太后の声が聞こえてくる。それを英語の出来る宦官が説明してきた。


「さて、昨日の答えを聞かせてもらおうか、と仰せです」


 断る余地のなさそうな言葉だ。



 だが、俺は断るぞ。


「有難いお話ではありますが、俺には他にやることがあります。今、この国に留まるわけにはいきません」


「ほお……」


 これは訳さなくても、そんなことを言っているだろうという雰囲気だ。御簾の向こうが急にピリピリしてきたような錯覚を抱く。


「その代わりに西太后様に提案がございます」


「……聞こう、とのことだ」


「俺は、イギリスの首都ロンドンにオスマン帝国の皇太子を連れていったことがございます」


 正確には俺が連れていったというより、行く手はずを整えたという方が正しいが、このくらいのことはアブデュルハミトも認めてくれるだろう。


「ですので、同じことを清国の関係者に行うこともできます」



 ここは賭けであるとも言える。


 西太后は、自分の使える良いカードを求めている。外国に強くて、自分に従ってくれるカードだ。


 俺を厚遇したいと思っているのは、俺がその条件を満たすからだ。イギリスを含めたヨーロッパに強くて、年下の日本人で、清の威光に屈しそうな奴だということだ。


 だが、外国人に強いという条件を外せば、もっとベストなカードが西太后の下にはあるはずだ。そのカードに外国との繋がり……エドワードとの橋渡しなどをしてやれば、俺でなくても良くなるはずだ。




 西太后が何かを言った。


「それはならん、との仰せです」


「どうしてですか?」


「……清は今、太平天国と稔軍という二つの強敵を抱えている。誰かを派遣する余裕はない」


 むうう、そう来たか。


 確かに、国が亡ぶかもしれないという瀬戸際の中で、誰かを留学させるというのは難しいものな。


 仕方がない。久しぶりにちょっと予言者ぶろう。


「その点については心配いりません。太平天国は来年のうちには滅びます。稔軍も長くはありません」


「何故、そのようなことが分かるのか?」


「それはもちろん、海外のことを良く知っており、イギリスやフランスの分析なども持っているからです」


 このあたりはハッタリだ。イギリスやフランスにしても、太平天国がいつ滅ぶなんてことは分からないはずだ。


 とはいえ、それを確認する術も西太后にはないはずだ。


 もちろん、恭親王らにもないはずだ。


「すなわち、これから先、西太后様の相手は、全く違うものとなるはずです」


 具体的な名指しはしないが、こういう言い方をすれば、恭親王との対立を意識してくれるだろう。



 しばらく反応はない。


 ただ、反応がないこと自体は悪いことではない。西太后は俺の言いたいことを理解したはずだからだ。自分の持ち札で、イギリスに連れていっても良い者がいるかどうか考えているに違いない。


 待ち時間が長い。かなり考えているようだ。


 これも俺にとっては悪い方向ではないだろう。彼女は「誰を派遣するのが一番良いか」と考えているはずだからだ。


「……進喜しんきよ」


「ははっ!」


 甲高い声が御簾の向こうから聞こえた。


「おまえには常に近くにいてもらいたいが、外国のことを学ぶにおいて、おまえほどの適材はおらぬ。しばし海外に行き、見聞を広めて参れ」


「承知いたしました」


 と、西太后と少年らしい者の会話を一々翻訳してくれる宦官は本当に大変だと思うが、しばらくすると別室から福々しい顔をした少年が現れた。


 少年を連れていくというのは賢い選択だと思う。何せ、外国語を勉強しなければいけないから、成人よりは脳が柔らかい少年の方が望ましい。


 しかし、こいつは福々しいし、そもそも西太后と同じ部屋にいたんだよな。


 普通の男は、西太后のような高い地位の女性と同じ場所にいることはできないはず。


 ということは、こいつ、宦官なのだろうか?



「おまえも行くがよい」


 と、どうやら通訳役の宦官にも命令したようだ。


 まさかの宦官二人か。


 てっきり、身内の誰かを派遣するのではと思ったが、よっぽど満州人を警戒しているんだろうな。


「李進喜と申します! よろしくお願いします!」


 まあまあ美形の少年宦官が俺に挨拶してくれた。


「燐介よ」


 御簾の向こうから西太后が言う。


「おまえの提案を今回は受け入れるとしよう。ただし、妾の期待に背くことがあれば、おまえはもちろん、日本という国も危ういということを知るがよい」


「は、ははーっ」


 怖いなぁ。


 俺が裏切った場合、西太后なら、本当に逆恨みして日本攻撃とかやりだしそうだ。



 それでも、とにかく西太后の承諾を得ることには成功した。


 おまけがついてくることも想定内だ。


 ただ、それが二人でしかも二人とも宦官というのはさすがに予想しなかったけれど。



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※李進喜……西太后が最も寵愛した宦官である李連英の最初の頃の名前。7歳の時に宦官になったらしい。この年14歳。

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