第6話 紫禁城の燐介①

 上海から船で出て一日、俺は天津を経て北京へと到着した。


 この旅に同行しているのは、李鴻章だけだ。


 自分から呼んでいるくせに、呼んだヤツ以外は来るなというのが紫禁城の姿勢だ。我儘極まりない。


 そんな奴は無視してしまえ、と言いたいところだが、租界とはいえ上海も清の領土であることは変わりがない。上海にいる以上、清国首脳からの要求を断ることはできない。その気になれば、俺だけでなく伊藤や井上、中野竹子や琴さんといった面々に危害を加えることもできる。


 だから、上海にいる以上は従うしかない。



 天津に着いたら、そこからは迎えが来ていて馬車で移動だ。上海の実力者・李鴻章がいるので兵士達も最低限の敬意は示してくれている。


 北京に長居したくないということは李鴻章にも説明しているが、その保証はできないという。


 それは仕方ないところではあるだろう。


 恭親王も聞いたことはあるが、何と言っても西太后というのは物騒だ。


 中国四千年の歴史でもこの人より怖い女はそうはいないのではないだろうか。


 まあ、個人的には佐那の方が怖いけど。



 江戸城もでかいし、バッキンガム宮殿も凄かった。


 しかし、スケールという点ではやはり紫禁城が別格だ。江戸城やヨーロッパの宮殿はあくまで国のトップの使用する施設といった雰囲気だが、紫禁城は城自体が一個の街になりそうなくらい大きい。


 変な話、そこにある一個の建物でも他所の宮殿クラスになるといった具合だ。


 凄いと思うのだが、同時にこれだけの宮殿があるのに清国はイギリスに手も足も出ないという事実もまた思い知らされる。確か乾隆帝が創った円明園は、イギリス軍とフランス軍に徹底的に破壊されたんだよなぁ。


 ハコモノがいくら立派でも仕方がない。


 そういうことなのかもしれない。



 中に入ると、満州人のガイドにくっついて移動することになる。


 満州人のガイドは、恐らく紫禁城についてはプロ中のプロなのだろう。色々講釈を垂れてくれるのだが(で、一々李鴻章が通訳してくれるのだが)、俺の記憶力はそっち方面には全く向かないので、右から左へ流れるだけだ。


 もちろん、これだけとんでもない施設なので、初見で来た面々は圧倒されるだろうとは思う。ただ、そういう点では俺は21世紀の凄い建築物も見ているから、圧倒されることはない。


 歴史的な重要建築であるのは間違いないから、仮にスマートフォンでも持っていれば、いたるところ写真に撮りまくって自慢したかもしれない。ただ、持っていないから、正直二か月後にはほとんど覚えていないだろう。


 となると、そこで誰と会ったか、どんな話をしたのかが重要になる。



 ガイドの説明に段々力が入ってくる。あ、俺は中国語は全く分からないから、ガイドが何を言っているのかは分からない。ただ、話ぶりなどを見ていて、力を入れているのかいないのかくらいは分かる。


 いよいよ本丸的な建物へと案内されてきたようだ。


 実際に凄い。


 装飾から何から珊瑚とか翡翠とかを使っていて、部屋に幾ら金をかけているのか、と思えてくる。と同時にこの金を別のところに使っていれば、もっと清は強くなるんじゃないかという思いも抱く。


 貧乏人の僻みかもしれないが。


 ともあれ、俺は一際豪華な部屋で、金銀装飾の施された椅子に座って待つことになった。


 それだけなら、俺が物凄く偉くなったように思えるが、残念ながら、真向いにある清の人間が座るだろう椅子はもっと豪華だ。


 この椅子を売ったら幾らくらいになるんだろうな。



 そんなことを考えていると、派手な刺繡の入った服装の男達が現れてきた。


 その先頭にいるのが、おそらく恭親王と呼ばれる人物なのだろう。一際立派な服を着ている。


「恭親王閣下だ」


 李鴻章が説明してくれた。


 俺は挨拶のために立ち上がろうとしたが、それを手で押しとどめられた。


「堅苦しいことはしなくて良い、ということだ。おまえだけの特権だ、と」


 いらないよ、そんな特権。


 代わりに何を要求されるか知れたものではないし。


 奴は中々に甲高い声で色々話をしている。年齢としては30は行っていないだろう。同じ東洋人ということで、日本人同様に少し若く見えるところはあるかもしれないが。


「おまえのことは上海の色々な人物から聞いている」


 恭親王の話が始まった。


「憎きイギリス皇太子とも知り合いだそうだな」


「まあ、一応は……」


 それ自体は事実なので認めるしかない。


「そんな燐介に相談なのだが、我が清国の人物を、イギリス皇太子に紹介してくれないだろうか?」


 ズバッと入ってきたな。


 やはりイギリスとの関係で、俺を利用したいということのようだ。

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