第2話 伊藤と李鴻章①
チャールズ・ゴードンは堅苦しいが、非常に話しやすい人間で、イギリスのこととか中国のことを事細かに説明してくれる。
そのまま延々と話を続けていたが、来客があるということでしばらく中座することになった。
伊藤、井上、以蔵が唖然とした顔つきで俺を眺めている。
そういえば、諭吉とかも最初の頃はそうだったな。
日本人としては冴えない感じの俺が、イギリスの偉そうな人と普通に話しているのを見て驚いていたなんてことがあった。
でも、以蔵の驚きは違ったようだ。
「り、り、燐介。おまえ、あいつと何の言葉で話しておるんじゃ?」
そっちかよ!
「英語だよ。以蔵も、今後、野球をやっていくためには英語が出来るようにならないとダメだぞ」
令和の世界でも、メジャーリーグで成功するために英語能力は必要だと言われている。それでも令和なら通訳なり何なりが多少なら補ってくれる。
文久の今は、通訳なんてまず存在しないからな。自分でコミュニケーションが取れなければ、野球自体は出来ても生活が出来ない。
一応、上海に向かうまでの船上で、以蔵に野球なるものがアメリカで生まれたものであり、そのプロリーグが存在していることは説明した。あとは能力次第である、ということも。
以蔵も、もちろん、それが最後のチャンスであることは理解している。アメリカでうまく行かなければ野垂れ死にだが、日本でも野垂れ死に寸前のところまで行っていたわけで、失敗した時の悔いはないようだ。だから毎日素振りを欠かさないが、こいつの場合はとにかく英語能力と普通の生活能力が不安なんだよな。
一方で、伊藤と井上はシンプルに、俺がイギリスの偉そうな人と仲良しなことに驚いている。
「た、高杉先生も上海に来たそうだが、お客さんとして扱われて、ただ見回っただけで終わったそうじゃ」
「ふーん」
「おまえは高杉先生より若いのに、何で、イギリス人相手に偉そうなんじゃ?」
「偉そうにしているわけじゃないぞ」
英語で対等に話しているだけだからな。ゴードンも王族や貴族の出身ではないから、普通に話しかけられたら、普通に返事をするだけだろう。「こいつは偉そうだ」なんてことは考えていないと思う。
日本人は今も昔も英語が苦手だから、対等に話しているだけで「こいつは英語で話しているぞ。すごい奴なのではないか」と思ってしまうのかもしれないが。
「まあ、イギリスにも国王なり貴族なりはいるから、そういう面々とはきちんと話さなければいけないんだけど」
と、ちょっと上から目線で説明をする俺だが、ヴィクトリア女王はともかくとして、皇太子のエドワードや外務大臣のラッセルとどこまできちんと話しているかは心もとない。
そうこう話をしていると、ゴードンが戻ってきた。
浮かない表情をしているので、「どうしたんだ?」と聞いてみると。
「たいしたことではないよ。現地の中国人同士の縄張り争いさ」
「縄張り争い?」
「そう。李鴻章と曾国藩は最近あまり関係が良くないんだ」
ゴードンの話によると、元々は曾国藩の方が上で、李鴻章を自分のスタッフとして使っていたらしい。ところが、李鴻章が次第に自分の陣営も持ち始めて、ここ上海では曾国藩の上を行っている。
それが曾国藩には面白くないようで、時々衝突をしているらしい。
「今のところ、作戦に支障をきたすレベルで対立しているわけではないけどね。この国の軍人はイギリス以上に地縁やら繋がりを重視していて、中々扱いが難しいよ」
「面子というヤツか」
「そうそう! メンツ! さすがに日本人だけあって、君は漢人のことをよく分かっているね」
そう言って、溜息をついて続きの話を始めた。
「淮河の方で活動していた反乱軍をセンゲリンチンが撃破したらしいのだ。それで、我々上海の方でも、太平天国に打撃を与えようではないかという話をしていて、ね」
「あ~、片方が手柄を立てたから、負けたくないわけね」
「そうなんだ。それも困ったものだけど、太平天国を攻撃するに際して、どちらが先手を取るかという点で喧嘩を始めてしまってねぇ」
「大変だな」
と答えたところで後ろを見ると、3人組が相変わらず「何を話しているんだ」という興味津々な顔である。
俺はゴードンにちょっとだけ断りを入れて、井上と伊藤に概要を説明した。
「……で、苦労しているんだけど、どうすれば良いと思う?」
「むむぅ。例えば長州と他の国が先手争いをしていて、もし、長州が先んじられればわしは切腹する覚悟だから、互いに譲れぬというのはよく分かる」
伊藤が答えた。
「じゃあ、その結果として日本が負けても構わないと?」
「……そんなことはない。確かに松陰先生も確かにそのようなことを言われていた。個々の国は大切だが、何より大和魂を忘れてはいかん。尊王の志を忘れてはいかん、と。そういうことだ。おそらく、ここ清における魂なるものが大切なのじゃ」
「魂ねぇ」
これを説明しても、解決できるかは分からないが、ゴードンも困っているようだし、そういうことを説明した。
「……恐らくそれは東洋の概念であろう、私には説明できぬ。いっそミスター・イトウが両名と話をしてみてはどうだろうか?」
何と。
伊藤・李鴻章(と曾国藩)の対談が30年早く実現することになってしまった。
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