24章・権謀渦巻く東アジア

第1話 チャイニーズ・ゴードン

 横浜を旅立ったのは日本の暦の新年元日だった。


 日本は太陰暦を使っているが、上海租界は太陽暦を使っている。


 だから、着いたのは翌日だが、日付は1863年2月20日だ。



 着いてみると上海は結構物々しい雰囲気だ。


 話を聞いてみると、太平天国と並んで清国を荒し回っている稔軍ねんぐんという農民反乱が黄河と長江の間にある淮河わいが近辺で大兵力を動員しているという。


 それ自体は清の問題で、上海租界には関係ないように思えるのだが、上海は前年、太平天国から攻撃を受けている。稔軍が清軍を撃破した場合、太平天国と連携して上海に侵攻してくる可能性は低くないということだ。


 着いたら、いきなりピンチかもしれない、というわけだ。


 ただ、上海の人達は負けるとは思っていないようだ。物々しいけれど、悲観的な雰囲気ではない。




 ちなみに上海が太平天国に攻められた理由はというと、単純に敵対しているからだ。


 元々、太平天国というのは洪秀全という男がキリストの弟を名乗って始めた反乱だ。


 キリスト教を名乗ったことから、ヨーロッパは当初は太平天国に好意的だったが、内実がキリストの教義と全くかけ離れていたことから、離れていった。また、キリスト教を奉じてはいたが、太平天国を構成していたのは地元の面々が多くて、この面々は外国人が嫌いだから攻撃する。


 結局、ヨーロッパは「太平天国の奴らよりは清の方がマシだ」と清国側に味方することになった。最初は物資的な援助が多く、実は日本にも騎馬などの拠出を求めている。それだけでは勝てないようなので有志が中国人兵士を指揮して部隊を組織した。いわゆる”常勝軍”だ。


 当初、アメリカ人のフレデリック・ウォードが指揮していたが、昨年戦死してしまったので、現在はイギリス人のチャールズ・ゴードンが指揮している。


 元々嫌いな外国人が多くいるうえ、敵対行動までしているのだから、太平天国が上海を攻撃するのは当然というわけだ。



 この前年の攻撃は最終的には勝利した。


 常勝軍と清の軍勢とがうまく協力できたからだ。


 常勝軍は精鋭で新式の戦い方をするが、さすがにン十万を動員できる太平天国との真っ向勝負は分が悪い。数を補うのが湘軍しょうぐんとか淮軍わいぐんといった漢人部隊の存在だ。



 言うまでもなく、清は満州人の王朝だ。満州人は建国の頃は強かったのだと思うが、支配者として君臨すること300年以上、すっかり弱くなっていた。時代遅れになっていたこともあるし、特権階級にいたことで堕落したこともあったらしい。


 だから、太平天国相手でも稔軍相手でも満州人は頼りにならない。そうなると、自分達の土地は自分達で守ろうという漢人が増えてきたようだ。


 その中でも特に有力なのが湘軍と淮軍で、そのボスが曾国藩そうこくはんと李鴻章、特に李鴻章りこうしょうだ。現在の上海では外国人代表でチャールズ・ゴードン、清国側代表で李鴻章が動いている。



 この二人は高校世界史レベルでも出て来る人間だな。


 特に李鴻章は清末に洋務運動を主導したことで知られているし、日清戦争の後、伊藤博文や陸奥宗光と下関条約を締結した時の清国全権大使として名高い。


 李鴻章が清の重鎮となっていった原点がここにある、というわけだな。



 ちなみに稔軍を迎え撃つのはモンゴル人の将軍でセンゲリンチンという男らしい。正直、初めて聞いた名前だが世評は高いようで、チンギス・ハーンの再来とも、関羽・岳飛がくひに匹敵する男とも言われているらしい。


 つまり、満州人は太平天国との戦線でも、稔軍との戦線にも指揮官としてはいないわけだ。



 こういう話をすんなり聞けたのは、例によってと言うべきか、プリンス・オブ・ウェールズたるエドワードの威光によるものだ。


 英国皇太子の友人たるジャパニーズ”リンスケ・ミヤーチ”の存在は特に上海や香港では知られているようで、チャールズ・ゴードンが懇切丁寧に説明してくれた。


「私は王立陸軍学校の生まれでしてね。女王陛下はもちろん、皇太子殿下のためには火の中、水の中と飛び込む覚悟です」


 聞くとゴードンは29歳らしいが、いかにも軍人という雰囲気の堅苦しい人物だ。このあたりは同じ軍人でも海軍かつアメリカにいるジョージ・デューイとは全く違う。



「日本についてはどう思う?」


 さりげなく日本のことを聞いてみた。さすがに生麦事件など日本で起きている事件は知っているが、イギリス本国がどう関与するか分からないし、そこに自分の意図を挟むつもりはないと言う。


「現状、太平天国を滅ぼすことが私の任務と考えており、そのために全力を尽くしております。他国でどう動いているかについては、私の関与するところではありませんし、何なら本国と清国の交渉についても、私が口をさしはさむべきではないと考えております」


 ゴードンはそうはっきりと言いきった。


 これは頼りにされそうだな。


 ただ、こういう性格だから後々スーダンで戦死してしまったのかも、という気もするけれど。

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