第3話 伊藤と李鴻章②

 すぐにゴードンは人をやって李鴻章を呼びに行かせた。


 およそ一刻、高そうな満州族の服を着た男がやってきた。


「ミスター・ゴードン、お呼びですかな?」


 おっと、英語ができるのか。


「日本から客人が来ておりますので、一度会ってみたらどうかと呼んでみました」


 というゴードンの言葉に、李鴻章は「日本?」と顔をしかめる。


 次いで俺達の方を見て、あからさまに馬鹿にするような視線を向けてきた。


「ミスター・ゴードン、このような貧相な者共に何ができるというのです?」


 どうやら俺達は英語ができないものと思っているようで、言いたい放題だ。


 ゴードンは苦笑しながら、話をする。


「そうは言いますが、この少年はプリンス・オブ・ウェールズ、我が英国皇太子の友人ですぞ。上海のイギリス人も香港のイギリス人も、大きなことは言えません」


「何!?」


 李鴻章が信じられないとびっくりしている。


「貧相なやつで悪かったね」


 と英語で返すと、ますますびっくりしたようだ。慌てて頭を下げる。


「ま、待たれい。そのようなつもりで言ったのではないのだ。私は英語が不得意ゆえにちょっと表現を間違えたのかもしれない」


 と弁解しているが、その割には話し方によどみはないぞ。


 ま、別に喧嘩をしに来たわけではないし、俺を馬鹿にする奴のも彼が初めてというわけではないからな。李鴻章は30歳くらいだから俺達が年下でダメそうに見えるのも全く理解できないわけではない。


 李鴻章はビシッと西洋式の敬礼をした。


「李鴻章という。よろしく覚えてくれたまえ」


「俺は宮地燐介。ここにいるのは伊藤俊輔と井上聞多」


 俺は英語で話をしているから、伊藤も井上も理解できないようだが、さすがに自分の名前が言われたのは理解しているようだ。2人とも頭を下げている。



「ミスター・ゴードン、ミスター・ミヤチ。つまり日本人はイギリスにも行っているということか?」


「そんなに数が多いわけじゃないけどね」


「羨ましい。我が国は、あのぼんくら共が上にいる限りそのようなことは起きようはずもない」


「あのぼんくら?」


 皇帝のことだろうかと思ったら、ゴードンが小声で「満州人全員だよ」と耳打ちしてくる。


 なるほどね。


 繰り返しになるけれど、清は満州人の国だ。しかし、特権階級にいたことですっかり堕落してしまって、今では全く役に立たないと言われている。


 それでも、依然として高い地位にいるのはほとんどが満州人だし、決定権を握るのも満州人がほとんどだ。


 ここ上海のような太平天国との戦いが続く実力主義の場所でもない限り、漢人が上に立つことはないと言っても良い。


「日本は急速に変革していると多くの同僚が言っている。中国人同様な攻撃的だから恐れる者も多いが、近いうちに我々イギリスが東アジアでもっとも重視するのは日本ではないか、と評価する者も多い」


「むむぅ」


 ゴードンの評価に、李鴻章は露骨に顔をしかめた。


 日本の評価はそんなに高いのか。


 でも、史実でも日英同盟を結んだりして共同戦線を張っていたからな。それに加えてこの世界線では俺とエドワードが仲良しだから尚更だ。


 とはいえ、中国人にとっては「日本? あの東の島国が」くらいの認識だから、日本が中国より評価されているのは悔しいことなんだろう。


「俺はイギリスにやアメリカにいる時間の方が長いから、李鴻章さんと伊藤とで話をしてみてよ。通訳は俺がやるから、さ」


 そう言うが、実際に通訳をしているのは伊藤の隣にいる中野竹子なんだけどね。


「日本人と話をして何になるかね?」


 イギリスと仲の良い俺は尊敬するけど、日本は格下じゃないかと言わんばかりの返答だ。


 ただ、話を打ち切るということはないようだ。


「......とはいえ、いくつかの中国でも失われたものが日本に残っているのも事実だ。良いだろう、これからの日本が向かう先というものを聞いてみよう」


 という李鴻章の言葉を竹子から聞いて、伊藤が「えっ?」と驚いている。


「いや、拙者のようなものが日本のこれからを語るなど......、そういうものは桂先生や久坂先生、高杉先生が考えることであって」


「馬鹿者。日本を出たからには、伊藤も井上も立派な日本代表だ。外国にいてビビるんじゃねえ。そもそもひと月前まで攘夷だ、攘夷だと息巻いていたんじゃないのか?」


「い、いや、それはそれ。これはこれであって......」


「とにかく、おまえの考える日本を話せ。どうしても無理なようなら、俺が代わる」


 現代でも、日本人は自己主張が弱いと言われるが、ここでの伊藤はまさにそんな感じだ。これではダメだ。千尋の谷に叩き落とす必要がある。


「おまえが学んできた日本というものを李鴻章に説明してやれ」


 俺がサイド急き立てると、伊藤も諦めたように「そ、それでは」と前に出た。


 李鴻章は「大丈夫か? こいつ」という顔をしている。



 それでも伊藤と井上はまだマシだ。


 岡田以蔵はというとでかい図体を小さくして借りてきたネコのように黙っている。


 まあ、以蔵の場合は変に怒らせると刀を振り回しかねないのでこのままにしておく方が良いだろう。

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