第9話 燐介、西太后と会う③

 その夜、俺は紫禁城内にある、現在未使用の宮殿の一つを使わせてもらうことになった。


 宮殿を一つなんて簡単に言ってしまった。


 清の皇帝(同治帝)や西太后からすればそんな扱いだろう。


 しかし、日本の一般人からすると、もうとんでもない代物だ。灯りをつける必要がないくらい宝珠が輝いているし、持ってきた道具も水晶やら翡翠がふんだんに使われている。



 食事も一皿ウン十万はしそうなものが次々と運ばれてくる。


 こんな環境で日々暮らしていたら、絶対ダメになるだろうな、うん。


 仮に西太后の妹と結婚したら、毎日こういう暮らしになるのか……。


 それは凄いなぁ……。楽だろうなぁ。




 いや、俺は中国で飲み食いするために転生したわけではない。


 この環境に甘んじてはいかん。


 しかし、どうやって断ったものか。


「嫌です」


 と言って、承諾されるなんてことはないだろうからなぁ。


 西太后が納得しそうな代替案を出す必要はあるだろう。



 納得しそうな代案とはいかなるものか。


 まず、この時代の西太后は意外と言っては失礼だが、若い。現在の皇帝はまだ幼児であり、その母親ということでトップに立っているが、反感を持つ者は多くいるだろう。



 次に、満州人が役に立っていないという現状がある。李鴻章やセンゲリンチンなど別の民族の者が活躍している。この流れで俺も採用されようとしているわけだ。


 この姿勢をどう考えるべきか。


 能力があるなら引き立てている、とも受け取れるが、満州族のシニア層を警戒していて、対抗する子飼いの者が欲しいのではないだろうか。先ほど見たように、この時代の西太后には実績がない。満州族の連中が「西太后を倒せ」と政争を仕掛ける可能性がある。満州族が頼れない以上、漢族や他の連中に期待するしかない。



 列強には勝てないと思っていそうだ。若いということは、清の強かったころは知らないわけだし、生まれた時からアヘン戦争やアロー戦争の敗北を見てきている。清の体面が保たれる限りはイギリスやフランスと敵対したいとは思っていないだろう。



 恭親王との関係はどう捉えたら良いのだろうか。


 山口なら恭親王のことをよく知っているかもしれないが、俺は名前くらいしか知らない。ということは、恐らく西太后に負けたんだろう。


 この2人が去年、クーデターを起こして政治の主導権を握ったらしいが、頂点に2人いて仲良くし続けることは非常に難しい。


 ということは、お互いに「いずれ排除したい」と考えているだろう。


 ……このあたりを利用しよう。



 夜、寝室に向かう。寝室の中に更に豪華な寝室があるような感じだ。


 天幕を空けて中に入ろうとすると、小太りの男がやってきた。いや、男じゃないな。これが宦官というやつなのだろうな。


「ミスター・リンスケ、何人必要ですか?」


 おっと、英語で話をしてきたぞ。そんな宦官もいるんだな。しかし、「何人?」というのは何のことだ?


「何人の娘を連れてくればいいですか?」


「いらねえよ!」


 それで「やったー」と何人か呼んでいたら、佐那と竹子に殺されてしまう!


 そもそも、妹を嫁がせようとか言う相手に「何人の娘と一緒に寝るか?」って聞くのは姉としてどうなんだ、西太后?



 豪華な寝室で横にはなったが、何が起きるか不安でいたので結局ほとんど眠れなかった。


 朝、李鴻章が迎えに来た。


「午後には再度西太后様と謁見だ。その時までに答えを用意しろよ?」


「あぁ、もう大丈夫だよ」


 幸か不幸か、横になりながら眠れなくて長時間考えていたからな。


 西太后を納得させる案もしっかり考え付いた。


「今日のうちに話をつけて、早めに上海に戻りたい。その後は、すぐにベトナムの方に出発したいと思うんだけど、いいか?」


「……もちろん、西太后様がお許しになるのなら構わないが」


 李鴻章の口ぶりを見ると、どうも俺が彼女を説得するのは無理だと思っているようだった。



 昨日に引き続いて、同じ道を案内されて宮殿の奥深くへと進む。


 昨日と違うのは、最後の部屋まで来たところで数人の宦官が出て来て李鴻章を止めたことだ。中国語で話をしているのではっきりは分からないが、どうも宦官達は「李鴻章は帰れ」と言っているようだ。


 それに対して、李鴻章は俺を指さして抗議している。恐らく「俺がいなければ、誰が燐介の通訳をするのだ」と言っているのだろう。


 と、一人の宦官が寄ってきた。


「ミスター・リンスケ、おはようございます」


「うん? あんたは……」


 昨晩、何人の娘がいりますか? と聞いてきた宦官じゃないか。


「今日は私が通訳をします。西太后様は直に聞きたいということなので」


 な、何ぃぃ?


 直に聞きたいというのは、御簾がないということなのか?


 あるいは、昨日の俺の返事を、李鴻章が都合よく通訳していると考えたのだろうか?


 いずれにしても、李鴻章がそばにいなくて西太后子飼いの宦官が通訳をするとなると、これは非常にやばい。


 変なことを言って、そのまま訳されたら殺されてしまうかもしれない……。

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