第4話 伊藤と李鴻章③

「では……某から。そもそも、我が日本は三千年にも及ぶ歴史があり……」


 伊藤が話を始めた。いきなりそういう歴史から入るわけね。


 高杉晋作が四か国の代表団に対して古事記の話をしたという逸話があるけれど、松陰のところで学ぶとそういう方向性に行ってしまうんだろうな。


 中野竹子が首を傾げながらも、李鴻章に英語で通訳する。


「何を。我が中国は四千年の歴史がある」


 すぐに李鴻章が反論した。一人が三千と言えば、もう一方は四千って子供の喧嘩か。


 あと、あんたの現在所属している清国にはそんなに長い歴史はないだろ。


 一々突っ込むのも大人げないから黙っているけれど。



 伊藤も日本と中国のことについては詳しく突っ込まない。


「それだけの歴史を有する我が国であるが、今が最大の苦難の時であると考えている」


 李鴻章が唇を尖らせた。


「それについては我が国も同じだ」


 お互い詳しいことを言わないのは、苦難を作ったイギリスの代表者であるゴードンが近くにいるからなんだろうな。


「侵略を受け、国は堕落し、太平天国のような叛徒が跋扈するような世の中になってしまった。嘆かわしいことこの上ない」


「そうだ、国は堕落してしまった」


 伊藤も同意している。


 叛徒という言葉は出てこない。どちらかというと尊王攘夷派の方が反体制だから、言いたくないのだろう。


「日本はどうするつもりなのだ?」


 李鴻章が伊藤に尋ねた。


「正さなければならないし、西洋のような力をつけなければならない」


「間違いない。洋務運動が必要だ」


「だが、今の日本の体制ではできない。幕府だけではなく、多くの古い体制が凝り固まっていて、にっちもさっちもいかない状況にある。これを変革せぬことには、日本はいずれ外からの攻撃によって滅ぶ」


「しかり。清も同じである。紫禁城には現状が飲み込めていない。これをどうにかして打破しなければならない。それができるのは我ら上海にいる者達だけだ」


「そうだ。海外のことをしっかり理解した者でなければならない」


 段々言いたいことが重なってきているぞ。


「つまり、我々は古い国を打破し、新しい国として立て直さなければならないという点では共通しているわけだな」


「どうやらそのようですな」


「日本には太平天国のような存在はあるのか?」


「いいえ、そのようなものはありません」


「ならば、日本からの軍兵を連れて、太平天国と戦うというのはどうだ?」


 おっと、共同戦線の話が出てきたぞ。



 伊藤は少し考えている。


 そもそも、伊藤は長州でもそれほどの立場でもないからな。動員したいと思っていても、できないだろう。


「私はこれからイギリスに留学するつもりでおりますが、同志が萩に大勢おります。彼らに声をかけてみましょう」


 それでも前向きではあるようだ。


 伊藤の動員でどれだけ来るのかは分からないが、協力を約束してしまった。



 その後も、意気投合した二人は、両国の新体制のためにという名目で色々と口約束を取り付けてしまった。


 そんな軽々約束をして大丈夫なのかと思うが、伊藤は最後に「私は長州という日本の一地域の代表であり、日本が協力することはない」と留保はした。それに対して李鴻章も「自分も同じで淮軍にしか影響が及ばない」と同意した。


 軽い気持ちで始めさせてみたが、お互い国の問題点の認識や、改善しなければならないことが一致しているのは面白かった。


 この二人がここからのし上がっていって、史実では30年後に両国を代表するのだと思うと、何とも感慨深いな。



 こうして、伊藤と李の対談は成功裏に終わった。


 意気投合できたことも踏まえて、伊藤は「俺は清国の重鎮と対談したのだ」と妙に自信をつけたようだ。また、会話には参加しなかったが、井上も「同じ長州の者として鼻が高い」と意気軒高だ。


 早い話、二人とも調子に乗っているというわけだ。


「それなら、英語を話せるようにならないとダメだな」


 と俺が言うと、むむっと二人して険しい顔をしている。


 李鴻章にも都合があったのだろうけれど、彼が意地を張って中国語で会話していれば、大分面倒なことになったわけだからな。


 それにしても……


「李鴻章の奴、随分とノリが良かったな」


 ゴードンに話すと、彼は苦笑した。


「彼がああ言うのは理由があります」


「理由?」


「彼はライバルの曽国藩との間に決定的な差をつけたいと思っています。ですので、日本の力というのも頼りにしているのでしょう」


 あぁ、なるほど。


 太平天国との戦いで自分サイドが手柄を立てれば、結果としてそれが清国内のライバルとの差になると考えているわけか。



 そして、この時、俺は軽視していた。


 この両名のライバル意識というものを。


 数日後、このせいで俺はエラい目に遭うことになる。

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